悪魔は時として人間に化ける

「おーい、織田作ぅーここに居るんだろー?」

未だ尚己の姿を確認せずともまるでそこに居ると確信して語りかける友人。
否、今回のこの件で旧友となってしまうのだろうが。
しかし、そんなことは如何でも善い。
震え上がる身体を両腕で守るように抱き締めて怯える彼女を助けることが先決である。

「清水、大丈夫か」
「、ふっ…此方…ころ、殺されるんでっ…しょうか」

その言葉を聞いた織田はある確信が芽生えた。
先ず、彼女は二つ勘違いをしている。
この身を潜めている倉庫の向こう側に未だに己の名を呼び付ける男は確かに彼女が逃げ出した事に大変憤りを感じている。
しかし、その感情は己にも同様だ。
寧ろ、殺されるという予想は彼女ではなく己に当たるだろう。

そしてもう一つは、きっとあの男は彼女を端から見逃がす気だ。
しかし、問題は己。
彼は飲み仲間でそして…友人。
だからそんな理由如きで殺されないだろうと踏んだ。
だから、…決死の覚悟で彼女を連れ出した。
まァ、それもこれで終わりだが。
上司であり友人でもある男の女を略奪したのだ。当然だろう。
嗚呼…束の間の逃避行というやつか…。
己は最下級構成員。
己の様な異能力者はあまり見ないが、己の様な人間性を持った人間は腐るほどいるだろう。
しかし、ここで人生の終止符を打つのは如何にも気が引ける。
せめて彼女だけでもあの男から逃せないものか。

「…織田、さん?」

暫くの間、考慮していた為黙っていた織田のことを心配したように覗き込む紫琴。
織田が大丈夫だと答えると紫琴は安堵した様にホッと一息ついた。

嗚呼…太宰、お前は彼女の安心した柔かい表情を見たことがあるのだろうか。
ただ感情が前に出すぎた故に幽閉された彼女の本当の顔を見たことがあるか。

織田は倉庫の向こう側にいるであろう太宰に問いかけた。
しかし、そんな近代の機械人間でもあるまいに伝わるはずもない。

織田は彼女の表情を見て何かを決心した様な顔付きに変わり紫琴の肩に手を乗せて口を開いた。
これが彼の最後の願いとも知らずに。

「いいか、清水。今から俺が云うことを信じて従ってくれ」
「…はい」

赤髪の青年は真剣な面持ちで未だ世間知らずな小娘に云い聞かせる。
彼は今この小娘を子供としてはなく、大人として見て話している。
果たして、世間知らずな小娘にこの内容は通じるのだろうか。

「…できるか」
「…確証はありませんが。…できます」

織田に問へに対し震えるもはっきりと肯定を口にした逃避少女こむすめ
敵わない相手に対して戦力を費やすのは如何かした狂乱戦士が考えることだ。
敵わない相手なら背を向ける、臆病だと嗤うがいい。
何だったらオルレアンの乙女と讃えられたカトリック教徒ジャンヌ・ダルクと比較されてもいいさ。
逃避する事しか思いつかない低脳な小娘にはこういう方法が得策だと考えるのだ。
所詮、女子おなごは殿方には敵わないのだから。

『良いか、俺は一か八か太宰に干渉を仕掛けてみる。だが、彼奴は餓鬼の癖に頭脳に長けているからそう長くは持たなたい。その間、お前は全力で隣の倉庫まで走れ、心臓が破ける手前まで』
『、で、ですが…あの人に見つかったら織田さんは…』

殺される。

『…大丈夫だ。彼奴は餓鬼の割に頭脳に長けているがその癖、餓鬼並みに独占欲が強い。恐らく、奴はお前が他の構成員に存在を知られたくないだろう。それに…若しお前が組織に見つかったら。そうしたら、如何なる』
『…太宰、さんが責められる?』
『違う。そんなこと、奴は幾らでも話を云いくるめられる。…組織が"お前の存在に気づいた"時、組織はお前を如何する』

その時、何も知らない世間知らずの小娘は気づく。
匿われいたが為に気を抜いていた。
一番危うい存在なのは誰なのかを。

途端に焦り始めた彼女に対して織田は冷静沈着で再び世間知らずな彼女に現実を突きつける。

『組織は女だろうと子供だろうと容赦はしない。内部を露見にされることには敏感だ。お前は確実に殺される』

つまり、奴は二度とお前を傍に置いておくことが出来ない。
少なくとも、太宰はそのことを恐れている。

『だからという訳ではないが、太宰は少なからず焦っている。何せ、組織に黙っての集団行動だからな』

何時嗅ぎ付けられるか分からない。


「♪〜〜…♪…お。やあ、やっと出てくる様になったかい?…織田作」
「…太宰、話があ」
「残念だが、今は大切な友人の話でさえ落ち着いて聞いてられる程心は穏やかではない。君も分かっている筈だ」

"私が此処に何をしに来たのか"

太宰の不敵な笑みを見る限り、確かに余計な会話は不要だと云わんばかりだ。
要件だけを迅速に済まし後は連れ帰って扉の鍵が二度と開かない様に厳重に施錠する。
これが、彼の真意だ。

済まない清水、如何やら俺が予定していた時間よりも早く事に終止符が打たれるかもしれない。

「紫琴は何処だ」

ほら、実際問題今この男が見ているのは俺ではなく俺が背にしている倉庫の裏側に居る彼女だ。

「太宰、あの女は人を殺す異能を持っている。つまり、本部に居る構成員が全員殺されるかもしれないということだ」
「織田作…矢張りあの時、部屋に入ったんだね。それはそうか。そうでなきゃ彼女との接触を計らうのは不可能だからね…よりによって気の緩みで無施錠な上に私が不在の時に来るとは」

「…太宰、俺は…、っ!」

織田が口を開き掛けた瞬間、織田の脳内に映像ビジョンが映し出された。己が太宰の黒外套の懐から腕が伸びた時に見えた黒塊を。

その意味を瞬時に理解した織田は即座に現在地から後退した。
その数秒後映像通りに太宰の腕が黒外套の懐に伸びたところで太宰は再び不敵な笑みを浮かべた。

「へえ…天衣無縫か。5秒以上6秒以内の物事を予測する異能」
「…」

一体如何やって太宰の気を晒せるか。


今…銃声が聞こえた。
倉庫を盾に秘密裏に覗き込むとそこで見る光景。
此方こちらを背に向けている先程まで匿ってくれていた赤髪の青年と一体どれくらいの期間が空いていたのかは不明だが久しく見る黒髪の彼。
その彼が、今正に赤髪の青年に黒塊を向けている。…息が詰まる。

あれはーーー、初めて彼と対峙した時に己の最大のものを、己の原点とも呼べる最愛に対して嘲笑うかのように黒く邪悪に光る何処までも不気味な黒塊の引き金を引いた頃の記憶が鮮明に映し出された。

殺される。
即座にそう思った。

何故か分からない。確証はない。
でも、己の正義感か…このような悲劇を巻き込んでしまった彼への罪悪からか、胸の中でストンという音を立てて或る一つの決心が芽生えたのだと思う。

行かなくては。と


ーーーしかし、そういう思い込みが己の欠点ということに早く気づいておけばよかったのかもしれないと今では酷く後悔をしている。


逃げれないことを自覚した織田は所持している銃に触れる。

違う。これは試されている。
太宰治という男に。己を殺そうとする彼の殺意は本物だ。
しかし、俺には分かる。その殺意の奥には何やら年相応なのか不相応なのか判断出来ない表情で「なんちゃって」と言う気でいることを。
…ただ一つの悪い予感は除いて、これは見逃してくれると瞬時に分かった。

予測した。このままやり過ごすことが出来るか。
脳内に基、異能に語りかけた。
すると、後ろから走って来る音を聞いていても分かる位に華奢な恐らくは少女がこちらに向かってくるのを見た。

気付いたら歯軋りをしながら心の中で呟いていた。

悪い予感が当たった。と
天衣無縫は5秒以上6秒以内の未来を予測する。ーー予測してから、もう直5秒が経つ。

それが分かった瞬間と彼女がこちらに駆け出してくる瞬間が同時だったのか、はたまた己が少し遅かったのか…倉庫から彼女の姿が現れた時己は叫んだ。ただ己の切実な願いを聞き入れて欲しいが為に。

来るな!!

ーー今では酷く後悔している。
これが、彼の人間離れした頭脳なのだと。此方たちは悠久、彼の手の上で遊び道具として踊らされていたことを思い知った。
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