「これはまた、派手にやったねぇ…」
「うざいんだよ、こいつら。弱いくせによく吠えるから」

 あたしに背を向けた神威の周りには、円を書くように数分前までは春雨の団員であったのであろう肉片が散り散りになって散乱している。誰のものなのか見当もつかない眼球筋から飛び出した目玉の瞳孔がひとつ、こちらを見ている。正直、それに見つめられるのは夜兎のあたしと言えども決して気持ちのよいものではなかったので、とりあえずカンフーシューズの底で潰しておいた。ぐちゅ、という既に聞き慣れたなんともグロテスクな音を立て、それはあたしの体重と靴の底で原型を失った。カンフーシューズは後で新しいものを卸すことにしよう。

「俺が自分たちと同じ夜兎だって知ってるくせに、俺を化け物化け物ってうるさいんだよ」

 そう言って神威は血の付いた左手で目を擦った。どうやら、闘っている最中に珍しく相手の血液が目の中に入ってしまったらしい。

「…そんなパコパコ同胞殺ししてたら、冗談抜きでほんとにあたしら絶滅しちゃうよ」
「こんな奴らと同族なんてこっちから願い下げだね。こんな夜兎の力の半分も引き出せてない奴らなんてどうせすぐ死ぬんだから。だったら俺の足を引っ張らないうちに早く死んだ方がいいよ」

 左手をどかした後、少し見えた神威の左の目元と頬はそこに傷があるわけでもないのに、掠れた赤い血液が無数のラインを引いていた。それが髪の毛の間から見える蒼い瞳を妙に際立たせている。深海のように底の見えない鈍いきらめきと計り知れない何かがそこにあるような気がして、見る者を虜にして捕らえてしまう。綺麗というよりも、それは深い戦慄を兼ね備えた美しいものだった。

「そもそも俺を化け物扱いするなら同じ夜兎の奴らだって化け物じゃないか。ただ自分たちはその力を出し切れてないだけなのにさぁ」
「…」
「俺が強いんじゃない。こいつらが弱いだけなのに勝手に俺を化け物扱いされちゃたまんないよ」

 すると神威はゆっくりとあたしの方へ足を進める。その顔はいつもの神威の顔。ぺたりと貼り付けた彼の作法の笑顔。神威が歩く度に水気を含んだ音が直接鼓膜を刺激する。嫌な音だ。

「周りの奴らはみんな俺が恐いって言うよ」

 目の前で止まった神威はその血にまみれた右手をあたしの前に突き出す。付着した血液が乾燥して所々赤黒くなっていはたが、まだ乾いていない血液は重力に従ってあたしの左胸とカンフーシューズの上にぽたりと落ちた。蒼い神威の瞳がこちらをじいっと見つめている。

「あんたも、俺が恐いか?」

 そして神威は真っ赤に染まった右手を私の頬へ近づけゆっくり撫でた。自然と神威の右腕から滴る誰のとも判らない血液が私の頬や服に付着する。ぬるりとした液体の感触が頬から顎にかけて重力に従いゆっくりと伝っていく。血液独特の鉄のような臭いが鼻をついた。

「…恐いよ」
「…。そう。」

 私が答えると神威は表情を変えずに私の首に手を添え、頬に顔を近づけて付着した血液を舐めとった。血液とはまた違う、生暖かいぬるりとした感触。神威の唇は暖かい。それがそのまま首筋に降りてくる。

「俺は今、すぐにきみの喉を食いちぎるかもしれないしね」
「…夜兎の神威はこわい。でも…、人の神威はこわくない」
「…。言ってる意味がわかんないんだけど」
「…夜兎の本能に支配された神威は恐い。でも、人の心の神威は恐くないよ」

 そしてあたしは神威の頭に手を回し、その顔が血液で汚れないように自分の右肩に引き寄せた。

「だってこんなに苦しんでる」

 その手を振り払われるかと頭を過ぎった一瞬の危惧はすぐに杞憂に終わる。神威の綺麗な桃色の髪は素直にあたしの指を受け入れた。

「…はっ、奇麗事ばかり言ってくれるね」
「嘘じゃないよ」
「……。あんた、馬鹿なんじゃないの」
「あたしは恐くないよ」
「…」
「神威」

 すると神威はあたしの左肩の付け根の部分を握り締める。それは、まるで抱きしめる術を知らない子どもが何かに縋る姿のようだった。赤い5本の指でチャイナ服を握り締めているため、先程チャイナ服に着いた血痕がまたじわりとその赤を広げている。

「…昔からそうだった」
「うん…」
「化け物とか怪物だとか。自分たちだって夜兎のくせに俺が強いからって、妬んで、除け者にして」
「うん…」
「陰口は、もういい加減聞き飽きたよ…」

 ふと右肩がじわりと暖かくなったのを感じて、あたしは神威の背に手を回した。血液ではない暖かなその液体が、あたしの服をワントーン暗い色へと変えていく。
 その赤ではない透明で暖かな液体は、神威が人であることの証だった。だってこんなにも苦しみながら、神威は人の心で人を愛そうとしているのだから。


きみの真珠に
溶かしておやすみ


20100606