『前夜』(6年目・原作)

薄暗いクロコダイルの私室で、クロコダイルとアスヒは2人で酒を飲んでいた。
度々行われる晩酌にも、お互いもう慣れたもので、メイドであるアスヒも割と自由にしていた。

今日のクロコダイルは特別気分が良さげだ。

アスヒはクロコダイルがここ数日、特別忙しそうにしていたのを知っている。
そしてそれがB.Wに関係することだというのも感づいていた。

計画が余程上手くいっているのだろう。アスヒはご機嫌なクロコダイルの横顔を見つめてから、息をついてクロコダイルに寄り添った。
クロコダイルは急に寄り添ってきたアスヒを一瞬だけ不思議に思うが、次には彼女の肩に腕を置いて軽く引き寄せた。

「もうこの屋敷もいらねぇな」

不意に零された言葉にアスヒは少しだけ視線を伏せて、手持ち無沙汰にワインの入ったグラスをくるくると回した。

「では、どうするんですか?」

小さく囁くように問いかけるアスヒ。クロコダイルはそんなアスヒを見ることはなく、バナナワニが悠々と泳ぐ水槽を眺めていた。

「ここには余計なものも多い。沈める」
「………寂しいですわ」

言葉を聞いて、アスヒはワインに口をつけながら心底悲しげな声を出す。
ここでは長い時を過ごした。どの部屋にも愛着があって、アスヒにとっては思い出がある。

クロコダイルはアスヒの言葉を聞いて、若干驚いていた。
彼女が寂しがる感情も、少しは理解出来るが、クロコダイルはその感情をアスヒが顕にするとは思ってもいなかったのだ。

クロコダイルは小さく息を吐いて、アスヒの身体をさらに抱き寄せる。アスヒは大人しく彼の腕に収まった。

「すぐに新しい屋敷が手に入る」
「……そうですね」

答えたアスヒはそれでも寂しそうだった。クロコダイルは一瞬だけ視線を鋭くさせてアスヒを見てから、すぐに視線を逸らした。
かける言葉はない。落ち込んでいる女を、励ます言葉など、クロコダイルは知らないのだから。

だからこそ、彼は自身の計画に関係する事柄を問いかける。
きっと、アスヒだって温かい言葉なんて期待していないだろう。

「メイドもコックも実家に帰したのか?」
「はい。明日は全員、休暇に出しました。
 明日の従業員は私だけです」

普段は屋敷に住み込みで働いている従業員達。多くは無いとは言え、誰もいないとなるとより一層屋敷の中は静まり返っていた。
アスヒの髪をさらりと指に絡めながら、クロコダイルは満足げに言葉を続ける。

「てめぇは俺と行動だ」
「……お留守番だと思っていましたわ」
「沈む家にメイドはいらねぇ」

クロコダイルがさらりと零した言葉にアスヒは何も言わずに黙り込んでいた。
溜息をついたクロコダイルが鉤爪で器用にアスヒの頭を引き寄せる。

無表情のままのアスヒの頭に口を寄せながら、クロコダイルは小さく言い聞かすように囁いた。

「てめぇは置いてかねぇ」

真剣な言葉にアスヒの身体が少し硬くなる。
彼女は表情をむすとしたものに変えて不貞腐れているかのような声で返事をした。

「わかってます」
「わかってなかったろ」

クロコダイルが苦笑を零すと、アスヒはふいを視線を逸らす。クロコダイルの苦笑が重なった。

「心配しなくても、てめぇには屋敷も部屋も宝石もドレスも権力も、みんな与えてやる。
 ……メイド服が良いって言うなら、そうするが、な」

クロコダイルはアスヒが身にまとっているメイド服の裾をつまむ。彼女に様々な服を与えては来たが、下手にドレス等を与えると彼女は不機嫌になり、メイド服だと満足げにするのだから、本当によくわからない女だ。

「では、私の部下達も一緒に」

ほら、今だって。これから優秀な部下なんて山程増えるだろうに。
そんな数人の部下等、入れ替えてしまった方が楽だろうに。

「……わかったよ」

呆れたように返事をしたクロコダイルだが、アスヒが小さく微笑んだのを見て、彼もまた僅かに微笑んだ。彼女のご機嫌取りにもなかなか慣れてきたものだ。

「怖いです」

不意にはっきりとそう言った彼女は『らしく』はなかった。だが、クロコダイルは彼女の手先が小さく震えていることに気がついていた。

「アスヒ」
「はい」

手を震えさせているアスヒの名前を呼ぶと、彼女はクロコダイルの腕の中で、彼を見上げる。
アスヒの瞳にはクロコダイルの姿が写っていることに、若干の優越感を覚えつつ、彼はアスヒの身体を幾分強めに引き寄せた。

大人しく腕に収まったアスヒは、いつの間にか震えが止まっていた。クロコダイルは小さく声を掛ける。

「今日はもういい。寝るぞ」
「…はい」

何のためらいもなく寝室にアスヒを招き入れるクロコダイルに、アスヒは一瞬だけ憂い顔を見せてついていった。

明日、計画が始まる。



(前夜)

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