「子どもは2人欲しい」

 この季節独特の、まさにスカイブルーと呼ぶに相応しい青と某アニメーション映画の天空の城を隠すような大きな入道雲。その中心でコンクリートをジリジリと焦がす太陽が躊躇うことなく己の存在を誇示している。静かな空間に響く微かな蝉の声。クーラーが無いために開け放たれた窓から流れる風が日差しで黄ばんだカーテンをふわりとはためかせた。机の上に放置された参考書やプリントがそれに合わせてパラパラと捲れる。
 何てことない、平凡な天気の良い夏の午後3時の高校の教室。そこに伊達と私の2人きり。

「あたしも2人かなぁ。でもね、子どもの数は3人が1番いいらしいよ」
「Ah?何でだよ」
「2人だと喧嘩したらそれっきりになっちゃうけど、3人だと奇数だから人間関係が2人より複雑になるじゃん。だから子どもの成長にいいんだって」
「Indeed…まぁ、判らなくもねぇな」

 そう言って伊達は口元に手を添える。それがあまりにも絵になるもんだから、伊達に特別な感情がない私もついつい見とれてしまう。
 午前中に定期テストが終わり、いつもより早い帰宅に心躍らせながら生徒たちは家路へ着く。以前は私もそのうちの1人だったが家ではどうしても睡眠やネットの誘惑を断ち切れないため、こうして教室に残りテスト勉強をしていた。雰囲気に呑まれるためか、やはり家とは違い教室は集中できる。

「Oh,なにしてんだ?」
「あ、伊達」

 英語混じりの聞き慣れた低い声。今日はもう外からは開くはずがないであろうドアの方を見ると、引手に手をかけた伊達がこちらを見ていた。反対の手にはどこかの大学の資料らしきものが握られている。

「家じゃ集中出来ないから学校で勉強。伊達は?」
「進路の事で担任に呼ばれてな」

 伊達は私の前の席の椅子を引いて横座りをすると、私に抱えていた大学の資料を見せる。どれもそれなりに偏差値の高い有名大学の資料ばかりだ。

「うわ、すごっ。伊達はここらの大学に行くの?」
「さぁな。まだ分かんねぇよ。自分の進路なんて」

 この季節に進路の話が出ると、私達に限らず自然と会話は大学の事から自分の進路など様々な話しに派生していく。一人暮らしへの憧れや大学でやりたい事、将来はこんな大人になっていたいという希望や理想を飽きることなく話し続ける。
 もともと私と伊達は気の合う友人である。ましてや今は嫌でも進路を意識させられる受験にぶつかる高校3年の夏だ。それに気心の知れた友人と将来の話をすれば大学から成人、社会人への話題になるのは自然な事である。もちろん、結婚の話もまた然り。そして冒頭の伊達の台詞に戻る。

「どうして伊達は子どもは2人がいいの?」
「2対2でそれぞれに親が構ってやれるだろ」
「バランスがいいって事?」
「そうだな。出来るだけさみしい思いはさせたくねぇだろ」

 私は女で伊達は男。だが、あくまでも私達は友人なのである。そのため私からすれば伊達と結婚の話をする事と、女友達と“25歳までには結婚したい”とか“子どもの名前は旦那さんと自分の名前を合わせたものがいい”とか、どこまでが本気なのか判らないあやふやで不確かな可愛い話をするのとそう大差はないのだ。なぜならこれは18歳の夏の友人同士の会話の流れとして、ごくごく自然な成り行きなのだから。理想的で夢見がちな可愛い未来の話。まぁ、今思えばこんな話が出来るのは良くも悪くも現実を知らない10代の特権なのだけれども。

「自分の子どもは大事にしてぇんだよ」

 カーテンの隙間から爽やかな青と白が見える午後3時の教室で将来の事を話した、あの18歳の夏。伊達は私の前で優しく笑っていた。








 寄りかかるソファーからちょうど見える窓の外は綺麗なスカイブルーを映し、大きな入道雲がそれを少しだけ隠していた。地球温暖化のせいで太陽の光はここ数年で少し強くなったように感じる。耳をすましてもあまり聞こえなくなった蝉の声。飛行機雲が一本、空を切るように浮かんでいる。ゆるりとした風が白いレースのカーテンを揺らす、何てことない平凡で典型的な夏の午後3時。こんな夏の風景は今まで何度も見てきたというのに、思い出すのは、なぜかあの18歳の夏。

「なにしてんだ?」

 おしゃれなグラスに入ったアイスティーをテーブルに置きながら伊達が尋ねる。コースターはアジアンティストのこっくりとした茶色。伊達は料理だけじゃなくお茶を煎れるのも上手い。

「ねぇ伊達」
「Ah?」
「私ね、しあわせって、目に見えないもんだと思ってた」
「Ah,ドラマとかでよく言うよな。“大切なものは目には見えない”ってやつだろ」
「そうそう。私もずっとそうだと思ってたんだけど、」

 カラン、とグラスの中で氷が鳴った。私はこの小気味良い音がすきだ。

「目に見えるしあわせもあるんだね」

 伊達は私の隣にゆっくりと腰を下ろす。その左手の薬指にはまる銀色の指輪。サイズは違えど、私の左手の薬指にはまるそれと同じもの。

「…いい加減、伊達って呼ぶのはよせよ」
「ふふっ、だってもう癖なんだもん」
「お前ももうすぐ伊達になんだろーが」
「そうなんだよねぇ…」

 その言葉がこそばゆくて、ふと隣の伊達に笑いかけた。するとそれと同時に頬に添えられる大きな手。真夏のマンションの一室でゆっくりと重なった隣の体温を唇に感じながら、その左手に自らの手を添える。左手の薬指にある、金属のひんやりとした感触がとても心地いい。

「子どもは2人欲しい」

 伊達の声はとても優しい。この秋、私達は結婚する。


カーテンの隙間から
日差しとともにこぼれ落ちたあの夏
PM 03:00





20100502