視界に飛び込んできたのは朧気な闇の色を纏った濃紺だった。ふと襖の方に目をやると室内と違い、うっすらと滲んだ闇の向こうに日の出の気配が漂っている。どうやら早起きし過ぎてしまったらしい。
 毎日が戦いの連続になってしまっている今日では、最早そのせいで感情が高ぶり、寝付けないことはざらになってしまった。例え今のように布団の上で眠っていてもそれは変わらない。
 故に一度目覚めた感覚はそう簡単に休まらない。仕方のないので水でも飲んで落ち着こう、と井戸の方へ足を進めた時だった。

「……高杉…?」

 ぼんやりとした霞を思わせる薄闇の中で柱に身を寄せる頭を垂れるその影は、声をかけたにも関わらず、ひくりとも動くことがない。その背中を見て、眠っているのかと思い立ち――ハッとした。

「たっ…!?」

 その背中はひくりと身じろぎの一つもせず、かと言って寝息らしい寝息すら立てず――まるで呼吸が止まってしまったかのように、ただただ、そこに在るだけであった。

「たっ、高杉…!?」
「………るせェ…」

 まさか、と嫌な予感が脳裏を過ぎり息を呑む間も無くすぐさまその背中に駆け寄った。しかし血相を変えた私とは裏腹に、その背中を横から覗き込むと同時に気怠い私を戒める言葉がゆっくりと返ってきた。

「耳元で騒ぐんじゃねェよ…」
「あ…、うん、ごめん…」

 まさか死んでるかと思っただなんて、それこそ死んでも口に出せはしない。そのため口をついて出たのは、その上に被せた謝罪の言葉だった。黎明の雰囲気を纏った闇よりも深い漆黒の髪に邪魔をされてその表情は窺えない。辛うじて髪に隠されていない覇気のない唇が見えるだけだ。
 ふと、その肩が微かに動き溜め息を吐いたのを感じ、そちらに視線を移す。肩というよりは胸、胸というよりは肺自体が溜め息を吐いているような、非常に重くゆっくりとしたものである。それは肉眼で捉えることが出来るはずがないにも関わらず、その重量が故にすぐに朧気な闇の色に溶けずにそのまま宙を彷徨っているようだった。

――この人は疲れている

 彼の口から出たそれを見てそう感じた瞬時、私は震撼した。戦いの前には皆を鼓舞し、士気を奮い立たせる総督であるあの高杉が、明らかに疲労の色を滲ませている――。
 もちろん、戦争というこの場において疲れのない者など入るはずがない。心を病むことに比べれば疲労などまだかわいいものだ。しかし心のどこかで私は酷い偏見を抱いていたに違いない。あの高杉の心が折れることなどありはしない、と。
 それは最早、偏見というよりも願望に近かった。故に、疲労を見せた高杉は、烏滸がましくも私にとっては酷く恐ろしいものであった。

「……戦争なんだよな」

 ぽつりと呟いた高杉の言葉は、今の私にはどう捉えても「これは喧嘩ではないのだな」と言っているようにしか聞こえなかった。

「とんだ甘ちゃんだぜ」

 そう呟いた後、高杉の顔面で唯一露わになっていた覇気のない唇が歪む。まるで自らを嘲笑するかのように動いたそれは笑声を漏らさずに、ただただ醜く歪んだだけであった。
 そうして歪んだ口元の筋肉を緩ませた後、覇気のない声で彼はぽつりと呟いた。

「俺たちに明日はあるのか」

 それはただの独り言なのか、或いは私への問いかけか。
 その言葉を吐き出すのと同時に高杉はふと面を上げた。その瞬間、薄闇の間から太陽が顔を覗かせ初める。場に似合わない清々しい光を浴びたその横顔は、相変わらず漆黒の髪が顔面にかかりその表情は窺えない。その深緑の瞳が何を映しているのかなど私が知れるはずもない。
 ただ言えるのは、例え私たちに明日がなくとも、朝日は必ず昇るという事だけだ。


俺たちに明日はあるのか


20110205