「なんだ、政宗さまは寝ちまったのか」

 そう言って小十郎は笑いながら猪口を口に運ぶ。その視線の先には柱にもたれ掛かるようにして眠る政宗さまの姿。はらりと薄紅色の花びらが青い着流しを撫でる。木造の柱の角は見た限りでは、お世辞にも寝心地が良いとは言えなそうだ。
 月の明るい春の夜。夜桜見物と称し、政宗さまと小十郎は縁側に座り晩酌を楽しんでいた。そして忍びにも関わらず、その酒類を運んでいた私は2人のお酌に付き合い今に至る。
 はらりはらりと散る満開の桜からは仄かに甘い香りが漂い、時折穏やかな風が花びらを誘っては躍らせる。そんな桜に明るい月とはなんとも趣深い情景である。

「弱いくせにお酒がすきなんて、全く困ったお方だよねぇ」
「まぁ、そう言うな。夜桜を見ながらの晩酌ほど粋なもんはそうねぇぞ。どんなに呑もうがほろ酔い気分だ」
「それは酒に強い小十郎だから言えるんだよ。政宗さまが聞いたら拗ねるかもよ」
「それは困るな」

 程よく酒が回り機嫌のよい小十郎とは裏腹に、柱にもたれ掛かる政宗さまの寝心地は良いとはいえなそうだ。このままの体制を続けていては首や肩を痛めてしまうかもしれない。

「政宗さま、首を痛めますから」
「ん…、」

 微睡みの中にいる政宗さまの耳元で囁いてから、ゆっくりと肩に触れる。すると政宗さまは、さも当然と言うようにその上半身をゆっくりと倒し、私に背を向けるようにして膝に頭を乗せた。そして何事もなかったように再びそのままの体制で寝入ってしまう。
 はらり、と薄紅が舞う。

「…思ったよりも酔ってるみたいだねぇ」
「そうだな」
「ふふ、今日の政宗さまは随分甘えたさんですなぁ」
「まぁ、お前の膝だからな。寝心地も殊更いいんだろ」
「……」

 一瞬とは言え、びくりと同様した心臓が憎い。
 花びらが政宗さまの茶色い髪の上を滑り落ちる。小十郎の出した話題を避ける為に、政宗さまの髪を梳く事に夢中になっているふりをする。サラサラとした指通りが気持ちいい。

「……まぁ。無機質な木に比べたら人の膝の方が数倍寝心地はいいだろうからね」
「馬鹿、そうじゃねぇ」

 政宗さまの髪を梳くスピードが先程と比べて幾分早いの明らかなのだが、ここは敢えて触れない。
 小十郎は私がこの手の話題が苦手だという事を知っているにも関わらず、話をふってくる事が稀にある。そんな時の私はいつも黙って小十郎の話を聞く事しか出来ないのだ。

「政宗さまがこんなになるのはお前にだけだろうが」

 その一言に思わず髪を梳いていた手の動きを止める。ふと小十郎を見るとひどく優しく笑った顔が月明かりに照らされていた。

「政宗さまが天下を取られれば、もう戦はなくなる。そうすればお前も今のように忍びとして生きる必要もなくなる。そしたら、政宗さまはお前と、」
「あのね小十郎」

 自分の言葉を途中で遮られたにも関わらず、小十郎は文句一つ言わない。そのかわり月明かりに当たるその真っ直ぐな瞳で私を捉えるのだ。しかしその視線さえも優しいのだから、どちらにしろ困ってしまうのは私の方なのだが。

「私はね、忍びとしてこうして政宗さまのお側に居られればそれでいいんだよ」
「けどな、政宗さまは、」
「天下取りに関わらず、政宗さまだっていずれは奥方を娶られる。それは同盟であれ何であれ、兎に角それはお武家の美しい姫様なの」
「…今はそうかもしれんが、政宗さまが天下をお取りになったら、」
「分かるでしょ、小十郎?」
「……」

 小十郎が言い返して来ないのはもちろん私が正論を述べていているからだ。だから私の語尾が震えていたのも敢えて指摘しないのだ。そんな小十郎の表情は少し目尻が下がり寂しそうに笑っている。その瞳はひどく優しい。
 カタ、と小さな音を立て小十郎が猪口を縁側へ置く。少量の酒の上に浮かんだ2枚の花弁がゆったりとその中で揺れた。

「…どうやら、お前は俺が思っている以上に政宗さまをお慕いしているみてぇだなぁ」

 そう言ってまた一献、月を見ながら再び猪口に酒を注ぎ、ゆっくりとそれを口元へ運んだ。何となくその様子を見ていると、膝の上の体温が僅かに動いたのを感じて視線をずらす。すると私の名前を呼ぶ少しかすれた微かな声。

「――…」
「はい、政宗さま。私はここに居りますよ」
「ん…、」

 寝返りを打った政宗さまの髪の毛をふと優しく掻き上げる。すると政宗さまは私の手を掴み、それに自身の唇を軽く押し当てた。そしてゆっくりとご自分の心臓の場所へ持っていき、軽く息を吐いた後、再び夢の世界へと意識を綻ばせて行った。
 その行動に手だけではなく頬に熱が集まるのを感じる。それを紛らわせるために頬に空いている手を添えた。
 そして顔を上げると丁度こちらを見ていた小十郎と視線がぶつかる。そうしてふっ、と少し切なそうに笑った後、小十郎は小さく呟くのだ。





20100426