太陽が沈んだ直後のようで荒削りな大地はまだ僅かに光の残像を彷彿させる色を醸し出していた。甲板に腰を下ろした彼女はこちらに背を向けたまま何をするでもなくただ膝を抱えている。その後ろ姿が朧気で辺りのぼんやりとした微睡みのような頼りなさ気な夢幻のようで、このまま放置してしまえば周りの雰囲気と同化して、いつかそのまま消えてしまいそうだった。

「いつまでここにいるつもり?きみがこんな事したって死んだ奴は生き返らないよ」
「神威さんには関係ないですよ。わたしのすきなようにさせて下さい」
「そんなに死んだ奴が惜しいなら墓でも作ってやればいいじゃないか。地球人がするみたいに」
「あんなの、残された人間の自己満に過ぎないじゃないですか。死んだ人もその土地に縛り付けられているような気がして嫌だと思います」

 そんな事をするよりも故人に心の中で思いを馳せる方がよっぽど合理的です、とその細い背中はぽつりと零すように、しかしはっきりと断言した。
 先日の戦いで彼女は敬愛していた上司を亡くした。奴は強い男だったが、予想外の所で敵に意表を突かれ不意打ちと知る前に事切れたらしい。その男が率いていた団は今日の幹部会で副団長を勤めていた彼女が指揮を執る事に決まっていた。
 俺は団長になるその女がどんなものか興味があった。

「ねぇ、お互い団長になったんだし、敬語はうざいから使わないでよ」
「わたしは敬語の方が喋りやすいので。すきにさせて下さい」
「さっきからそればっかりだね」
「じゃあ他の話題にしましょうか」
「あ、話逸らされた」

 くるりとこちらに体を向けた彼女の黒髪が風に靡いて揺れた。その髪と辺りの色が同化して異様に白い肌だけが浮き彫りになる。桃色の形のよい唇が弧を描く。乱れた髪を掻きあげたその細い指もまた白く際立って見えた。

「地球では、人は死んだら星になるって言うらしいですよ」
「そんな陳腐なロマンチシズムに陶酔するのは止めなよ。みっともないなぁ」
「やっぱり神威さんはそう言うと思いました」
「じゃあ言わないでよ」
「話題が見つからなかったものですから」
「俺の話反らしたからでしょ」

 1度目に俺の話を反らしたように2度目の俺の言葉もさらりと躱した彼女は、少なくとも俺にとっては多少の気まずさを孕んだ事実がまるで存在しなかったかのようにふんわりと笑った。それに引き寄せられるように俺の足は彼女へと距離を縮めていく。

「死んだらどうなるんですかね」
「どうもしないよ。消え無くなるだけさ」
「冷たいですね」
「きみが余計なことを望んでるだけだよ」

 手を伸ばして彼女に触れるか触れないかという距離まできたとき、俺の足は歩みを止めた。彼女は俺が足を止めたのを見届けるとまた大地に体ごと視線を戻した。先程と同じなのだろう、それはまるで肉眼で捉えることの出来ない大地の果てにある何かを必死で探しているように見えた。

「わたしが死んだら、神威さんは何かしてくれますか?」
「なに、きみはして欲しい事でもある訳?」
「そうですね…。例えば、遺灰を風にまくとか」
「春雨のくせに火葬してもえるとでも思ってるの?きみの上司じゃないけど、大抵の奴は塵になるかバラされて放置のどちらかだろ」
「じゃあ髪の毛とかでもいいです」
「冗談。遺灰よりは確立はあるけど、春雨にいる限り穏やかな死に方なんてありえないよ。骨を拾ってもらえるだなんて愚かにもほどがあると思うけど」
「知ってますよ。だから、余計に切望するんじゃないですか」
「ふーん。変なの」

 会話をしている相手は俺なのに、今も彼女の視線は眼下に広がる大地に注がれている。その所為か意味もないのに俺もつられて視線を大地へと向ける。大地も先程と変わらず荒削りな姿を晒していた。

「神威さんは死ぬのが怖くないですか?」
「愚問だね。死ぬのが怖くちゃ何も出来ない。強い奴と戦って死ねるなら本望だ」

 彼女の頭部が俯いたのを感じてふと視線でそれを追うと、彼女は自身の足元を見つめていた。誰のとも判らない乾燥して茶色に変色した血痕がカンフーシューズに僅かにこびり付いていた。それを見つめながら俺は言葉を投げる。

「死を恐れる奴に殺しをする資格はないよ。そんなビビりは戦場で役に立たないからね」
「なんだか、神威さんって心臓に血が通ってなさそうですよね」
「喧嘩売ってんの?」
「なんか青い色してそうですもん」
「不健康にも程があるよねそれ」
「心臓も冷たそうです」
「うわ、うざ」

 ふふっと少し声を出して笑った後、また彼女は眼下の大地に視線を向けた。いや、正しくはそのずっと先にある何かに、と言った方が良いかもしれない。その瞳は何か強い意志を連想させていたのに、何故か同時に縋るような雰囲気を併せ持っていた。

「神威さん」
「なに」
「わたし、死ぬのがこわいです」

 相変わらず両膝を抱えたままの小さい声ではあったが、彼女ははっきりとそう言った。

「…きみの戯言も、いい加減聞き飽きたなぁ」

 空気の読めない女だと思った。つい先程、俺が死を恐れる事を否定したのを忘れた訳ではないだろうに。更に彼女は今ここで俺の意見を否定すれば、俺に殺される事にだってなりかねないという事も理解しているはずだ。なのに何故敢えて危ない橋を渡るような真似をするのか。死が恐ろしいと言う割には行動と発言が矛盾している。全く訳が判らない。団長になる器を持った強い女だと思っていたが、どうやらお門違いだったらしい。

「興醒めだよ。結局きみも他の奴らと同じだね」

 そう彼女に言葉を投げて俺はその場を後にした。彼女は何も言わずに、相も変わらず荒れた大地の果てを見つめていた。







 その日は空は見渡す限りの爽やかな青色で、緩やかな風が頬をすり抜ける、そんな日だった。辺りは静寂に包まれていて音らしい音は聞こえない。敢えて言うなら傘で作った日陰の中で甲板に寝そべっている俺の頬を風が掠める音が辛うじて聞こえるくらいの、本当に静かな空間だった。

――神威さん

 ふと名前を呼ばれたような気がして後ろを振り返る。しかしそこには俺の想像した人物は見当たらず、変わりに体躯の良い男が立っていた。

「珍しいよなァ。あんたが甲板にいるなんて」
「なんだよ阿伏兎。わざわざ説教しにきたの?」
「違ェよ。ただあんたが幹部会に遅刻しねェように釘を刺しに来ただけだ」
「あぁ、そういえばあったね。そんなもの」
「しっかりしてくれよォ。あんたに遅刻されると俺がどやされる」
「それが阿伏兎の仕事じゃないか」
「こンのすっとこどっこい。他団の団長を決める大事な会議なんだからな。遅刻すんなよ」
「はいはい。判ったよ」
「しっかし、毎回会議会議で肩凝るぜ。しかもあそこの団はこの間団長が変わったばっかりじゃねェか」
「仕方ないよ。死んじゃったんだから」
「やっぱ女に春雨の団長は荷が重すぎたのかねェ」
「さぁ。どうだろうね」
「団長にホイホイ死なれちゃあ、あの団もやってらんねェよなァ」
「阿伏兎は俺の団で良かったね」
「…ハハッ、お陰様でなァ」
「今の間は何かな。返答次第じゃ殺しちゃうぞ」
「勘弁してくれよ。今から会議だってのに流血沙汰はごめんだぜ」
「仕方ないなぁ。今回は会議に免じて止めておくよ」
「ヘイヘイどーも。んじゃあ、すぐ幹部会始まっからからな。遅刻すんなよ」
「うるさいなぁ、判ってるよ」

 阿伏兎の階段を降りる音が遠ざかると再び静寂が辺りを包み込む。この静けさにも厭きたところだ。会議もあるし、と俺は起き上がって青い空を見上げた。

「行くか」

 そう言って左手に握っていた黒い髪を風に靡かせた。風の中に微かな女の声が聞こえたような気がした。










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『月飼い』さまへ提出。ありがとうございました。
イメージソングは『FINAL DISTANCE』

20091118