黴くさい畳の臭いだ。
 俺たちの陣営は今や誰もいない古びた大きな寺だった。戦争なんか下らないと投げ捨ててしまえたらどんなに楽か。ぎちっ、と人間2人分の体重に床が軋む音がした。縁側から見える空は嫌味なくらい青く、そこから吹いてくる風が――こんな状況で一体誰がどこから持ってきたのだろうか――吊してある風鈴を鳴らした。静かな一室に響いたチリーンとした音は、虚しさだけを残してすぐに消えていく。

「バカなの?」

 畳と汗の匂いだ。手をついた畳と自分の手の隙間に僅かに挟まる長い髪。男のそれとは違い、こんな状況でも艶が消えることはない。
 覆い被さった自分の腕から汗が一筋、つぅと流れるのを感じた。言うまでもなく、背中も首筋も腹も、小さな水滴が皮膚に貼り付き、その感覚が少しだけくすぐったい。

「馬鹿なのはお前だ」

 俺の腕の下で一瞬だけ怪訝そうに顔をしかめたコイツの額にもうっすらと汗が滲んでいて、舐めたら冷たさを感じるのだろうかと妙な期待をしてしまう。唾を飲み込む度に上下する濡れた喉が艶めかしい。

「バカにバカなんて言われたくない」
「事実だろ」
「あたしはこんな事をしてる銀時の方がバカだと思うけど、」

 そう言って少し挑戦的に俺を見上げる瞳には、まだ余裕の色が見て取れた。流石はこうして押し倒されているにも関わらず、軽口を叩くだけのことはある。

「銀時が戦の真っ最中に仲間に手ぇ出すような男だとは思わなかった」

 果たして、その余裕は俺への見縊りか、はたまたただの虚勢か。

「仲間じゃねェよ」

 瞬間、組み敷いたコイツの汗をかいた喉がぴくりと動くのが見えた。刹那、息を呑んだその呼吸は止まる。自分の手のひらの汗で畳がじんわりと湿るのが判った。

「お前は女だ」

 その時の目を見開いたコイツの顔。それを遮るようにその桃色の唇を塞いだ。その柔らかさを堪能するのと同時にその身体が固く強ばるのを感じた。

「仲間じゃねェ」

 コイツはこの攘夷戦争の中で己が女だという事を最も嫌悪し、また恐れていた。理由なんて、言わずもがな。それ故に、周りの人間たちはコイツが戦に加わることを拒んだ。しかしそんな理由で折れるような奴ではないことも、また事実であった。
「鎧を着たら男か女かなんて戦場で判るはずがない」。それがコイツの言い分だった。女である事が、男でない事が他の奴らに引けを取る理由にはならない、と。
 ただ、コイツもここにいる連中と同じ、自分の国を守りたかっただけで。

「何すっ…銀時っ…」
「いいから黙っとけ」

 しかしいくら鎧を着るからと言ってその小さな身体では男か女かだなんて、一目瞭然だった。鎧を纏った所で、やはり女であるリスクは消えない。詰まるところ、いくら刀を振り回そうが大仰な鎧を纏おうが、結局あいつは女なのだ。
 毎回自力でどうにか逃げ出しすものの、何度も刀傷とは違う危険にも晒された。その度に、この胸を駆り立てる不安と言ったら。最悪の事態を考えると冷静ではいられない自分が酷く腹立たしかった。
 しかし、それを壊せば、もうこんな恐怖に冒されずに済むのではないか。

「銀時っ、やめ…」
「うるせ、」

 ふと、このまま自分の下にいる白い首を締めたらコイツは死ぬんだろうなぁ、という考えが頭を過ぎった。そう言えば、男がその気になれば女の首なんてすぐに折れてしまうという話を聞いたことがある。
 汗を吸った着物はしっとりと湿っていた。白い肌に浮かぶ汗の粒が無駄な抵抗と共に揺れて、畳の上に落ちた。

「あぁっ…」

 別に殺しちまおうってわけじゃあない。ただ犯しちまうだけ。いつか他人に壊されるくらいなら、いっそ自分で壊してしまった方が幾分か気分は軽い。得体の知れない恐怖からも、きっと何もかも解き放たれる。

「やだっ銀時っ…」
「うるせェ…」

 意識の向こうで風鈴が鳴っている。コイツの喘ぎ声だけが鮮明になる。

「ぎんっ…」

 簡単なことだろう。壊してしまえ。








20100908