気怠げな灰色の煙が空へとのび、消えかけた火が所々で燻っている。真っ二つにおられた刀や地面に突き刺さった無数の矢。そして地面に突っ伏している数多の肉塊。荒削りの地面と肉塊と共に転がる小石や草が、赤黒く染まっている。そこに転がっている肉塊を人間と呼ぶのかはこの惨状を見た個々に一任しようと思う。

(負けたか…)

 今回は負け戦だった。この指揮を執らせたのは今まで、わりとよい働きをしてきた男。奴はそれほど敵勢はいないだろうとふんでの小人数で応戦したのだろう、鬼兵隊から抽出した人間は少なかった。しかし敵側が少人数だというそれは誤った情報であり、結果的にこちらは一杯喰わされた状況になってしまった。こちらが不利であるという事実は刃を交えた時点ですでに勝敗は見えていた。故に、この状況を打開する事が出来なければ敗戦は火を見るよりもあきらかだった。しかし乱闘と猛火の戦時で作戦変更の指示は上手く伝わらず、結局そのまま予想通りの最悪の結末を迎えた。

(生きてる奴は、いねェか)

 ふと辺りを見渡す。煙と炎と残骸以外には、人間らしい人間は見えなかった。
 すると視界の隅に入った鎧が微かに揺れたのが見えた。あの武具からして、鬼兵隊の人間らしい。

「し、んすけさま…?」

 か細い声を耳に入れながら近づいてみると、それは鬼兵隊に属する女だった。名前は知らない。ただ、何度か来島と親しげに話している所を見たことがある。
 女は左肩からの出血は己の着物と地面を赤く染め上げていた。それに反して肌は酷く白かった。両脚は何かの下敷きになってしまったのか潰されている。煙に混じって鉄の臭いがした。こんなに血を流しておきながらよくまだ意識のあるものだと、思わず感心した。

「よォ、生きてんのか」
「は、…辛うじて、今までは…」
「出血が酷いな」
「…お、恥ずかしながら…」

 女の状態は酷いものだった。出血のため外気に触れた血液は大半が凝固している。もうじきこの女は死ぬのだろう。いや、むしろこの状態で今生きているという事が不思議なくらいだ。

「全く、嫌な世の中だよなァ」

 女の頭部へ近づいたところで歩みを止め、ふとその顔を覗き込んだ。女の目は、辛うじて俺を捉えてはいるものの、虚ろだった。このまま覗き続ければ、その深海のように底なしの深さを模した瞳に落ちてしまいそうだった。

「死すらも平等じゃねェ」

 そう言うと女は僅かにピクリと頭を動かした。少しだけ瞳の焦点が合ったような気がした。その目は不思議そうに俺の顔を見つめる。

「死、とは、全てに…平等なものでは、ないのですか…?」
「じゃあ訊くけどな。お前はいくつだ?」
「…?……今年で、22になります…」
「俺と5つと違わねェなァ。なのに、どうしてお前は今、死にかけてんだ。俺はこうしてピンピンしてるってのによォ」

 腰を下ろして仰向けになっている女の傍にしゃがみ込む。
 俺が次の言葉を紡ぐのを待っているのだろう。女は不思議そうに俺の顔に視線を合わせたままだ。

「そりゃァ世の中には老いで死ぬ奴もいる。けどな、そんなのほんの一部に過ぎねェ。事故で死ぬ奴、病気で死ぬ奴、自尽の巻き添えをくらって死ぬ奴」

 そこで言葉を切って、俺は女に手を伸ばす。女が有らん限りの力であろう動力で、少し目を見開くのが判った。
 俺はその白い頬をゆっくりと撫でる。女の頬は酷く冷えていた。まるで、己のそれよりも低い体温が指の先から侵食をしていくようだった。

「それから、お前みてェに戦で死ぬ奴」

 その頬を撫でると、そこにこびり付いていた土と血痕が少しだけパラパラと音をたてて落ちた。どうせなら顔に付着した汚れくらいとってやりたかったが、凝固した血液を取り除く事はこの敗戦の場では難しいことだった。

「神様ってのも理不尽だよなァ。どうせなら全てのやつらにきっちり100年の寿命をくれりゃァいいものを。100年生きたら平等に100年で死ねるようになァ」

 女の瞳が一瞬揺れた。それと同時に酷く咳き込む。ゲホッ、ゴホッという肺を揺さぶるような咳が辺りに響き渡る。
 しっかりしろ、などという愚見は吐かない。そんなものが気休めにもならないという事は、もう随分前から知っている。

「死ぬのか」
「…その、ようです…」
「そうか」
「…晋助さ、まに、このような醜態を…晒すわけには参りません…。どうぞ、本陣へお戻り、…下さい…」
「はっ、何言ってやがる」

 女の右肩を抱いて上半身を起こす。女の血液が俺の着物を鮮やかな赤に染め上げる。
 距離が縮まったからだろうか、今度は女の目はしっかりと俺を映し出していた。虚ろな眼球に己の姿が小さく映っている。

「俺のために働いた奴の最期だ。看取るくらいはさせてくれや」

 そう言うと女は僅かに口元を緩めた後、ゆっくりと目を伏せた。それと同時に己の腹に乗せていた右腕がぶらりと垂れ下がる。
 残された力ではそれを行う事すらも出来なかったのか、女の瞳は完全に閉じられてはいなかった。左手でその瞼に手を添える。女の瞳は余すところなく完全に閉じられた。長い睫毛はもう動かない。
 最期に笑った女の顔は、妙に安らかで柔らかで、ふと、幼い頃に俺にやさしく笑いかけてくれたあの人のやさしい笑顔を彷彿させた。


残像


20100101