縁側から眺める桜の花は、それはそれは見事なものでございました。

「あら、政宗さま。ご覧になって」

 袖を押さえ風と共にひらりと舞う薄紅に向かって手をのばす。夫と言えども男性である政宗さまの手前、無闇に腕を晒すわけにもいかない。
 庭先に植わる桜は政宗さまの鎧に薄絹を掛けたような淡く澄んだ色をしていた。その空の下には麗らな陽気に相応しく、見事なまでに咲き誇るり、まるで枝との別れを惜しむようにはらはらと花弁を散らせている。どの時代の桜も美しいものだが、泰平の世で愛でる桜の美しさは格別だった。

「今年の桜もなんと見事でございましょう」
「あぁ、そうだな」

 風に舞う花弁につれられたのか、政宗さまの左目が優しく細められる。それが嬉しくて、ついつい子どものようにはしゃいでしまう自分が少し可笑しかった。

「今年ももう春の盛りか」
「ついこの間、梅が咲いたと思っておりましたのに。この様子では満開までそう長くはかかりませんでしょうね」
「………」
「…政宗さま?」

 ふと隣から聞こえてくるはずの返事が聞こえず、思わずお顔を覗き込む。そうして視界に入ったそれは、再び左目を細められる政宗さま。しかしそれは先程のものとは異なるもので、春の麗らに似合わぬ寂しいものだった。

「……あぁ…、まだ満開じゃなかったのか……」

 ――やってしまった。
 政宗さまの一言を脳が理解した瞬間にその言葉と罪悪感が体中を駆けめぐる。そう零す政宗さまの表情はまるで無残な亡骸を見つめるかのような、、それでいて何かを畏れるような、眉を顰めた酷く哀しいものだった。

「しっ失礼致しましたっ、ご無礼お許し下さいませっ…!」
「オイオイ、どうしてお前が謝る?」
「しかしっ…」
「気にするな。ただ俺が見間違っただけだ」

 そして政宗さまは宥めるように私の頭優しく撫でる。しかし当の私は情けなくも心穏やかではいられなかった。政宗さまの先程の言葉に目前の春の麗らとは全く程遠い、焦燥と身を切るような恐怖を感じずにはいられなかった。

「もっと近くに寄って見るか」

 そう言って政宗さまは桜の方へと足を進める。それに倣い、私も数歩遅れながらゆっくりと後を追った。

「――誠に残念でございますが」

その間に半年前の匙の言葉が脳裏にこびり付いて離れない。

「So beautiful……Oh,この枝は折れそうだな…」

 枝に手をのばし、桜を愛でる政宗さまは左目を細めて微笑む。その姿がひどく儚く麗しいもので、周りの花びらに浚われて消えてしまうのかと思ったくらいだ。
 政宗さまが左目に異変の訴えた当時、私や小十郎も愚か、当の政宗さまも埃が入ったのだろう程度の事くらいにしか思っていなかった。しかし匙の口から出たそれは言葉通りに正に意表を突くものであった。

「政宗さまの左目は保って、後1年余りかと」

 幼き頃に右目を無くし、更に左目の視力まで失うなど。こんな仕打ちが許されるだろうか。俄かに甘受出来るだろうか。穏やかな太陽の光も白銀に輝く六爪の刃も小十郎の育てる作物も、民の笑顔も。あと1年足らずで、この方の視界から全て消えてしまうだなんて。

「惜しいな…」
「はい?」

 ぽつりと呟いたその言葉の輪郭が曖昧で、ふと政宗さまの方を振り向いた。

「来年の、お前と桜をこの目で見れないことが惜しい」

 先ほどの桜の枝だろう、そうして政宗さまは髪飾りを指すように桜を私の耳元に添えられた。その政宗さまのお顔の、なんと穏やかなこと。それだけで堰を切ったように胸の内から愛おしさがせり上がりる。それが涙にしかならないことが酷くもどかしい。

「政宗さまっ…」
「……泣くな…」

 政宗さまの手が私の頬をゆっくりと滑る。その瞬間に思い知る。既に、政宗さまはご自身の行く末を甘受されていたのだ。それなのに私ときたら。ただただ、未来を恐れ涙する己が情けなかった。
 しかしそれと同時に政宗さまが私をあの見事な春の桜と同等なのだと言い示して下さる事が堪らなく嬉しい事もまた事実であった。己の視界に映らないという事が実に惜しいのだと。愛しい人に春の盛りの桜に例えられるなど、極まるなと言う方が無理な話だろう。

「来年の春もそのずっと先も、お前は俺の隣にいろよ」
「はいっ…」

 花びらの中で微笑む政宗さまのお姿を、私は滲む視界に確かに見たのでありました。





20110405