『ひとやすみ』(5年目)

クロコダイルの執務室。時刻は昼過ぎ。屋敷の外は灼熱の太陽があたりを照らしていたが、屋敷内はそんなことを感じさせないくらいの快適さを保っていた。
アスヒは主の仕事部屋に入りながら、彼の部屋を掃除していた。日課ともなっている部屋の清掃ゆえに、アスヒは手慣れたように順序良く掃除していく。
クロコダイルは何かの書類にサインをしているようで、アスヒは彼の邪魔にはならないように作業を続けていた。

「どのくらい使えるようになった?」

不意に。今まで静かだったクロコダイルがアスヒの後姿を見ながら声をかけた。アスヒがメイド服のフリルを揺らしながら振り返ると、暇そうな顔をしているクロコダイルが頬杖をついてアスヒの返事を持っていた。
アスヒはクロコダイルの言葉の足りない質問の意味を考える。疑問の目をそのままクロコダイルに向けると、クロコダイルは言葉を口に出さないまま、万年筆を持ったままの右手を軽く砂へと変えていた。なるほど、彼は悪魔の実の能力について言っているようだ。

「どのくらいと言いましても、目安がわかりませんからなんとも言い難いですね…」

部屋の隅に置かれている花瓶を静かに持ち上げつつ、アスヒは少し考えながらも答える。彼女は他の能力者を数人しか見たことがないし、そのうち自然系を操るのはクロコダイルだけだ。
普段使用は避けている彼女には自分の能力の上達具合がわからなかった。ただひとつわかるのは。

「貴方がこの国と相性がいいように、私はこの国とは相性最悪なようですわ」

溜息を零しながらアスヒはそう言う。そして持ったままの花瓶に少しだけ意識を集中させた。すると外からは見えはしないが、花瓶の中の水が補充されていく。ある程度の重さになったら花瓶を戻すアスヒ。

彼女の主観でしかないが、砂漠の国でアスヒの持つミズミズの実の能力は多少制限されているかのように思う。
以前は身体に不調をきたすこともあったが、ひとまずはそれはもうない。ただ、何日も日照りが続くと、流石に空気中の水分すらも乾いてきてしまう。そうなってくるとさすがに辛いものがある。
全身への疲労感、喉や目の渇き、そして能力で作り上げた足の、痛み。

今、痛みを覚えたわけではないが、無意識のうちに太もも当たりに手を伸ばしてしまうアスヒ。
じっと自分の足を見下ろした後に、アスヒは小さく首を左右に振って息をつく。

「…それでも、いつでも雨を降らせることはできますよ。
 降ろうとしている雨を長く止めることはできませんけれども」

前に1度天候を無理矢理変えたことがある。その時はまだ能力を使い慣れていないということもあるが、酷く疲れてしまったことを覚えている。
今はあの時よりかは能力に慣れてきてはいるようだが、それでも天候を変えるほどの力は何度も使えはしないだろう。
それでも短く鼻を鳴らしたクロコダイルはどこか満足そうな笑みを浮かべていた。

「ダンスパウダーいらずだな」
「…粉より私の方が優秀です」

口を尖らせて言葉を零すアスヒにクロコダイルはちらりと視線を向けた。
クロコダイルの視線には気がついていない様子のアスヒは変わらずに掃除を続けていた。頬杖をついたクロコダイルは変わらずアスヒの後姿を見ている。

「そうかよ」
「そうですよ」
「……なに妬いてやがる」
「べつに」

不満げに言い切ったアスヒに、クロコダイルはにやりと笑い、身体を砂にして飛ばしてから、アスヒのすぐ背後に立った。
突然現れた主にもアスヒはちらりと視線を投げただけだった。彼の気まぐれは今に始まったことではない。
身体に回ってきた腕と鉤爪に軽く触れながら、戯れてくるクロコダイルにアスヒは溜息をつく。

「なんでしょう」
「粉如きに妬いている女がいるみてぇだからな」
「妬いてはいません。仕事が増えないのであればその方が喜ばしい限りですわ」

身体に触れてくる主に対して硬い声を返すアスヒ。クロコダイルは変わらずくつくつとのどの奥で笑う。

さっさと弾いてしまってもよかったが、クロコダイルの手は、先日怪我を負った腰元あたりに触れていて、わざわざ確認するかのような仕草に、そのまま放っておくことにする。
傷口はまだ残ってしまっているが、痛みはもうない。痕もやがて消えていくだろう。

アスヒはもう1度零れてきた溜息を隠そうともせずについて、職務に飽きてきているであろうクロコダイルの肩口に頭を寄せる。

「珈琲でもお作りいたしますか?」
「仕事は増やしたくねぇんだろ?」
「仕事のうちに入ってませんので」
「可愛くねぇな」

つまらなそうにぽつりと呟いたクロコダイルがアスヒの身体から離れて、執務机の上に座って葉巻を咥える。
行儀の悪い主を見つめつつ、こちらも今に始まったことではないので、今度はアスヒから彼の方に近づいて、葉巻に火を灯す。
香ってきた葉巻を一瞬嗅いでから、アスヒはあっさりと彼から離れ、部屋に備え付けられている珈琲セットに向かった。

部屋にはふたりしかいないし、ちょうど話の流れ的にもいいだろうと、アスヒは片手を少し上げて意識を集中させて、手のひらサイズの水球を生み出す。
ふよふよと漂うそれをケトルに入れたところで、見ていたクロコダイルが多少は嫌そうな顔をしてみせた。

「飲んだことあんのか?」
「ありませんよ。なので、お付き合いくださいませ」

にこにこと笑みを浮かべたアスヒは湯を沸かす間に、クロコダイル用のカップとそして、自分用のカップも取り出してきた。
空中の水分を集めて出来た水球だ。味の保証は全く出来ないが、飲用も出来ることがわかれば砂漠越えもだいぶ怖くなくなるだろう。まぁ、彼女らが砂漠越えを行うときはFワニに乗って最速で越えていくのだが。

上機嫌で準備を進めるアスヒに、今度はクロコダイルの方が溜息をつきながら葉巻の煙を漂わせていた。



(ひとやすみ)

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