『迷子のメイド』(1年目)

「…困った」

果物の入った紙袋を抱え直して、アスヒは深く溜息を付いた。
アラバスタの燦々と輝く太陽光を浴びながら、まだまだこの暑さに慣れていないアスヒは手で影を作りながら太陽を睨みつける。

市場に買い出しに来たアスヒは、慣れない町並みに戸惑って、そのまま迷子になってしまっていた。

必要なものは買い終わり、あとはレインディナーズに戻るだけだというのに、どこまで歩いてもあの目立つ建物が見当たらない。
もしかしたら反対方向に来てしまったのではと、時折後ろを振り返ったりもするが、目当ての建物はいつまでたっても見つけられなかった。

深く溜息をついて肩を落とすアスヒ。早く帰って食事の支度をしなくてはいけないというのに。

アスヒだけが怒られるのならばまだ納得というか理解できるが、食事が遅れてしまえばメイド長やコック達にも責任が降りかかる。
アスヒは焦りを覚えながら、ふらふらとどこまで行っても同じ気のする市場を歩き続けた。

「何かお困りですか?」

もしかしたら彼女の再三たる溜息を聞いたのかもしれない。

不意にかけられたその声に、アスヒは振り返る。そこにいたのは白塗りの化粧を施した長身の男だった。
その顔に『見覚え』があったアスヒは、表情を輝かせそうになるのを押さえ込む。

彼女の目の前にいたのはアラバスタ王国護衛隊副官のペルだったのだ。

漫画の中で彼を知っているアスヒは、ペルならばきっと快く助けてくれるだろうと思い、困惑した表情を浮かべながらもたじたじと状況を話しだした。

「その…。道に迷ってしまいまして…」
「そうだったんですか。もしよろしければ近くまで案内いたしますよ」

微笑みながら告げられたその言葉に、アスヒの表情は明るくなる。やっぱり彼はいい人だ。

「…お願いしてもよろしいですか?」
「よろこんで」
「ありがとうございます!!」

ペコリと勢いよく頭を下げるアスヒ。そしておずおずとペルの顔を見上げた。

「それで、あの…、レインディナーズに行きたいんですけれども…」
「…それはまた」

ペルの表情が苦笑に変わる。アスヒの頬に僅かに赤みが差した。
この街の中ではレインディナーズはとても大きな建物であり、目印としてはかなりわかりやすいもののはずなのだ。

アスヒははぁと溜息を付いて、肩を竦ませる。

「やっぱり大通りに出れば、すぐに見えますよねぇ…。
 そう思ってしまって、なんだか人に聞くのも恥ずかしくて」
「そういう時もありますよ。お助け出来てよかった」

優しげな微笑みを浮かべながら、道を指し示してゆっくりと歩き出すペル。ペルの腰から下げられている刀が一度だけかちゃりと音をたてた。
アスヒはにっこりと笑みを返してペルの隣をついていく。彼の方が身長が高く、歩幅も大きいはずだが、ペルはアスヒに合わせてゆっくりと歩いてくれていた。
そのことに気が付いているアスヒは、ちらりと一瞬だけペルを見上げる。

(…王国最強の戦士だったっけ)

今隣を歩いているペルと、彼と同じく護衛隊副官のチャカ。
国王と国民を守護している王国最強の戦士達だ。市場にいる国民達はペルのことを知っているようで、誰も彼もがアスヒと歩いている彼に驚きの表情を向けていた。

普段から王下七武海と過ごしているアスヒはそこまで驚きを持てないのだけれど。

「この国には来たばかりで?」
「はい。少しばかり遠い所から来たんです」

帰れないほど遠い所ではあるが、説明すると長くなるのでそれだけを答えるアスヒ。
ペルはこの国の生まれではないアスヒに対して質問をする。

「感想を聞かせてもらっても?」
「……まだ、この国についてよく知りませんけれど、とってもいいところだと思います」

アスヒはまだ数日しかこの国で過ごしていない。それでも市場で会う人々を見ていると、悪い国ではないことだとはすぐにわかった。
走り回っている子供は無邪気そのものだし、大人達は活気に溢れている。

むしろ悪いことを企んでいるのは、アスヒの主であるクロコダイルだけのような気もする。

「よかった」

アスヒがクロコダイルについて内心悩んでいる横で、心から嬉しそうな顔をしたペルに、悩んでいたアスヒの表情も思わず緩む。
彼は本当にこの国を愛していて、自慢でたまらないようだった。そしてそれを肯定されたことが何よりも嬉しいのだろう。

そこで2人の足が止まる。真っ直ぐ先に目的地であるレインディナーズが見えたのだ。

ほっと息をついたアスヒは、ふと思い出して紙袋の中を探す。

「あった」

そして小さく呟きの声を上げたアスヒは紙袋の中から1つ、真っ赤な林檎を取り出した。
それを隣の彼に差し出して、アスヒはにっこりと笑顔を浮かべた。

「よかったら貰ってください。
 市場の方に1番美味しいものを、選んで頂いたんです」
「ですが…、買い出しの品なのでは?」
「いいんです。助けていただけて嬉しかったから」

つまらないものですが。とアスヒは苦笑を零しながら、ペルの手の上に林檎を乗せる。
そして微笑みながらアスヒはペルを見上げた。

「そういえば助けていただいたのに、お名前もお聞きしていませんわ」

知ってるけれども。内心そう呟くアスヒだが、今ここで聞いておいて損はないだろう。

むしろまた何処かで出会った時に、不意に名前を読んでしまう瞬間が来るかもしれない。その時に不審がられるのもアスヒにとって都合が悪い。
まぁ、有名人であることにあとから気がついた。などど言い訳はいくらでも出来そうではあるが。

そんなアスヒの内心を知らないであろうペルは人当たりの良さそうな笑みを向けると、アスヒに向かって恭しく頭を下げた。

「私、ペルと申します」

役職などは何も告げずに、それだけを名乗ったペル。アスヒも笑顔を返し、スカートの端を少し持ち上げながら同じく恭しく頭を下げた。

「アスヒです。レインディナーズでメイドをしております」
「ではまたお会いする機会もあるでしょう」
「その時は、私が迷子ではないのを願います」

苦笑を零しながらそう言うと、ペルも微笑みを浮かべた。

レインディナーズの入口に立ちながら、ペルが去っていくまで見送る気で彼に振り返るアスヒ。

ペルはもう一度、頭を下げたあと、突然その姿を替え、ファルコンの姿へと変貌した。
『トリトリの実:モデルファルコン』。それがペルが食べた悪魔の実の能力であり、アスヒは飛び立っていったペルに目を丸くする。

彼女はクスクス笑ったあと、踵を返してレインディナーズの中に入っていった。


(迷子のメイド)

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