「うわぁ…!」

 見渡す限り、視界一面に広がる銀色。それにフィルターをかけるように重なる広い私の息を見て、早起きしてよかったなぁと思わず笑みがこぼれてしまう。太陽に反射してキラキラと光るそれはまるで宝石のようだ。ここまでくると、なんだか、どこまでもどこまでも続いていそうな気がしてくる。昨夜はいつもより寒い夜だったが、まさかこんに雪が降るなんて思ってもみなかった。まるでキィンという効果音が聞こえてきそうな冷たい空気が頬を撫でる。きっと赤くなっているのだろう、鼻の頭と頬の高い部分が少しだけ痛い。踏み出せば無垢な銀色の中に少しだけ足が沈むのと同時にザク、という鈍い音。

「銀世界だぁ…」

 誰に言うでもなく、ただぽつりと呟いた。紡いだ言葉はすぐに冷たい空気に溶けて消えた。少し感傷的になってしまったのかもしれない。
 そんな事を思った次の瞬間だった。

「うぎゃっ!」

 閑静な銀世界になんとも似つかわしくない濁音。それと同時に顔いっぱいに広がる冷たい雪の感触。もう少し先に行ってみようと思い、右足を浮かした瞬間、いきなり背後から何らかの衝撃を食らった。そんな私はギャグマンガのいじられキャラよろしく前のめりの体制になり、真正面から雪に突っ込んだのだ。

「なんだぁアンタか。ずーっと突っ立ってるから案山子かと思って雪玉なげちゃったよ」
「っ…だ、団長、痛いんですけど…」
「えぇ?さっきの雪玉はすごく力を抜いて投げたのになぁ。全く、これだから人間は」

 顔に付いた雪を幌いながら後ろを振り向くと私に近づいてくる赤毛の男、もとい神威団長がケラケラと笑っている。ちくしょう、この人絶対わざとやってるよ。絶対力抜いてなんかないよ。それ以上笑うと右手に持っている折り畳まれたその傘かち割りますよ?(団長曰わく、夜兎地球の冬で太陽が低い位置にある時は太陽の光も弱いので傘をささなくても大丈夫らしい)

「あーでも案山子は細っこいからアンタとは似ても似つかないね」
「ちょ、確かに最近体重2キロ増えちゃいましたけどね?何もそんな直球投げなくてもいいんじゃないですか?何なんですか。もしかしてさっきの雪玉とかけてるんですか?」
「ははっ、中身のない頭にしてはうまいこと言ったね」
「ちゃらんぽらんの団長にだけは言われたくないです」
「殺すよデブ。あぁ、そもそも案山子をデブ呼ばわりしちゃ失礼だね。案山子に謝らないと」
「いやいやいや。まずは私に謝って下さいよ」
「しかも雪まみれでブサイクな顔がますますブサイクになったね。やっぱり案山子の方がまだましだなぁ」
「人の話聞いてます?」
「うるさいよブス」

 我等が第七師団団長の神威さまは相変わらず人の話を聞くという技術が身に付いていないらしい。そんな団長に噛み合わない話をすっとするのは無駄だと知っている私はそこで話を切り上げた。そして再び一面の銀色に視線を戻す。

「ところでさ、アンタはここで何してたの?」
「いえ、ただ歩いていただけで。特に何か目的があった訳じゃないですけど…」
「ふーん。暇人だね」

 あんたもな、と心の中で悪態をついていると、ふと団長はゆっくりと空を見上げた。そして一度、ゆっくりと瞬きをした。それに合わせて団長の胸が微かに上下する。団長の薄く開いた唇から少しだけ白い吐息が漏れたのが見えた。艶やかな三つ編みも揺れた。
 一瞬、眠っているのかと思ったくらいだ。その仕草が普段の団長からはとても想像出来ない優雅で上品なものだったので、不覚にも私はどきりとしてしまった。

(この人も、こんな表情をするんだ…)

 そんな団長を見てふと私は思う。そう言えば、団長たち夜兎族は普段は傘をさしているので視界に入る空の半分以上は傘に覆われてしまっているんだ。もしかしたら今、団長は遮断のない空を堪能しているのかもしれない。この瞬間、団長の空はその視界いっぱいにどこまでも広がっているのだろうか。

「白いね」
「…そうですね」
「俺とアンタ以外何もいないね」
「そうですね…」

 空を見上げたまま団長はぽつりと言葉を紡ぐ。いつもだったら、私に話しかけているのだから私の方を向いて話してくれてもいいのに、とふてくされていたかもしれない。だけど、今日はそんな言葉の欠片さえも脳裏を掠めることはなかったのだから不思議だ。私の心はこの銀色に濾過されてしまったのだろうか。

「ねぇ」
「はい?」
「なんかさぁ…」

 相変わらず団長は空を見上げたままだった。そして再びゆっくりと瞬きをした。そんな姿を見せられたからだろうか。私は再び感傷的になってしまったらしい。ふと胸の奥から何かがこみ上げてくる。

「こうして何もない真っ白なとこにいると、世界でアンタと二人きりになったみたいだね」

 団長も感傷的になったのだろうか。そう言った後、団長は私を見て笑った。
 あぁ、この人も、人なんだなぁ。そんな事をふと思ったある冬の朝。







(団長でも感傷的になったりするんですねぇ…)
(一言多いんだよブス)



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冬くらいは太陽を受け入れられればいいのにという希望。

20100206