実に有意義な時間だった。今回の任務はある組織の壊滅。しかもその組織はかなりの範囲に名を轟かす組織であったから、実力もそれ相応のもので久しぶりに楽しめる戦いだった。大方の奴らを潰し終わり生き残りがいないか確かめるため、鮮血と肉片、セメントや硝子の破片に満ちた廃れた内部を歩き回る。冷静になると腐敗臭が充満していることに気付いた。顔を抉り取られたものや、内臓をごっそりと剥ぎ取られたもの、肉が腐り虫が集っているもの。どうやら俺たちがここを攻める以前にも戦闘があったらしい。そこには随分古い死体も転がっていた。

(全滅したか)

 歩く度に床に散らばった硝子の破片が更に細かく割れる音が灰色の部屋に短く響く。また時折床に転がっている顔が吹き飛ばされた腕を踏んでしまったときは、バキンというにぶい音もした。こんな部屋の中だ。どう考えてもこんな場所に生存者はいないだろう。もしいるとしたらそいつは頭がやられたか、死体愛好者だ。

(行くか)

 一通り部屋を見回して生存者がいないか確認した後、体を出口へ向ける。
 するとその刹那、背後にさっきを感じて振り向くと何もなかったはずの空間から勢い良く拳がつき出てきた。

「…へぇ。俺に気配を覚られないなんてなかなかやるね」
「あら、ありがと。そう言うあなたもあたしの攻撃を避けるなんて。強いのね」

 左に避け、直ぐにその重い拳を己の右手で止める。拳の主は声や喋り方からして女であることが窺えた。入り口から差し込む光がうっすらと相手を映し出す。女の髪は長く黒かった。

「ここの奴らは全滅したとばかり思ってたけど、まさか生き残りがいたとはね」
「意外だった?」
「ここの奴らはなかなか骨のある奴だったよ。まぁ、俺よりは弱かったけどね」
「やっぱり外には強い人がいるものね。この組織で最強を謳われていても、所詮は井の中の蛙だわ」

 そう言うと女は力を緩めその拳をしまう。女の殺気が消えたのを感じて俺も構えを解く。すると女はこちら側へ歩みを進めてくる。パキンと硝子の割れる音がした。

「そこに転がってる男ね、」

 女は俺の左に転がっている顔の抉り取られた男の死体を指差した。蛇と獅子の刺青を入れ筋肉隆々でいかにも屈強をアピールしているような男で、それにはかなりの鮮血がこびり付いていた。どうやら先程やられた奴らしい。

「あたしのボスだったの」
「ふーん。ってことは。俺に復讐するの?」
「復讐?まさか」

 くすくすと笑い出す女を見て復讐する気が無いのを感じ取る。まぁ、もし仮に女が俺に復讐する気があれば先程の時点で殺気が消えるはずがないし、第一こんなに軽やかに笑うはずがない。

「あたしはこいつが強かったから側にいただけよ。あんたに負けた弱いこいつにあたしは未練の欠片も無いわ」
「へぇ。これまた、随分と冷たいんだね」
「強い人がすきなの」

 ふふっ、と笑う女の足音と硝子の割れる音は淀みなく続き女は入り口の前、俺の目の前に来ると止まった。外から漏れる光が女を照らし出す。黒のみに覆われた細身に艶やかな黒髪、滑らかな白い肌。唇はまるで鮮血を塗ったように赤くふっくらとしている。そして深海を彷彿させるような青い眼。先程と変わらず笑いを湛えた滑らかな女の唇が妖艶な弧を描いていく。

「あなた、強いのね」
「うん。少なくともきみのボスよりはね」
「あんなの、もういいの」

 一回瞬きをした瞬間、女の指は俺の口部の包帯を滑っていた。口部が緩んだだけにも関わらず、その白い布ははらはらと肌の露出を広げていく。

「あたし、強い人がすきなの」
「それ、さっきも聞いたなぁ」
「だからね、」

 女のふっくらとした唇が自分のそれに重なる。数秒お互いの唇を重ねた後、女は俺の唇を舐めてこう言った。

「あなたのことすきになった」
「おもしろいね、きみ」
「あら。そんな事いう人は初めてだわ」
「へぇ?」
「残虐とか冷徹とか狡猾とかはよく言われるんだけどね」
「ははっ。やっぱりおもしろいよ、きみ」
「ありがとう。嬉しいわ」

 そう言って笑う女の表情は今更見てきた中で一番穏やかでしなやかなものだった。この女、俺に気配を察知させないほどの手練れで妖艶に笑い、いきなり口づけをする女なのに。こんな笑い方も出来るのか。
 この女は本当におもしろい。

「来なよ」

 俺は俺に向かって手を出した。廃墟の中で女に手をさしのべる様は、客観的に見たらもしかしたら助けを請う女を受け入れたようにも見えたかもしれない。だが、俺は決して女に助けの手を差し伸べているのではない。

「俺は神威。知っての通り春雨の人間だ」

 ただこの女に興味をもった。おもしろい女だから興味をもっただけ。それだけの事なのだ。

「きみの名前は?」

 女の赤い唇は己の名前を紡ぎ出すためにまたもや妖艶に動いたのだった。



ある女


20090825