『勉強会』(2年目)


ぐるぐるぐるぐる。身体が重い。息がしづらい。慢性的な頭痛。重さに潰されそうになって、アスヒはついに誰もいない地下室でぺたりと座り込んでしまった。
地下室は食材の備蓄置き場になっている。今の時間ならばコック長達も滅多なことがなければ立ち入らないだろう。
アスヒは部屋の隅で壁に身体をもたれさせながら、長い溜息をついた。

(最悪…)

ミズミズの実を食べて、まだ日も経ってないアスヒは実の能力を上手く扱うことができないまま、身体を襲う倦怠感を振り払えずにいた。

先日、クロコダイルに水をぶっかけたということもあって、早くなんとかしなくては、と焦りはあったが、どうにも身体は言うことを聞いてくれる気配は無い。

全身が水を察知しようとする。備蓄の野菜の中にある水分や、はたまた空気中を漂う水分。
身体中の血管を這いずり回っている水分ですら鮮明に感じる事が出来て、研ぎ澄まされすぎた感覚に吐き気がした。

とにもかくにもミズミズの実の能力を誰かに見られるわけにはいかない。
溢れだそうとする水を必死に体内にとどめていると、不意に入口の扉が開いて、アスヒの身体が緊張に硬くなる。

「何してる?」

だが、降りてきたのがクロコダイルだと知り、アスヒは表情を歪めつつも、長く息を吐いた。

「…体調が、優れなくて」

震える指先を必死に押さえ込みながら答えると、怪訝そうに顔を歪めたクロコダイルが哀れなアスヒの姿を鼻で笑った。

「暴発させんなって言ったよな」
「言われました」
「一週間以内とも」
「言われましたね」
「それでそのザマか」
「………」

問いかけられていた言葉には淡々と答えていたアスヒだったが、クロコダイルの失望したかのような声を聞いて深く黙り込む。
ムスとそのまま黙り込んでいると、クロコダイルはアスヒのすぐ近くでしゃがみこんで彼女の顔を覗き込んだ。

「誰かにバレたりは?」
「してません」

それだけは間違いない。不調を誰にも見つからないままここに逃げ込んだのだから。
アスヒだって、この能力が誰かに見つかったら、真っ先にクロコダイルに殺されることが予想出来ていたので、そこはしっかりとしている。
せっかく生きながらえた命だ。まだもう少し生きていたい。

そこでクロコダイルがふと、ぼんやりと自身を見上げてくるアスヒに怪訝そうな瞳を向けた。
アスヒは黙ってクロコダイルを見つめている。対するクロコダイルの細められた金目には、どこかしら不信の色が見え隠れしていた。

「おい。今、何を考えてる?」
「何って、言われましても…」

アスヒはぼんやりとする思考の中、目の前のクロコダイルを見上げる。自然と溢れた笑みは苦笑だった。

「背が大きいなぁ、って」

言葉にクロコダイルは深く黙った。
アスヒとクロコダイルの身長差は確かに大きい。だが、他に思うことがあるだろうと、クロコダイルは呆れた表情を見せた。

「待ってろ」

そう言葉を残したクロコダイルは地下室の奥に進み、少ししてから、樽をひとつと紙袋ひとつを砂で運んできた。
クロコダイルは先に樽をアスヒの前にどんと置いた。こてりとアスヒは首を傾げる。

「水だ」
「みず」

次に紙袋をその樽の上に乗せる。

「塩だ」
「しお」

きょとんとしながら2つのそれを見つめるアスヒに、クロコダイルは呆れたように言葉を続けた。

「俺ぁ海水の濃度なんざ知らねぇぞ」
「私は話の流れがわかりません」

若干不満げに言い切ったアスヒに、クロコダイルは無表情のまま、運んできた水樽の上に腰をかけて言葉を紡ぐ。

「自然系はその能力と同じ力に共鳴しやすくなる。お前の場合は水だ。本来ならば海水の方がいいんだろうがな。
 力が暴走しそうな時は身を任せちまうのも悪くねぇ」

言葉に積み上げられた塩と水樽を見つめる。クロコダイルはこの2つを操れというのだろう。
そこでふと疑問に思ったアスヒはクロコダイルを見つめる。

「………クロコダイル様が実を食べた時はどうしたんですか?」
「俺は辺り一面砂に変えた」
「……」

絶句したかのように深く黙り込むアスヒ。クロコダイルならやりかねないし、今、嘘を付くとも思えない。
クロコダイルは短く、くだらないとでもいうように鼻で笑い、自分が座っている水樽を鉤爪で軽く叩いた。

「屋敷の中を水浸しにされても困る。これでどうにかしろ」
「これでどうするんですか」

アスヒは塩と水を交互に見て怪訝そうな顔をする。彼女は言ってしまえば初心者なのだ。ひとりで努力するにも限界がある。
溜め息をついたクロコダイルは右手の上に小さな砂嵐を作ってアスヒに見せた。

「同じことをしろ」

そう言って、クロコダイルは小さな渦を巻いてる砂嵐を徐々に球体にさせていく。
じっとそれを見つめたアスヒは自身の両手を見つめて、ゆっくりとその掌の上に水の球体を浮かばせていく。

はじめの形はとても歪なものだったが、それは徐々に球体へと近づいていく。やがて球体は綺麗な状態でアスヒの前に漂っていた。

「できた」

綺麗な球体となった水の塊にアスヒの頬が緩んだ瞬間。

水風船が割れるかのように球体が弾けて、辺りのものすべてを水浸しにした。
だが、以前と同じようにアスヒは一切濡れていない。そして以前と同じようにクロコダイルは見事に頭から水を被っていた。
殺気漂う空間に、アスヒの表情が一気に青ざめる。

「申し訳ございません!」
「…、殺す」

今度こそ死んだと確信するアスヒ。だが、水に濡れたままのクロコダイルは、殺気こそは収めないものの、またどかりと近く木箱へと腰を下ろしていた。
ぽたりと水を滴らせながらもクロコダイルはアスヒを睨みつけていた。

「続けろ」

ぎろりと睨まれた状態のまま、アスヒは必死に先程と同じように水を集めていく。
横に殺気立つクロコダイルが居ては、彼女も文字通りの必死の練習である。

長い時間、アスヒは何度も同じことを繰り返した。そのうちようやく水の球体が安定してきた頃、クロコダイルがふんと鼻を鳴らした。どうやら及第点には達したらしい。

「これでまた暴発させたらどうなるか、わかってんのか?」
「………はい」

殺気に当てられて、アスヒは大人しく何度も頷く。アスヒだって、もうクロコダイルに水をぶっかけて殺されそうな勢いの殺気をぶつけられるのは嫌なのだから。

(ヤンキーかよ)

内心不服そうにそう思っていたアスヒだったが、何回も水を操るうちにいつの間にか呼吸が落ち着いてきているのも事実だった。
アスヒは長く息を吐いたあと、クロコダイルに向かってにこりと笑顔を向けた。

「だいぶ楽になりました。ありがとうございます。
 …今なら貴方も倒せそうです」
「なんだって? ルーキー」

軽口を叩いた瞬間に再び当てられた殺気に、アスヒは背筋を凍らせる。ふるると首を左右に振った彼女を、クロコダイルは鼻で笑った。
本気でやるつもりなど、毛頭ないのに彼女の主には冗談が全く通じないようだ。

「冗談でも下手なことを言うべきじゃありませんね…」
「自惚れんじゃねぇぞ」

小さく呟くアスヒの少し前。牽制するように声をかけるクロコダイルにアスヒは静かになる。

「必要なのはてめぇのその能力だけだ」
「…わかってますよ」

答えてから、彼女はクロコダイルの背中を見上げる。それは酷く頑なで。

(全てが全て、損と得だけではないでしょうに)

背中を見上げ、溢れそうになる溜息を隠す。これから先も彼と行動していたら、いつか、少しは仕事がしやすくなるのだろうか。
随分今気強く付き合っていかなくてはいけないことを覚悟しつつ、体調が少し回復したアスヒはクロコダイルの背中について歩いて行った。


(勉強会)

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