土方さんが死んだ。
 出張、というか、つい先日お上からの命令で函館に行ってほしいと言われた土方さんはそれを断るはずもなく、すぐに出かけていった。そこで攘夷志士に奇襲され殺されたらしい。なんとまぁ、あっけない最後だ。その知らせを聞いたときの近藤さんや副長補佐の彼女は見ていられなかった。真選組内も水を打ったように静かで厳かな雰囲気や静閑さを通り越して気持ちが悪かった。ああ、なんだかなァ。あの人の息の根を止めるのは俺だと思ってたのに。俺の知らないところでばったりと死んじまった。ぽっかりとしたこの気持ちのを何と呼ぶのかは知らないが、土方さんが死んでから認識できるようになった感情はふたつある。ひとつはさっきも言ったぽっかりとした気持ち。もうひとつは、何と言えばいいのか、全く判らなかった。

「ちょ、総悟、何するのっ…」
「何言ってんでさァ。男が女を押し倒してやることは一つしかないだろィ」
「なんで、こんな事、ひっ」
「よく判んないんでさァ。でも、」
「やだっ、やめ、…」
「判ってんのはあんたが欲しいってことでさァ」

 土方さんが死んでから認識できるようになった感情のもうひとつは、彼女が欲しくてたまらないという気持ちだ。今までこんな事などなかったのに。
 彼女は土方さんの大切なひとだった。自分の補佐役だから関わる機会が多く、そのためたくさんの接触をしたという意味でも間違いはない。だがあのふたりは上司と部下以外の関係を持っていたのだ。それこそ、男と女の。それは周りも自然と理解していたようで局中法度にも隊士同士の色事に関しては記されてもいなかったため、なんというか、暗黙の了解というか、既知の事柄だった。かく言う俺もそれを諒解していたひとりで土方さんをからかうことはあるものの、心の奧ではふたりの関係がずっと続くことを望んでいたのだ。望んでいた、はずだった。なのに。なんで。

「んっ、はぁ…」
「随分と色っぽい声出すもんですねィ」
「そ、ごっ。…やめ、あぁ、」
「いい声で啼きなせェ」

 どうしてだ。土方さんが死んでから急に彼女が欲しくてたまらなくなった。今まで彼女にこんな感情を抱いたことなど一度たりともなかったというのに。

「…あっ、んん」
「自分でも判んねェんでさァ…」
「は、あん、…やぁっ…」
「どうしてこんな気持ちになったのか…」

 きっとこの感情は土方さんが死んだことで表に出てきてしまったんだろう。今までは自分でも彼女の事がすきだなんて意識しなかったのだ。なのに土方さんという障害が消えたから、俺は、思ってしまったんだ。土方さんがいなければ彼女を俺のものに出来る、と。
 彼女の四肢は白く滑らかで美しく、俺の理性を煽るには十分すぎるほど堪能的だった。土方さんの前でも、彼女はこんなにも艶やかな声で淫らに啼いていたのだろうか。

「あぁ、…ひっじ、かた…、さんっ…」
「…っ」

 彼女が俺ではない名前を呼んで果てたのと同時に、俺も意識を手放した。その原因は決して情事の昇ぶった興奮からではなく、彼女の口から漏れた名前に落胆したためなのか。






「…ん、」

 目を少し開けたら太陽の光がうっすらと見えた。小鳥のチュンチュンという鳴き声、障子の隙間からは朝日が差し込んでいる。時計を見上げれば午前6時34分。いつもであれば、この時間は土方さんと有志で集まった数人の隊士が朝稽古をしている時間だ。だがさすがに今日は行われていないらしく、静かな朝の空気がじんわりと漂っている。ふと隣にいるはずの彼女を視界に入れようとしてはっとした。彼女がいない。乱れた布団の周りには脱ぎ捨て乱れた自分の着物だけが寂し気に放置されているだけだった。

「……どこ行ったんでィ…」

 とりあえず布団から出て着物を着る。彼女を探しに行かなくては。昨日の今日で彼女の思考や精神がどうなっているか判らない。もしかしたら街にふらふら出歩いて車に牽かれてしまうかもしれないし、崖から身を投げるかもしれない。とにかく彼女の安否を確認しなければ。

「……総悟。」

 焦るあまりものすごい勢いで障子を開けると、目の前に彼女がいた。裸足で廊下に立ちった彼女の白い着物から覗く首もとに昨夜の俺が付けたと思われる赤い跡が無数に残っていた。傷悴しきった表情は普段のしなやかさの欠片も無かったが、まだ生きている彼女を確認してほっとする。それと同時にその両腕に握られているものを見てそれがさす意味をすぐに諒解した。

「俺を斬ろうってんですかィ」

 彼女の両腕に握られているのは彼女の愛刀。細身ですらりとしたそれは朝日を浴びてき らりと鈍く銀色に輝いている。彼女はそれの手入れを欠かしたことがなく、その切れ味は天下一品を謳われる代物だ。

「それなら俺は受けて立ちまさァ」

 これは勿論彼女を馬鹿にして言っているのでない。彼女の実力は今までずっと一緒に戦っていたため嫌というほど見てきた。女性の身にも関わらず大男をばたばたとなぎ倒す彼女を初めて見たときは驚嘆のあまり、思わずため息が漏れたくらいだ(もしかしたら俺はその時にすでに彼女に惚れていたのかもしれない)。

「…あんたと戦う気なんて、毛頭ないわ」

 絞り出された彼女の声は掠れいつもよりも幾分低かった。俯き加減のため前髪が瞳を覆っていたが、なぜがその瞳に不穏な気迫を見て取ることが出来た。

「じゃあ何をするって言うんですかィ」
「戦わない刀の使い道なんて、一つしかないじゃない…」
「へェ?」
「…あたし、…土方さんのところにいく…」

 そう言うと彼女は刀を鞘から抜き自分の首元に添えた。まずい、と思ったときはもう遅かった。彼女が生きていた場所には鮮血が散り、白かった着物は鮮やかな紅に染まっていた。

「…、あ…」

 彼女だったものを茫然と見つめる。彼女だった体から溢れ出した赤黒い液体。それを左手で掬うと俺の手はすぐに赤く染まり鉄の匂いが鼻についた。彼女の血液は今まで斬ったどの人間の血液よりも美しかった。彼女の鮮血は、今まで見てきたどの赤よりも、美しかった。






---------
リクエストで書いたもの。気に入ってます
20090812