「……神威…」

 あいつの声が聞こえるなぁ、なんて思って目をひっそりと開けば朧気ながらあいつの顔が見えた。この角度からして、どうやら俺を覗き込んでいるらしい。いわゆる膝枕ってやつ?…あれ、どうして俺はあいつに覗き込んまれる姿勢になっているんだろう。

「神威」
「ん、なに?…」
「あら、意外。まだ意識あったんだ。さすがは第七師団団長。口だけじゃないのね」

 何を言っているんだ。意識はあるに決まっているじゃないか。意外だって?意識があるだって?まるで死にかけの奴にかけるような言葉じゃないか。

「左胸痛まない?」
「は、なに言って、…」

 自分の左胸に手を添えると、そこはいつも感じるぬるりとした赤黒い生暖かい液体じみたもの。ただ一つだけ違うのはそれは他人のモノではなく俺自身のものだということだった。

「…なんだこれ」
「地球の人間が開発した対天人用射撃。それをさらに夜兎専用に改造したもの。で、あんたは撃たれたの。覚えてないの?」

 こいつの言葉の意味を理解していくうちに、朦朧とした意識の中でその光景がフラッシュバックしていく。春雨と向かい合った大勢の地球軍の真ん中に陣取った巨大な大砲。その中に白い光が集まり始めたかと思ったら…。もうそこから後の記憶が思い出せない。

「俺、撃たれたんだっけ?」
「そう。でも直接撃たれてまだ死んでないのはあんただけよ。流石よね」
「じゃあ…、なんでお前は生きてるの。見たところ、外傷は見当たらないけど」
「大砲が発射される直前に阿伏兎が庇ってくれたの。そのせいで阿伏兎は死んじゃったけど」

 こいつの話によれば天人用の大砲を放った後、地球軍は大砲の副作用を恐れ直ぐに撤退したらしい。つくづく地球人は馬鹿だと思う。敵の生死を確認しないで引き上げるなんて戦場ではありえない。引き上げるってのは敵がちゃんと死んだかを確認してからするものなのに。そして阿伏兎のおかげで奇跡的に助かったこいつは、近くに俺が倒れているのに気づき、壊れかけた船艦の隅まで運んできたという。その時は生きているなんてこれっぽっちも思ってなかったらしいけど。

「ふーん…。そうなんだ。じゃあ、みんな死んだんだ?」
「うん。死んだ」
「生きてるのは俺とあんただけ」
「うん。でも、」
「“あんたももうじき死ぬ”って言いたいんだろ?」
「うん」

 あーなんなんだこの気持ち。この俺が死ぬ、なんて。しかも馬鹿な地球人の汚い手によって。そもそも戦いっていうのは近距離でやるものじゃないのか。特に江戸の奴らは侍とか武士道とかっていって刀を使う戦法だったはずなのに。全く、奴らも墜ちたもんだと思う。己の戦い方にプライドも持てない下等生物。そんな奴らの手に掛かって、俺は死ぬのか。

「痛いな…」

 もう一度左胸に触れると一部の血液が固まりだしているのにも関わらず、血はとめどなく流れている。あーあ。止まんないかなこれ。

「そっか。俺、死ぬんだ」
「うん」
「ふーん…」
「…神威」

 手を伸ばしてあいつの手に触れる。俺よりも白くて柔らかなその肌は暖かく血が通っている。手首を握ると脈がトクトクと確実に鼓動を刻み、こいつが今生きているという事を肌越しに改めて感じさせる。それは今の俺がその状態でないからか、それとも生きている奴の脈拍をこうしてゆっくりと感じる機会がなかったためかなのかは判らないけれど。なぜか無性に人肌が恋しくなって、こいつの手を握る。
 あ、やっぱあったかい。

「あのさ、」
「うん」

 こいつの手を自分の口元に近づけて口づける。こいつの手の温度と自分の唇の冷たさに少し驚いた。

「すきだよ」
「うん。あたしも」

 口づけた手のひらを今度は左胸の所に持って行く。所詮は気休めだ。気休めだけど、今ぐらいは気休めに頼ってもいいかもしれない。こいつの手だったら少しはこの左胸の冷たさが和らぐような気がした。

「ねぇ」
「うん?」
「“愛してるよ”って、こういうときに使うもんなのかな」
「わかんない。でもすきじゃ足りなくなったら使ってもいいんじゃないかな」
「そっか」
「うん」
「愛してるよ」
「うん、あたしも、」

 そう言うとこいつは身を屈めて俺の唇にそっと口づける。その唇がさっきよりもさらに暖かく感じたのは、俺がさっきよりも冷たくなったからかもしれない。だってこいつの涙でさえ暖かく感じるのだから。

「あいしてるよ」

 鳳仙の旦那は俺が自分と同じ最期を迎えると言っていた。確かに俺たちの歩いた道には炎に煙、断末魔に赤黒い血液とそれの発する鉄の匂いと屍しかないのかもしれない。そして最期はお互いに愛しい女の膝の上で死ぬということ。
だが決定的な違いがある。
鳳仙の旦那は日輪という太陽を素直に受け入れ、俗に言う“お天道様”とも仲直りってやつをした。だけど心の底から求めていた日輪には結局片恋のままで終わったのだ。けれど、俺は違う。
 俺には愛しいと思う女と、お互いに愛し合っていたという揺るぎない事実。




呼吸することをやめたひと





(おやすみなさい…)

20090624