『RE:』

この世界に来てからの誕生日なんて、あの無愛想な主を除いて、誰にも言ってなかったから。

(ハッピーバースディ、自分)

心の中で自分にそう言ったあとは、今日はいつもと変わらない日常のはずだった。


†††


(今日に限っていつもより忙しいとはどういうことだ)

心の中で思わずそう愚痴ってしまうアスヒ。彼女は山積みの書類を机の上に乗せて深い溜息をついた。

今日は朝から、妙にやらなくてはいけないことが山積みで、清掃から事務処理から、カジノの厄介ごとの処理までもが重なって、メイド長の彼女はあちらこちらに行ったり来たりの大忙しだった。
誕生日だなんて、大人になってしまえば過ぎ行く日々の1日に過ぎないけれど、それでもいつもよりはラクしたいし、楽しく過ごしていたかったというのに。

夕食時も少し過ぎたころ、気が付けば無断で(大抵、無断だが)出かけて行ったクロコダイルのおかけでさらに増えた書類を片付けていると、数秒後には愚痴ってしまおうかと思っていた当のクロコダイルが執務室に戻ってきていた。
危ない危ない、と出かけた愚痴を飲み込んだアスヒは、主に振り返って深々と頭を下げる。

「お帰りなさいませ、クロコダイル様。お食事は?」
「まだだ」

強すぎる警戒心ゆえに、滅多に外食はしてこないクロコダイルの回答を、予想はしていたアスヒは作業していたものを手早く片付けて、厨房へと向かおうとする。
夕食の下ごしらえだけして帰らせてしまったコック長が惜しい。今から軽く作るとなると多少時間はかかるだろうが、無断で出かけていくクロコダイルが悪い。

「ご用意いたしますので、少々お待ちください」
「食いに行くぞ」
「え?」

珍しい、と思わず聞き返してしまってから、振り返るとクロコダイルは黒い紙袋をひとつ、鉤爪にぶら下げていることに気が付いた。
差し出されたそれを受け取ってしまってから、アスヒはちらりと中身を覗き込む。

「さっさと着替えろ」

覗いて見えた紙袋の中には高価そうな洋服が入れられていた。アスヒは隠すことなく怪訝そうにクロコダイルを見上げた。

「どういう風の吹き回しでしょうか?」

期待してまって、あとから面倒ごとを押し付けられては困る。過去の経験上、そういうことが多かった。警戒した表情を浮かべながら紙袋を抱えるアスヒ。
だがクロコダイルは野良猫のような警戒心を浮かべるアスヒをどこか面白そうに眺めているだけだった。

「たまにゃあ、アメも与えないとな」
「あら。『雨』は嫌いと思っていましたが。
 …ですが、効果はテキメンです。また暫く頑張ろうと思います」

紙袋を抱えたアスヒは小さく微笑んでしまってから、ちらりとクロコダイルの姿を見る。
そして思いついたようにクロコダイルの様子を伺いながら、彼女にしては珍しく悪戯に笑った。

「今日、私の誕生日なんです」
「それで?」

返答は優しくはなかった。それも予想済みだったアスヒは小さく肩を竦めて、苦笑を浮かべた。

「こう言えば、一言頂けるかなと思いまして」
「アメの与えすぎはよくねぇからな」
「ふふ、残念」

アスヒは小さく微笑んだまま、紙袋を抱えたまま早速着替えようかと、クロコダイルの執務室から退室しようと歩きはじめたところで、クロコダイルの鉤爪がアスヒの腕を引っ掛けた。
きょとんとクロコダイルを見上げるアスヒに対して、クロコダイルはアスヒを見下ろしたまま、どこか険しい顔をしていた。

「これならやる」

そう言いながらクロコダイルが出してきたのは赤色の包装がされた小さめの箱だった。アスヒはぱちぱちと何度も瞬きを繰り返す。

外食までは彼の気まぐれだと思っていた。だが、どうやら彼はアスヒがおざなりに伝えた誕生日を律儀に覚えていたらしい。
驚きで固まっていると痺れを切らしたクロコダイルが手に持った小箱を落とそうとしたので、そこでようやっと慌ててアスヒは手を伸ばした。

「ありがとうございます」

紙袋と小箱を抱えて、アスヒはちらりとクロコダイルを見てから、小箱を開けていく。
そうして中から出てきたのは煌びやかな装飾が入ったオルゴールだった。
じっとそれを見つめて、アスヒは緩みそうになる頬を隠してツンとそっぽを向いて見せた。

「……趣味じゃありませんわ」
「にしては嬉しそうだな」

だが、クロコダイルが気付かない訳もなく、きっぱりと指摘されてしまう。

「貴方様の気のせいです」
「気のせい、ねぇ」

ご満悦な表情を浮かべているアスヒに、頬杖をついたクロコダイルが呆れ顔で見つめる。

「さっさと着替えろ、置いてくぞ」
「すぐ着替えてきますわ」

アスヒは慌てて紙袋を抱えなおして自室へと向かう。ぎゅうと紙袋と小箱を抱きしめたアスヒは彼女には珍しく幸せそうな笑みを浮かべて、足早にかけていく。
どうやら今日は人生で1番素晴らしい誕生日のようだ。



(RE:)

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