「あんたが神威?」

 彼女と初めて会ったのは家族を捨てた俺が春雨に入団してすぐの事だった。
 第七師団の団員たちとの顔合わせが終わった後、俺は鳳仙の旦那にすぐに彼女の元へ行くように言われた。旦那曰わく、俺と同じ夜兎の彼女はまだ春雨の勝手の判らない俺の面倒見係り兼躾係らしい。彼女は長い黒髪を引っ詰めにして腕を組み深い赤のチャイナ服を着ていた。品定めするように鋭い目が俺を見つめている。彼女は俺より3つ年上で当時13歳だった俺にはずいぶん大人びて見えた。春雨なんて物騒な団に所属しているくせに見た限りではそのしろい肌に古傷は見当たらなかった。どうやら女の割には強いらしい。

「あんた強いの?」
「…。あんたね、口の利き方も知らないの?質問には答えなさいよ」
「強いの?弱いの?」
「……あんたよりは強いわよ。三つ編みくん」
「そっか、じゃあ楽しませてよ」

 大層な物言いの彼女に強さを感じ取った俺は直ぐに彼女に殴りかかった。しかしそれはいとも容易くかわされ、情けないことに逆にカウンターを食らい腕を縛り上げられ動けなくなってしまったのだ。

「あら、減らず口の割にはあっという間だったけど。楽しめたかしら?三つ編みくん?」
「…あんた、強いんだね」
「甘く見てもらっちゃ困るわ。これでも第七師団副団長なんだから」
「…あんたの言うこと聞いてれば、強くなれるの?」
「素直に聞いていればね」
「…判った」

 それから俺は彼女と行動を共にした。最初は嫌々だったのものの、反抗したところで彼女に勝つことが出来ないのは初対面の時に明らかになっていたので、大人しく彼女の言いつけだけは守ってきた。それから一緒に時間を過ごすうちに俺は彼女という人に次第に好意を持つようになった。今思えば、それは恋愛感情にも似たものだったのかもしれないし、家族愛のようなものだったかもしれない。とにかく暖かくて柔らかで心地いい安心感にそれは似ていた。彼女はいつも俺の傍に居てくれた。まだ本格的な戦術を知らなかった俺に戦い方を教え、寂しい時には黙って隣に居てくれる。
 そんな彼女を俺は慕っていくようになって、彼女も俺を可愛がってくれてくれた。家族を捨てた俺にとっては皮肉な話だが、まるで仲のよい姉弟のように過ごした。彼女の事ならきっと俺以外に詳しい奴なんて団員の中にはいないのだろう。呼び捨てにされるのが嫌で必ず副団長と呼ばないとすごく怒るとか、色は赤が好きだとか、良くできたら頭を撫でて褒める癖があるとか、夜兎のくせに意外と涙もろいだとか。
 馬が合うとはこの事なんだろう。彼女とは本当に仲がよかった。本来の言葉の対象とは違えども、家族を捨てたも同然の俺にとって、彼女は最愛だった。

「神威はA地点に、阿伏兎はその左側のC地点。あたしはその両方を後方からバックアップする」
「了解」
「…」
「…神威?」
「…あ、ごめん、考え事してた」
「オイオイ大丈夫かぁ?お前さんが考え事なんてよォ。しかも大好きな戦いの場に来てるってのに」
「うるさいよ阿伏兎」
「神威、本当に大丈夫?」
「やだなぁ副団長まで。なんともないよ」
「ならいいけど、」

 そうだ、ここは戦場だ。断末魔やの悲鳴や火の手があちこちから突拍子もなくあがる戦場だ。15歳になり戦場での戦い方を覚えた俺は春雨の前線で戦う事が出来るほど強くなっていた。それも全部彼女のおかげ。今回この戦いの指揮を執るのは彼女だったから、俺はいつも以上に張り切っていたはずなのに。なのになんで急に昔の事なんかを思い出してしまったんだろう。全く俺らしくもない。

「じゃあ、それぞれノルマを達成したら深追いしないで必ずここへ戻ってくること。今回の奴らはそれなりに強い奴らだから油断しないで」
「ヘイヘイ。了解だ、副団長さんよ」
「特に神威は前線経験が少ないから深追いしないように十分注意して」
「やだなぁ、判ってるよそれくらい」
「約束よ?」
「俺が副団長の言うこと聞かないことがあった?」
「初対面のときは聞かなかったでしょ」
「あれは不可抗力」
「何言ってんのよ。そういうのを屁理屈って言う、」
「オーイ。仲良さんなのは構わねェけどよォ。そんな事してっと敵さん来ちまうぞ」
「あ、ごめん。じゃあ散って!」

 副団長の号令と共にそれぞれが各方面へと走り出す。一応、副団長にはああ言ってはみたけど、実際に戦場に出たときの俺の夜兎の本能というものは、俺の感情に関係なく暴走してしまう。理性が夜兎の本能に喰われてしまうのだ。それも自分では抑えられないくらいに。

「神威!!」

 だからまさか俺が自分のノルマを超えて敵側に深追いしている事に気付けなかったのだ。彼女が視界に入るまでは。

「ばか…っ、深追いするなって言ったでしょ…」

 ふと気付いたときは後方にいるはずの彼女が俺に背を向け目の前にしゃがんでいる。その前には巨大な敵。状況が判らず彼女の方を見ると太く鋭い槍が彼女の胸を突き抜け背中を貫通し、その先が赤い血液で染まっていた。それを確認した瞬間、彼女が右腕を抜く動作をすると巨体が音をたてて倒れた。どうやら彼女の右腕がその巨体を一撃で貫通させしとめたようだ。敵が死んだのを確認すると彼女はくるりと振り向いた。呼吸が荒く、整った顔には無数の血痕があった。

「あたしの、言うこと、はちゃんと聞くんじゃなかったの…?」
「え?何言ってるのさ。俺はちゃんと副団長の言いつけを守って、」

 そこまで言ったところでいきなり副団長に腕を掴まれた。さっきの敵の血液の少しどろりとした感触が肌を滑る。

「ばかっ…あんたは戦いに夢中になって我を忘れて敵陣の中に突っ込んだのよ!…あたしが、ここまで振り切って連れてこれたからいいものを…」

 ふと自分の両腕から下を見ると、白いはずの包帯も青いチャイナ服も元の色が判らないぐらいに赤黒く染まっていた。ようするに、こういう事なのか?どうやら俺は身の程を知らずに大勢の敵の中へ突っ込んでしまったらしい。そんな俺を副団長が助け出してくれて安全だと思われる場所まで連れてきてくれた。だから副団長はこうして俺の目の前にいるわけで、だからこうして怪我をしていて……あれ?

「どうして怪我なんかしてるの?」
「うわ…なんか、すごいムカつく…」
「もしかして、俺のこと庇ったの?」
「…それ以外に、なにがあんのよ、ばか、」
「……、」

 副団長が、俺を、庇って、だって?なんで副団長がそんな事をするのさ。俺はもちろん、春雨の奴らは同朋を庇ったりなんかしないのに。ふと頭の中でそんな事を考えていたが、彼女の咳の音で我に返る。彼女の咳には赤いものが混ざっていた。

「あー…死にそう…」
「何言ってんの副団長。副団長が死ぬ訳ないじゃん」
「ばか…さすがのあたしでも…こんなん、されたら死ぬっつの…」
「え?」
「死ぬよ、あたし…」
「しぬの…?」
「…たぶん、」

 その事を聞いた途端、無意識のうちに彼女の両腕を掴んで向かい合わせの状態にする。もちろん文句を言ってやるつもりだった。だって彼女は強いのだから。俺を庇ったせいで彼女が死ぬなんてありえない。
 しかし両腕を掴んで向かい合わせにした彼女は力無く俺の胸元に倒れ込む。さっきよりも呼吸が小さくなったと感じたのは気のせいではなかった。

「かむ、い…」
「どうしたの?なんで俺に寄りかかってきてるの?副団長らしくな、」
「強く、なって…、」

 普段の彼女からは想像も出来ないほどの小さな声だった。掠れ気味の声が吐息とともに冷たくなった唇から紡ぎ出される。

「夜兎の、…本能に、喰われないぐらい…強く…」
「副団長?」
「…もっ、と…あんたの傍にい、てやりたかった…」
「え…?」

 そう言うと彼女は力が抜けたようにだらりと俺に寄りかかってきた。さっきまで聞こえたはずの呼吸の音はもう聞こえない。

「副団長?」
「…」
「…いや、だ、…」
「…」
「死なないでっ、」

 あんなに嫌がっていた名前で呼んでも、彼女はもう言い返してこなかった。








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神威の年齢は激しく捏造。

20091006