瞬く間に金色時間




相互のmiaさんより、以前に柚李さんから頂いた勝利は勝ち取るものの玲さん視点を頂きました!





「つまらんことになっちゃったな〜」

 誰のせいなの誰の。シャープペンシルを上唇と鼻の間に挟んでぷるぷると揺らす、という作業に没頭している目の前の男にそう言ってやりたい気持ちを通り越して、はあ、とただため息を零すに留めた。机の上の課題は、今朝には全くの白紙だったのが今は10分の1ほどは埋まっているから、太刀川に頭を抱える大学の教授陣は私に感謝してジュースの1本くらいは奢ってくれてもいいと思う。

「悪かった」
「別に気にしてないわよ、…普段頑張ろうとしてくれてるのは分かってるし」

 事あるごとに課題やレポートを放りだして逃げ回っていた太刀川だけれど、彼曰くそれは私の気を引くためだったらしい(もう少し他の方法を考えてほしかった)。確かに付き合うようになってからは、以前に比べればずっと真面目に期限を守って提出するようになった。   提出された内容については触れてはいけないと思う。とにかく溜め込まないようになった。忙しいお互いにとっての貴重なオフの時間を確保するためだと分かっているから、まあ、それは純粋に嬉しかったりする。
 それが今日はどうしてこんなことになっているのかと言えば、久しぶりにオフが重なったので遊びに出かけて美味いものでも食べようと立ち上がった太刀川の鞄から、ひらりと一枚の紙が舞い落ちたのが事の発端だった。同じ単位を履修する身には見覚えのありすぎる紙だった。明日提出の課題。ちなみに実は1枚どころではない。

「俺が気にするんだって」
「あのね、早く終わらせたら遊びにも行けるし太刀川が発見した”めっちゃ美味いケバブ屋”とやらにも行けるんだけど?」
「ダメだ、昼にケバブが食えなかったショックで立ち直れないんだ」
「さっき食堂でA級セット食べてたくせに」
「それはそれ、あれはあれだ。いやあ今日もここの力うどんはウマかった」

 出鼻をくじかれて完全にやる気を失くしてしまったらしい彼は、再びうだうだと机の上に突っ伏した。今日何回目だろう。家でやればだらだらしたい太刀川に巻き込まれかねないし、大学よりはボーダー本部で後輩たちの視線に晒されたほうがしゃきっとするだろう、と思ってこのラウンジまで来たわけだけれど、果たして効果はあったのだろうか。もしかしたら風間さんあたりが通りかかって手伝ってくれるかもしれない、という目算もあったのだけれど、今のところB級C級の知らない顔しか通りかかっていない。

「そもそもなんで課題なんてモンが存在するんだ、課題の無意味さについてなら100枚くらいレポート書けるぞ俺は」
「何でかって?太刀川にとっては”無事に単位を取って大学を卒業するため”ね」
「玲チャンが課題見せてくれれば一発なんだけどな?」
「ためにならないでしょ。後で苦労するの、太刀川なんだから」
「そうだな〜、将来誰かさんを困らせるわけにもいかないからな」

 会話がほとんど噛み合っていない。机に頬をべったりつけながらこちらににやにや笑いかける太刀川は、とうとうペンを投げ出してしまった。それを目にして眉根を小さく寄せる。どうやら久しぶりに本気で課題回避モードに入ったらしい。

「はいはい、そのためにも口じゃなくて手を動かしてよね手を」
「照れるな照れるな」
「そして今ここにいる私を困らせないでくれる?」
「なんだ困ってたのか?よし相談に乗ってやろう」
「もー……」

 こうなってしまうと暖簾に腕押し、柳に風だ。この状態の太刀川の厄介さはこの数年で身をもって味わっている。さてどうするのが一番効果的か?と考えるのと、心にちくりと小さな苛立ちを感じるのがほぼ同時だった。苛立ち。はて、と目を瞬く。不本意な流れではあるし課題なんてと思うけれど、結局こうして太刀川と過ごす時間になったのは変わりないわけだから、まあそれはそれでいいかと納得したはずだったのに。だから”気にしていない”というのは本心からの言葉だったのに。少なくとも、あの時点では。
 自分の感情に理解が追い付かずにこっそり頭を捻っていると、机に臥せっていた太刀川がどこかに向かってひらひらと手を振った。助けてくれとでも言わんばかりの表情だ。その視線の先に目をやれば、赤茶色の髪がふわふわ揺れている。へにゃりと笑って太刀川に手を振り返す可愛らしさに思わず頬が緩む。そのおかげでさっき感じた謎の苛立ちだってすぐどこかへ隠れてしまった。私も手を振っておく。こっちに来てくれないかなあ、そしたらきっと私のイライラなんて隠れるどころかどこかへ行っちゃうのに。心の中で願っていると、彼女の前にいる荒船くんがぺこりと会釈をして、それから2人がこちらへ近づいてきてくれる。よく見れば2人とも勉強道具を抱えているから、どうやら目的は同じらしかった。

「こんにちは、みのりちゃん、荒船くん」
「玲さん、こんにちは!」
「太刀川さん…アンタ何やってんスか…」
「あえて言うなら大学から差し向けられた刺客をバッサバッサとなぎ倒してるところだな」
「おお、太刀川さん格好いい!」
「なぎ倒すどころか倒されてマウントとられてるけどね」

 きらきらと素直に目を輝かせるみのりちゃんは本当に可愛いのだけれど、太刀川から妙な影響を受けてはたまらないので即座に否定しておく。はっはっは、といつものようにゆるく笑う太刀川に呆れた視線を送りながら、「ご一緒してもいいスか」と荒船くんが聞いてくる。私としては願ったりかなったりだけど、2人はいいのだろうか。こういうことには人一倍敏感なお姉さんは、この2人がお互いにこっそり好意を向け合っているのを何となく感じ取っているのだ。「もちろん!2人さえよければ喜んで」と満面の笑みで答えれば、正面にいた太刀川が私にしか分からない程度になぜか顔を歪ませた。なんなの、自分から2人に助けを求めといて。

「俺も少し分からない所があるんで、手が空いてる時に玲さんに見てもらえたらと思って」
「え、荒船ずるい!はいはーい!わたしも玲さんに教わりたい!」
「てめえは黙って俺のメソッド受けてりゃいいんだよ」
「ひー!悪魔教官ー!」

 うんうん荒船くん、口は悪いけどそれってみのりちゃんの勉強見るのは俺だけだってことでしょう?泣きながらみのりちゃんが太刀川の隣に腰を下ろしたのを見て、ぴくっと眉が動いたのを隠しきれてないのがなんとも可愛らしい。”近けーよバカ”とか思ってるんだろうなあ。可愛い、なんて男子高校生に使う言葉じゃないかもしれないけれど、やっぱり可愛らしい2人だなあと微笑ましくなってしまう。
 荒船くんがこちら側に腰を下ろして、先生対生徒、みたいな図式が出来上がったのもなんだか楽しい。後輩2人の前なら太刀川だって少しは手を動かしてくれるだろうし、みのりちゃんという癒しもいることだ、わたしの心も平穏が保たれるだろう。ラウンジに来て正解だった。

    と思っていた時期が私にもありました。

「つらい」
「弱音吐いてないで手動かせ」
「鬼!わーん!」
「俺も休憩したい」
「たたた太刀川さん!!」

 結果的に言えば、私の予想は半分当たっていた。頑張りながらもどうしても集中力が続かないらしいみのりちゃんとため息をつく荒船くんの攻防をこっそり微笑みながら眺めることができて、私の心はすごい勢いで癒されていった。問題は太刀川だ。2人がここで一緒に勉強をし始めて以来、課題回避モードはより鉄壁のものになり、みのりちゃんの嘆きに便乗してぶーぶーと文句を垂れ始めたのだ。みのりちゃんは苦しみながらもペンを持って課題と格闘しているけれど、この男はといえばペンを持たないどころかたまに机の下で足をつついてきたりする。完全にやる気がない。休憩したいも何も、アンタ何にもやってないじゃない。またしても小さな苛々が顔をだす。今度はどうしてだろうと考える間もなく理由が分かった。

「はあ?」

    だって、私も今日をとても楽しみにしていたんだ。
 久しぶりに太刀川と重なったオフを楽しく過ごしたいと、朝から丁寧にメイクもしてお気に入りの服も着て。出かけられず課題をやることになったのは残念だけれど、まあ早く終わらせれば出かけられるとも思ったし、何より2人ともが楽しい1日になるならば、どこにいたって他に誰と一緒だって課題をしてたって幸せだったのだ。それなのに。
 つい返す声まで苛立ってしまう。すると太刀川の隣にいたみのりちゃんまでびくりと肩を震わせて、太刀川と2人息ぴったりに「ごめんなさい」と頭を下げたのを見てはっとする。いけないいけない、みのりちゃん達だっているのに、こんなところで苛立ちを表に出してしまうなんて。

「あ、みのりちゃんはいいのよ?ごめんね」

 こちらに向かって下げられた頭をそうっと撫でた。赤味のある綺麗な髪を実はずっと撫でてみたいと密かに思っていたので、欲望に忠実になってみたというのもある。嫌がられたりしないかな?と半分不安でドキドキしていると、みのりちゃんがゆっくり顔を上げる。どうやら嫌がられてはいないようだ。なんだか瞳がきらきらしている。

「…うわー、玲さんに”はあ?”って言われると何かドキドキしちゃう」
「ふふ、なあに、それ」
「わかった!太刀川さん、玲さんに”はあ?”って言われたくて文句言うんだ!」
「そんな変態はてめえだけだからさっさとペン持て」
「荒船ってばひっどい!」

 私の苛々と良くない空気を察してか、みのりちゃんがその場を和ませてくれる。とても頭が良くてやさしい子だと改めて思った。「ひどいよ〜ジンケンシンガイだ〜」なんて呟きながらも渋々ペンをとる様子を見てささくれだっていた心が凪いでゆく。
 ふう、と他の人にばれないように息を漏らして気持ちを仕切りなおした。顔を上げた太刀川はさっきから会話には参加せずに何やらこちらを熱心に見つめている。が、みのりちゃんの「あ、鳴海さん!」という声につられて視線をふいと投げた。私もそれにつられる。

「太刀川、に玲ちゃん…っと、中津ちゃんと荒船…?なんか見ない組み合わせだな?」

 やさしい声が私たちの名前を一人ずつ紡いでゆく。確かになかなかない組み合わせだ。それにこの2人まで加わったら、もしかしたら初めてかもしれない組み合わせ。もちろん、1人1人は関わったことがあると思うけれど。
 小南ちゃんとみのりちゃん達が話し始め、私は自然と鳴海さんに小さく手を振った。蒼碧の宝石がくるりとこちらを捉え、やさしく細められる。いつみても綺麗だなあ。

「鳴海さん、この間はどうも」
「おお、楽しかったよな飲み会。沙音には大目玉だったけど。またやろう」
「ぜひ!でも奢られませんからね?」
「む…玲ちゃんは本当に奢らせてくれないからな。いつの間にかおれの手の中に1人分の会計が握らされてるんだ、あれどういうマジック?」
「ふっふっふ、機密事項です。あ、本部で小南ちゃんも一緒、って珍しいですね?」
「あー、迅もいるはずだったんだけど」

 そう言ってぽりぽりと頬をかく鳴海さん。なるほど、さすが迅くんだ。心の中で拍手する。お姉さんはやっぱり感じ取っているのだ、この2人も実はお互いを気にしているってことを。ボーダー内再注目の2組(私調べ)が揃ったことで、心の中の乙女な私がスタンディングオベーション。大丈夫、ちょっかいは出さない。馬に蹴られたくない。ただそっと木陰から見守りたいだけだ。

「で、何してたんだ?」
「私がここで太刀川の課題見てたら、」
「俺と中津がここに来て一緒に勉強みたいになって」

 鳴海さんの問いに簡単に答えると、荒船くんが語尾を引き継いでくれる。最後にみのりちゃんの元気な「そういうことです!」という同意のオマケつきだ。うう、可愛い。また頭を撫でたくなってしまうのを必死にこらえる。
 3人の答えを聞いて初めて机の上に目を向けた鳴海さんは、あー、という憐みの声を出してから私と荒船くんを見た。どうやら状況を把握してくれたようだ。

「…おれも手伝う?」

 力強く頷いた。荒船くんもほぼ同時だった。鳴海さんは天からの遣いなのかもしれないと思った。後光が差して見える。
 
 一旦玲ちゃんは休憩な、と言ってくれた鳴海さんに甘えて太刀川の先生役を交代してもらうことにする。じゃあ何かみんなの分の飲み物でも買ってきますと席を立てば、小南ちゃんも手伝ってくれると言うので2人で自動販売機まで行くことになる。ちなみに飲み物代は鳴海さんが全部出したがったのだけれど、先生役を変わってもらったお礼でもあるので丁重にお断りした。みのりちゃんを女の子1人残していくのは申し訳ないけれど少しのことだし、あの様子だと荒船くんが許してくれないだろう。あとで私の持ってるお菓子も一緒にあげようっと。
 小南ちゃんと私は歳も離れているし、出身校も違う。だから関わりなんてないだろうと思われることが多い。でも勉強もしっかり頑張る小南ちゃんは、実は静かに勉強できると噂の穴場である私の元バイト先の喫茶店の常連客なのだ。私がまだバイトのシフトにレギュラーで入っている時からのお客さんで、今でも一緒にお茶しに行ったりしてよく話す。話題はいろいろで、今はもっぱら小南ちゃんの恋のお話を聞くことが多い。

「ねえねえ玲さん、太刀川と付き合うことになったのね」
「うん、そうなの。小南ちゃんには私から直接言いたかったのになあ」
「聞いたわけじゃないの。何となくそうかなって思って」
「何となく?」
「だってさっきの太刀川の顔!」

 楽しそうに笑う小南ちゃん。”さっきの”というのがどの顔のことなのか分からずに、私はとりあえず曖昧に笑う。追及することでもないと思ったからだ。自動販売機にたどり着いて小銭をまずは2人分投入した。

「まず小南ちゃんが2本選んでいいよ」
「え、玲さんのオゴリなの?なんか悪いわ」
「気にしないで?可愛い後輩に奢りたいの」
「鳴海みたいね、それやめたほうがいいわよ玲さん」

 やっぱり楽しそうに悪態をつきながら、じゃあ遠慮なく、と小南ちゃんは迷わずに2つボタンを押す。小南ちゃんの好きなそれと、それから。思わず笑みがこぼれてしまう。

「それ1つは鳴海さんのよね?じゃああとは   」
「えっ!?そ、そういうのじゃなくって、あたしが!そう、あたしが2つ飲むの!」
「私のオゴリで?小南ちゃん、なかなかやるねえ」
「…うっ…」

 言葉に詰まって顔をほのかに赤く染める小南ちゃん。見つめていると、「早く他の買って戻るわよ!」と言ってぷいっと明後日の方向を向いてしまった。ちょっといじわるしすぎた。くすくす笑いながらお金を入れてボタンを押してゆく。がこんがこん、と音がして4つのアルミ缶が落ちてくる。全部取ろうとするとそのうちの1つをしなやかな指先が攫ってゆく。ごめんねと舌を出せば、もう、と彼女は頬を膨らませた。

「照れなくってもいいのに、もういっぱい話聞いてるんだから」
「それはそれ、これはこれよ!玲さんったら」
「太刀川みたいよ、それやめたほうがいいわ小南ちゃん」

 意趣返しとばかりににやっと笑う。目をまるくした小南ちゃんと目が合って数秒、2人して同時に笑いながら歩き出す。

「……玲さんに”まず2人の時間を増やすこと”って言われたでしょ?」
「うん、言ったね」
「だから、その、このあいだ買い物に行ったわ」
「鳴海さんと?」
「そう、玉狛の食材の買い出しだけど」

 笑いが収まったころ、ぽつり、と小南ちゃんが零す。その時のことを思い出しているのだろう、とても幸せそうな空気をまとっている。小南ちゃんのことだからきっと不器用な誘い方をしたに違いない。そこまで想像してついつい微笑んでしまう。かわいいなあ。

「ケーキが、」
「ケーキ?」
「そう、買ってくれたんだけど、アイツが。…美味しかったの」

 うつむきがちに、ぽつり、ぽつり。いつも勢いよくはきはきしゃべる小南ちゃんの別の顔。女の子の顔だ。鳴海さん、ごめんね。まだきっと鳴海さんにも見せてない顔だね。

「そっか、がんばったね」
「…ありがと、玲さん」

 はにかむ小南ちゃんが可愛くてぎゅーっと抱きしめたい。もしくは頭を撫でたい。でも手にしている3つのアルミ缶と、いつのまにかかなり近くにきてしまったラウンジのせいで叶わなかったので、「どういたしまして」と私にできる一番優しい顔で微笑みかけた。

 勉強を続けている4人の席が近づくにつれ、彼らの会話も聞こえてくるようになる。あーもう頭に入らないと唸るみのりちゃんに、大丈夫だ俺は最初っから入ってないとドヤ顔で言い切る太刀川の声を聞き留めたので、「…誇らしげに言わないでくれる?」と心からのツッコミを入れれば4人の顔が揃ってこちらを向いた。手に持っていた缶を一つずつみんなの目の前に置いてゆく。

「スミマセン玲さん、なんか俺らまで」
「玲さんありがとうございます!はー生き返る〜」
「勉強頑張ってたみのりちゃんにはコレもオマケしちゃおう」
「え!わーい!」

 来るときにコンビニでちょっと買っただけの安いチョコレートなのだけれど、そんなこと関係ないとばかりに嬉しそうに顔を輝かせてくれるみのりちゃん。これだけ喜んでもらえたら、きっとチョコレートも本望だろう。

「中津をあんまり甘やかさないでください」
「え、うーん。でも脳が疲れた時には甘いものがいいって言うしね」
「はあ…」

 見とがめた荒船くんとそんな会話をしていると、美味しそうにチョコレートをもぐもぐしていたみのりちゃんが突然「あっ!」と大きな声をあげた。今度は何だよ中津、と太刀川がまたしても彼女に便乗する。

「遊園地行きたい!みんなで!」

 遊園地。突然飛び出してきた単語に理解が追い付かずに、頭の中でもう一度反復する。遊園地。カラフルな色彩と楽しそうな笑い声が頭をよぎって、思わずふふ、と笑いがこぼれてしまう。そういえば遊園地なんてしばらく行っていない。そういうわくわくしちゃうような唐突なアイディア、好きなんだよなあ。
 予想通り今の勉強に煮詰まった状況をとりあげてみのりちゃんにつっかかる荒船くんと、反論するみのりちゃん。テーブルは一気ににぎやかになる。太刀川はふむ、と顎髭に手をやって、何やら考えているようすだ。   行きたいな。太刀川も、一緒に。

 それに、単語にぴくりと反応した小南ちゃんも、”みんなで”という言葉に眉をしかめたものの遊園地に行くということには悪い気はしていなさそうな荒船くんも、お姉さんは見逃していない。なかなか素直になれない小南ちゃんと、きっと2人きりのデートに誘うには時間がかかりそうな荒船くんのためにも、ここはぜひ乗っておきたいところだ。もちろん自分のためにも。不思議な組み合わせの6人だけれど、きっと楽しくなるだろう。

「みんなで遊園地、ふふ、楽しそうね」

 想像した胸のおどるようなわくわく感をそのまま言葉に出せば、考え込んでいた太刀川がふっとこちらを見た。行きたいのか、と問われているような気がしたので、行きたい、と視線で返した。伝わっているかどうかはよく分からない。そのうち荒船くんとみのりちゃんの言い合いがヒートアップしてきてしまったので、太刀川からは視線を外して「まあまあ、」と仲裁に入る。みのりちゃんの瞳に何らかの決意の色が宿った。

「じゃあ、勝負して決めようよ!」
「「……」」
「話してみろ、中津」

 あっこれ太刀川を味方につける作戦だ。やるな、みのりちゃん。彼女は勉強は苦手だけれどやっぱり頭がいいのだ。太刀川は自分のやりたいと思ったことに関しては、驚異的な頭の回転を働かせて周りを思い通りに動かすパワーと月見ちゃん譲りの戦術がある。

「荒船と太刀川さん、玲さんとわたしで勝負しよう!で、わたしたちが勝ったら遊園地!」
「へえ、面白そうだな。せっかくだから小南と鳴海さんもどうだ?」
「はぁ!?なんであたしが!」

 どんどん太刀川に丸め込まれてゆく4人。いつの間にかチーム分けが鳴海さん・みのりちゃん・私チームと太刀川・小南ちゃん・荒船くんチームに決定している。待って待って小南ちゃん、太刀川に踊らされてるよ?小南ちゃんは遊園地実は行きたかったんだよね???そっちのチームが勝ったら遊園地には行けないんだよ?
 あっちのチームに太刀川がいるということは、彼は行きたくないということだろうかと一瞬考えるけれど、よく考えなくても"ただ戦いたい"だけだろうと思い至って思考を放棄した。
 「遊園地、行きたいのか?」荒船くんとみのりちゃん、鳴海さんと小南ちゃんがそれぞれ何か話している中、太刀川が軽く声をかけてくる。

「はー…戦いたいだけでしょ、太刀川は」
「そりゃもちろんだけどな。行くなら2人で行きたいんだよ、俺は」
「…アラそうだったの気付かなかったゴメンネ」
「ま、どっちにしろこっちが勝つだろうなあ。そっちが勝ったらみんなで遊園地、こっちが勝っても何も無し、ってのは不公平だよな玲チャン??」

 男はそう言って楽しそうににやにや笑う。みんなと話したりしてどこかへいったはずの苛々がまた少しだけ顔を出した。2人で行きたい???今日だって出かけるはずだった。課題を忘れていたのは太刀川自身なのに。私だって今日を楽しみにしていたのに。今度は戦闘の話に乗っかって課題を放棄するのだ。私はみんなで行くことに賛成しているのにそれに立ちはだかる形で。今日1日で積もり積もったものが一気に噴き出してくる。その上分かっていて私の負けず嫌いを刺激してきたりしたので何かがふつりと切れる小さな音がした。本当にこのひとは、もう。

 きっ、と強い視線を向ければ予想外だったのか、太刀川は少しだけ焦りを見せた。「え?怒ってるのか?」何がなんだか分かっていないといったようす。私は耳を寄せて小声で言ってやる。
 
「太刀川、私だってね、今日楽しみにしてたのよ」
「!」
「分かったわ、そっちが勝ったら2人ででもなんでも行ってやろうじゃない。でもね   

 簡単に勝てると思わないほうがいいわよ。
 にっこりと笑いそれだけ言い残してくるりと踵を返す。言葉に出して本人に言ったらすっきりしてしまって、心は一気に軽くなる。苛々は完全に消え去ってしまった。
 攻撃手ランクの1位と3位に加えて、完璧万能手を目指す荒船くん。かなりすごい組み合わせだ。けれどこっちにだって鳴海さんとみのりちゃんという心強い味方がいる。私にだって東さん仕込みで兄さんゆずりのよく働く悪知恵がある。

「太刀川への冥土の土産は残してきたのか?」
「鳴海さん、うん、ばっちりです」
「チームグラスホッパー結成ですね!」
「チームグラスホッパー!いいわね、引っかきまわしてやりましょ!」

 そして負けたくないというのももちろんあるけれど、それ以上に。私だってこの2人と一緒に戦うのにわくわくが止まらないのだ。遊園地もみんなで行きたい。でもその前に、この模擬戦を心から楽しんでしまおう。

「作戦どうしましょう?向こう、かなりヤバいですよね!太刀川さんに小南ちゃんに荒船だもん」
「そうね、荒船くんに関しては鳴海さんがいるから大丈夫そう。ね、鳴海さん」
「ああ、まあ狙撃手だったら大体は。問題は小南と太刀川だな」
「それなんですけど。万が一太刀川と私が一騎打ちになるような場面があったら秘策があるんです」
「秘策?玲さん、太刀川さんとの戦績ってたしか………」
「一対一だと、勝ったのは1回くらいだったよな?」

 鳴海さんの言う通り、私が太刀川にタイマンで勝てることはそうそうない。けれど付き合い始めてから、太刀川が”お前とは戦りづらい”と言ってあまり戦ってくれない本当の理由を、私は実はこっそり分かっているのだ。

「基本はチームの連携で倒しましょう。秘策って言っても、結構ずるい手なので。でももし万が一ってことになったら使います」
「自信ありそうですね、玲さん!」
「んー、勝率は80%くらいかな?」
「頼もしいな」

 笑う2人に私も笑い返す。2人とも楽しそうだ。

「小南ちゃんと荒船くんはどうしましょう?」
「あ!わたし荒船の隠れそうな場所わかるかも!」
「おっいいなみのりちゃん、じゃあおれと今から擦り合わせだな」
「基本は3人の合流を最優先ですよね。小南ちゃんは…鳴海さん狙ってきそうだなあ」
「正直おれの手に負えるかは微妙」

 真剣な表情でそう言う鳴海さんにみのりちゃんと私が思わず笑う。鳴海さんもくしゃっと笑う。少しずつ3人で作戦を詰めてゆく。くすくす笑いながら、胸を躍らせながら。ああ、ラウンジに来たときはどうなることかと思ったけれど、でもすごく楽しい1日になりそうだ。みんなに感謝しかない。

「じゃあ鳴海さん、隊長よろしくお願いします!」
「おれで良ければ!よし、中津ちゃん玲ちゃん、頑張ろうな」
「おー!」

 組んだ円陣がほどかれる。元気のいい掛け声とともに、3人の足は揃って前へ。
    さて、最高の1戦の幕開けだ。



 




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