冬のお約束、なんて言ったらあまりにもお粗末すぎるのですが、私、風邪をひいてしました。あ、世間を騒がせているインフルエンザじゃあないのかって?ええ、通院はしていませんがきっとインフルではないと思います。あ、通院もしないでどうしてそんな事が判るのかって?そりゃあ、まぁ、……病は気からなんて言いますし。インフルだと思い込んだら、ただの風邪もインフルのように思えてしまうような気がしてしまうじゃあありませんか。そんな薄弱な妄想に私は負けません。一応提示しておきますが、決して注射が怖いとか点滴は嫌だとかそんな類の理由ではありませんよ、決して。そういう訳で私は今回の病状は風邪と明示したい所存であります。
 昨夜はなんかだるいなーなんて思ったりもしたのですけど、日付の変わるまでパソコンと睨めっこして作成した提出期限が今日までのレポートの疲れだと1人納得し、早めのパブロンも飲まずにベットに入った訳です。そしたらどうでしょう。今朝目を覚ましたのと同時に襲ってくる頭痛と何とも言えない気だるさ。もしやと思ってカラーボックスの奥に仕舞われている小箱から体温計を探し出して脇の下に挟んでみれば、なんと38.5の数字が表示されているではありませんか。これは流石にまずいと思い、いつも講義を一緒に受けている友人に欠席する旨の連絡を入れ、冷蔵庫の隅にちょこんと座る3個で100円のヨーグルトの残りひとつを食し、とりあえずパブロンを飲んで再びベットに潜り込んだ訳であります。
 そして十分と言えるか一抹の不安のある睡眠をとった後、再び目覚めたのは窓の外の日射しから察するにお昼はもう過ぎた頃でした。ふと正確な時間を確かめたくて枕元に置いた携帯に手を伸ばすと、珍しい事に携帯に触れた瞬間に電話の着信音が流れたのです。体調の優れないこんな時に電話だなんて、一体何処の何方だろうと目を向けるとディスプレイに表示されたのは彼の名前でありました。

「もしもし…」
『お前今日学校休んだのかよ』
「ん、風邪ひいたっぽい…」
『はっ?風邪?…お前アレだろ、昨日提出のレポート徹夜漬けしたんだろ』
「うげ、なんで判ったの…」
『馬鹿の思考回路ほと単純なものは無ェ』
「失礼だな、ばか杉くん」
『ばかはオメーだばか。…俺あと1コマあっから。それ終わったら見舞い行ってやらァ』
「あー…、次の授業歴史学だよね。後で、ノート見して…」

 生憎、普段遣い慣れていない言葉を遣うのは体力の消耗に繋がるので、ここからは普段の私に戻らせて頂きます。
 さて。いつもの憎まれ口と共に電波で繋がるその声に思わず安心したのも束の間、重たい上に働かない愚鈍な頭で次の時間に行われる授業の事を考える。歴史学の授業は大量の板書と資料が配られ出席にも厳しい、いわゆる学生にとっては重たい授業なのだ。今となってはこの状態で授業に出席する事は不可能なのでせめて板書だけでも…と思い晋助に頼むと、思っていた以上の返事が返ってきて少し面食らった。

『おー。資料も貰っといてやっから心配すんな』
「あ、どーも…」
『とりあえずオメーは俺が行くまで寒くねェようにして大人しく寝てろ』
「はーい…」
『なんか食いたいもんあるか?』
「…あんまり、食べたいものないなぁ」
『なんか食わねェと薬飲めねェだろーが』
「んー…。…じゃあ、ヨーグルトならなんでも…」
『おぅ。ヨーグルトな』
「ん、…なんか、ごめんね…」
『謝るくらいなら体調崩すんじゃねェよ。お前ん家近くなったらまた連絡する』
「うん…」
『じゃあな』
「…、晋助、」
『あ?』
「…、ん、ううん。ごめん。なんでもない」
『…大人しく寝てろよ』
「うん…」

 その電話を切ってからどれくらい経ったのだろうか。晋助の言う通り大人しくもう一眠りした後に携帯を確認するとサブ画面がチカチカと光っている。メール画面を開くと案の定晋助からで“あと5分で着く。”とこれまた晋助らしい文面がディスプレイに表示されていた。受信時間を確認すると3分前に送信されたようだったので、だるい体を引きずって一旦ベットから出て鍵を開けた。そして再びベットに潜り込むと同時にベルが鳴った。いつもな無機質なベルの音が今日は少し暖かな音に聞こえるのは気のせいだとは思えなかった。

「適当に選んだ。この中からすきなの食え」
「いちご、ブルーベリー、アロエにりんご…。うわ、プレーンとミックスベリーもある…」
「お前のヨーグルトの好み判んねェから適当に買った。あとこれ歴史学の資料な」
「あ、ありがと…」
「一応お前の分の出席表代筆しといた」
「まじで?晋助あいしてる…」
「じゃあ復活と同時に1週間俺のパシリな」
「…前言撤回」
「オイコラ」

 スーパーと薬局の袋を下げて部屋に入ってくるなり、「鍵くらいちゃんと閉めろと」少し怒った晋助に「晋助が来るっていうから開けたんだよ」と言うと勘違いを紛らわすためか頭をペチっと叩かれた。それが思いの外強いものだったので「病人には優しくしてよ」と言うとスーパーで買ってきたのであろう商品を見せられその食料の多さに土肝を抜かれた。食べたいと言ったヨーグルトは確認しただけで6種類は確実にあるし(どんだけ乳酸菌を摂取させる気なんだ)、生姜湯や、みかんとりんごの姿も見かけた。極めつけに、薬局の袋には冷えピタやテレビCMで見かける風邪薬のパッケージが顔を覗かせている。申し訳なく感じる反面、なんだかとてもふわふわとした気分になる。

「腹減ったか?」
「んー、まぁねぇ…」
「食欲はあんだな。卵粥は食えるよな?」
「え?うん、まぁ…」
「台所借りんぞ」
「え、晋助、お粥作れるの」
「お前俺のことナメてんだろ」
「えええ、いやぁそんな事はないけど…。…なんか至れり尽くせりで申し訳ないなぁってさ。ありがとございます」
「気にすんな」
「……、晋助がやさしい…」

 いつも憎まれ口を叩いてばかりの晋助がここぞと云わんばかりに優しくて、思うより先に言葉が出ていた。するとベットに肘を付けていた晋助の体温の低い手が伸びてきて私の左頬を撫でた。冷たくて気持ちいい。

「あのなァ…。男は惚れた女には優しくするもんなんだよ」

 そう言いながら晋助が笑うものだから私の心臓は急に活性化し始めた。風邪をひいているせいだろうか、心臓の鼓動をやけに近く感じる。この調子なら、いつもは出来ないどんな事も出来るのではないかとさえ思えてきた。

「晋助」
「なんだよ」
「じゃあ、わがままいいですか」
「あ?」

 布団からちょこっと手を出して手招きをすると、少し怪訝そうな顔をした晋助がさっきよりも近くに顔を寄せてくる。きっと私が小声で何かを喋るのだろうと思っているのだろう。そう思ってこの後に表れるであろう驚いた顔の晋助を想像して笑いそうになったが、そこはちゃんと堪えることが出来た。

「もっとこっちー」
「なんだよ、」

 肩に力を込めてクラクラとする頭を頑張って少し起こしてみる。すると私の唇と晋助の唇が一瞬ふわりと重なった。そして重力に逆らえなかった私の頭は無事に再び枕に着地した。ふと晋助の顔を見上げると私の予想通り、ぽかんとした表情に変わっていた。これで風邪って移るのかなぁ。移したらごめんよ晋助。

「晋助の唇は、冷たいね」
「…お前があついんだろ」
「ふふっ、だって風邪ですから」
「ばか。そっちじゃねェだろ」
「風邪だもん」
「…。そーかよ。んじゃぁ、とりあえずこれ貼っとけ」

 そう言って冷えピタを渡すと晋助は台所へ行ってしまった。そんな晋助の後ろ姿を見ながらふと思う。どうやら私は世間を騒がせているインフルエンザよりもタチの悪い病気にかかっているらしい。渡された冷えピタさえも暖かく感じてしまうなんて、きっと私は末期なんだ。











20091123