失踪事件の主犯だった女を捕らえたふみは外套から携帯を取り出し携帯を開いた。
開いた携帯画面に表示された時間は龍之介から命じられた“1時間以内で片付けよ”と言う時間に対して1時間前ギリギリの時間であった。
ふみは急いで片割れに電話を掛けるとワンコールで龍之介と繋がった。
龍「終わったか」
『あぁ、終わった。きちんと自身で事を片付けた』
静かにそう言うふみに龍之介は「そうか」と応えると「外に黒蜥蜴を待機させている、後は黒蜥蜴に任せよ。ふみ、貴様はゆっくり休め」とふみに優しい言葉を掛けるとプツリと通話を切った。
ふみは、携帯を外套の内ポケットにしまうと丁度入って来た黒蜥蜴に後を頼むとその場を後にしようとしたのだが、銀に腕を掴まれてその足を止めた。
『銀?どうした?』
「下で立原を待たせてる。行って」
突然の銀の言葉に首を傾げるふみだったが銀は気にすることなく、ふみの背中をぽんっと押した。
「早く行ってあげて…。待ってる」
その言葉は、立原に向けられているものなのか、其れとも人虎に向けられているのは分からなかったがふみは銀の言葉に頷くと『ありがとう』と小さく微笑んだ。
廃棄のビルの階段を駆け下り外に出ると大型バイクに跨った立原が居り、立原はふみに気がつくと「姐さん、こっちっす{emj_ip_0792}」とふみを手招きした。
ふみは素早く立原に駆け寄ると立原は笑いながらふみにヘルメットを渡した。
『何故ヘルメット?』
立「銀から頼まれたんすよ。“姐さんを病院に届けてほしい”って」
ふみは立原の言葉に驚くとポツリと自身の妹の名を呟いた。
立「後ろ、乗ってください。
病院まで超特急でお送りしますよ」
笑う立原にふみは頷くとヘルメットを被りバイクの後ろに跨ると立原はエンジンを吹かしアクセル全開で発進した。
立原のお陰により無事、病院に戻って来たふみはヘルメットを外し立原に礼を言うと、急いで病院の中に入って行った。
病院の中は走らず静かにしなければならないと分かってはいたが、ただひたすら敦の元へと走った。
角を曲がると敦の眠る集中治療室が見えたふみは、ピタリと足を止めた。
集中治療室の前には蝶の髪飾りを頭につけた白いカッターシャツに黒のスカートを履いた一人の女性が立っているのが見えた。
黒髮の女性は、ふみの姿に気がつくと「アンタ確か…」と呟いた。
『貴女は…探偵社の…』
与「アンタの事は知ってるよ。敦の想い人だろ?
妾の名前は与謝野。探偵社で医者をしているよ」
自己紹介する与謝野にふみは驚いた様に目を見開いた。
『太宰さんから貴女のお帰りは明け方になると…お聞きしていました。
貴女がいるという事は……人虎は…』
自身の胸元にある敦の黒いネクタイをぎゅっと握りしめるとふみは震える声で与謝野に問いかけ、与謝野は、にっこり笑い「あぁ、無事治療は完了したよ」と言った。
与「妾も国木田から連絡を受けて直ぐに帰ろうとしたンだけど中々、上手く交通が行かなくてねぇ…。
困り果てていた所をあんたの兄がヘリをチャーターしてくれたンだよ。
最初は、何か企みでもあるのかと警戒したが“人虎が今、死ねばふみが悲しみ後悔する”って言っててね。
あんたの為に妾を此処まで連れて来てくれたんだ
それで何とか間に合ったって訳さ」
与謝野から聞いた片割れの話にふみは、涙が出そうになった。
敦が嫌いな癖に妹の為と動いたその姿にふみは龍之介から大きな家族愛を感じ、
ふみは大切な自身の片割れである龍之介の姿を思い浮かべると心の中で感謝した。
『…ありがとうございますっ…本当に…』
ふみは泣きそうな声で与謝野に礼を言い、頭を下げると与謝野は「あんたは敦の側に居てやんな」とふみの肩をぽんっと叩くとヒールの踵を鳴らしながらその場を後にした。
ふみは与謝野の姿を見送ると敦の病室の扉を開け足を踏み入れた。
ふみが敵の元へ行く前とは違い、医療機器も点滴も全て外され静かに寝息を立てる敦にふみはホッとした様に胸を撫で下ろした瞬間、緊張の糸が切れたのか無意識にぽろぽろと涙が溢れ出しふみの頬を伝った。
ふみは敦の手に触れ、両手で持ち上げると自身の頬に敦の手を当て、すりっと擦り寄った。
『心配させおって…っ…馬鹿者…阿保…この愚者めっ…』
ふみは溢れる涙がを拭う事無く、眠る敦へと子供の様な悪口を言った。
幾ら、馬鹿や阿保と言っていても溢れる涙にふみは自身の胸が苦しくて仕方がなかった。
死ぬかもしれないと考えるだけで胸が苦しくなり無事だと知れば、また苦しくなる胸にふみはまるで自身の体が自身のものでは無いのでは無いかとすら思えてしまった。
それ程にふみに取って“中島敦”と言う存在は、ふみの中で重く…そして大きく、大切な物となっていた。
(人虎は私に一目惚れしたと言っていた)
(だが、それより先に私が奴を見ていた)
(龍之介から人虎の話は聞いていた。
龍之介の話を聞いて私は人虎に龍之介を取られるのでは無いかと嫉妬した)
(だが、あの日貴様を見た時、私は自身に無い白と言う色がひどく眩しく見え……)
(貴様と目が合った瞬間、その美しい瞳に目を奪われた)
(本当は…あの時に私の方が先に…)
ふみがあの日、敦と出会った日の事を思い出していると頬に触れた敦の手がピクリと動いたのが分かった。
ふみはぎゅっと敦の手を握ると『人虎っ…』と敦を呼んだ。
すると敦の瞼がピクリと動いたかと思うとゆっくりと瞼が開かれ、アメトリンの様な瞳とふみの瞳とが合った。
敦「ふ、みさ…ん…」
ふみを瞳に映した敦は掠れた声でふみの名を呼んだ。
『じん、こ…っ{emj_ip_0792}』
ふみは自身の瞳から更に涙が溢れ出すのが分かった。
敦は、涙を流すふみに困った様に笑うとふみの頬をするりと撫でた。
敦「ふみさん…泣いているんですか…?」
『貴様が…馬鹿な事を、したからだっ{emj_ip_0792}』
敦は泣きながらそう言うふみに「すいません」と謝ると優しい笑みを浮かべた。
敦「守りたかったんです、ふみさんの事を…
自分が死んでも良いからふみさんを守りたかった。
ふみさんの事を愛してるから…」
そう良いながらながら頬を伝うふみの涙を拭い愛おしいそうに微笑む敦にふみは、ずっと自身の中で堰き止めていた壁が壊れ、甘く切なく苦しい思いが一気に溢れ出した。
止まらない思いにふみの瞳からは更に涙が溢れ、
そして溢れ出した思いは、ふみの限界を越えてしまった。
『……す、き…っ』
ポツリとふみの口から出た言葉に敦は驚き目を見開き、
ふみ自身も突如、己の口から出た言葉に驚き目を見開いた。
『ちが、っ……いまのは…ちがう、くちがかって、に…っ』
オロオロと狼狽えるふみの手を敦はガシッと掴み、グイッと力強く引っ張るとふみは寝台《ベッド》の上に倒れこんでしまった。
ふみは驚き、敦の顔を見ようとしたが温かい温もりに包まれた事により顔を上げる事が出来なかった。
ふみは、敦に抱き締められていたのだ。
『じ、んこ…?』
不思議そうにふみが敦の名を呼ぶと敦は「ふみさん」とふみの名を呼んだ。
敦「バイキング、行かないといけませんね」
“いつにしましょうか”と幸せそうな声色で話す敦にふみは敦の胸元に頭を寄せると『いつでも良い…』と答えた。
敦「他に行きたい場所は、ありますか?」
そう尋ねる敦にふみは、少し黙ると小さな声で呟いた。
『遊戯場《ゲームセンター》に行きたい…。
また、大きな菓子が欲しい。
観覧車……次は、観覧車にも乗りたい…
一緒に…』
ポツリポツリと呟くふみに敦は、笑みを浮かべながら静かに聴き終えると「全部、行きましょう。ふみさんの望むところ全部」と言った。
ふみは敦の言葉に頷くと瞼を閉じ、敦に身を寄せ敦は、そんなふみを離さないと言う様に更に力強く抱き締めた。
そんな二人を窓から差し込む月明かりが照らしていた。
あの事件から3日後、ふみは任務帰りに裏路地を歩いていた。
コツコツと履き慣れたローファーを鳴らしながら歩いていると不意に後ろから聞き慣れた声に名を呼ばれたふみは、ゆっくりと振り返った。
『人虎…』
敦「お久しぶりです、ふみさん{emj_ip_0792}」
ニコニコと笑みを浮かべる敦にふみは『たった3日ぶりなだけだろう』と言うと敦は「ふみさんに会えない3日なんて僕にとっては3年の時間が流れているのと同じぐらい長いんです{emj_ip_0792}」とムッとした表情でふみに訴えた。
ふみは呆れた様に溜息を吐くと敦に『体調は、良いのか…?』と尋ねると敦は、にこやかに「バッチリです{emj_ip_0792}」と応えた。
敦「でも、大変だったんですよ{emj_ip_0792}
あの後、探偵社に出社すると国木田さんに怒られるし…
報告書を1日で仕上げないとふみさんに会うのを全力で阻止するって言われたので一生懸命頑張りました」
ドヤ顔で褒めてと言わんばかりの顔にふみは、再び溜息を吐くと何かを思い出したかの様に自身の羽織る黒い外套の内ポケットに手を伸ばし何かを掴み、敦にスッと差し出した。
敦「あ、ネクタイ」
ふみが差し出した物は、あの日眠る敦から勝手に借りていた敦のネクタイであった。
あの日、敦に抱き締められたまま病院の寝台《ベッド》で眠りに就いたふみは明け方、ぐっすりと涎を垂らしながら幸せそうに眠る敦の腕から抜け出し、敦の髪をひと撫ですると病院から家へと帰宅した。
その際、ふみは敦のネクタイを着用していたのを忘れて帰宅してしまい、家に帰り風呂に入る際に気がついたのだった。
直ぐに返そうと考えたが、敦の血と雨を吸ったネクタイは汚れて見えた。
ふみは、暫し考えた後に敦のネクタイを胸もとでぎゅっと握り締めると洗濯ネットを取り出しネクタイを入れるとそのまま洗濯機へと放り込んだ。
龍之介の私服と共に洗った事は、ふみだけの秘密である。
洗濯して綺麗になった敦のネクタイをふみはいつでも返却出来る様にと持ち歩いていたのであった。
敦「ふみさんがあのまま持っていたんですね、見つからなくてもしかして…とは、思っていたんですが」
嬉しそうに見つめる敦にふみはバツが悪そうな表情を浮かべるとそっぽを向き、『き、汚かったからな。洗濯しただけだ{emj_ip_0792}た、偶々だぞ。偶々{emj_ip_0792}』と言った。
頬を染めながらそっぽを向くふみに敦は優しい視線を向けるとそっぽを向くふみの顔を覗き込みながらにこりと「ネクタイを僕の首に結んでくれませんか?」と問いかけた。
『何故、私がそんな事をせねばならぬ』
敦「駄目ですか?」
ニコニコと笑う敦にふみが不機嫌そうな顔をしていると敦は「むねがいたいなー、ふさがったはずのきずがいたいなー(棒読)」と棒読みで言い始めたのでふみは気まずそうな顔をすると少し考えた後、溜息を吐いた。
『縛っている間に何かしてみろ。
そのまま首を締めて殺してやるからな』
敦「何もしませんよ{emj_ip_0792}」
そう言うとふみは敦に先程より少しだけ近くに近づくと敦の首にするりとネクタイをかけ、ぎこちない手つきで敦にネクタイを結び始めた。
敦「結び方、分かります?」
『馬鹿にするな、それぐらいは分かる。
だが……他人にするのが初めてなだけだ』
ふみは険しい顔をしながらも自身の身長よりも高い身長である敦に一生懸命ネクタイを結ぼうと格闘していた。
そんなふみを敦は愛おしそうに見つめているのを当の本人はネクタイを結ぶのに集中し過ぎて気づいていなかった。
数分後、ネクタイを結び終えたふみは“どうだ{emj_ip_0792}”と言わんばかりにドヤ顔で敦に視線を向けると敦は、そのままふみを抱きしめた。
『なっ{emj_ip_0793}離せ人虎{emj_ip_0792}{emj_ip_0792}』
敦「あーやっぱり好きです、大好きです{emj_ip_0792}愛してます{emj_ip_0792}
結婚しましょう{emj_ip_0792}{emj_ip_0792}
そして毎日、僕にネクタイを結んでください{emj_ip_0792}{emj_ip_0792}」
ふみを力強く抱き締め、ハートを飛ばしながら愛を叫ぶ敦にふみは驚き一瞬固まったが、すぐ様正気を取り戻し右手で拳を作ると遠慮無しに敦の脇腹に叩き込んだ。
敦「うっ{emj_ip_0792}」
突然の衝撃に痛む腹を片手で抑えた敦からふみはすぐ様するりと抜け出すとフンッと鼻を鳴らし、敦に背を向けその場を去ろうとしたが後ろから掴まれた腕にふみは、前に進む事ができなかった。
ふみは、再び後ろを振り返り『離せ、人虎』と冷たい声で言うが敦は手を離さなかった。
『離せ』
敦「ふみさんって
僕が思ってた以上に僕の事好きですよね」
にっこりと笑う敦にふみは眉を寄せた。
『貴様の事など、どうも思っていない』
敦「嘘」
『しつこいぞ{emj_ip_0792}私は貴様の事など何とも思っておらぬ{emj_ip_0792}』
怒りを露わにするふみに敦は笑みを崩さないまま口を開いた。
敦「本当は、僕の事を無意識に“好き”といってしまうくらい好きなんでしょう?」
敦の言葉にふみは、ドキッと胸が高鳴ったのが分かった。
そう…ふみは本当は初めて敦を見た瞬間に自身に無い白を持った敦に目を奪われていたのだ。
そして、敦の瞳と目が合った瞬間にそれは“一目惚れ”と言う確かなものに変わり、初めての感情に酷く恐れを覚え、こんな感情は不要の物だと決めつけるとふみは、静かに自身の心の奥底にしまい込んだ。
絶対に言うまいと決めたのにあの日ポツリと出てしまった言葉には、ふみの心の奥底に沈んでいた本音であり、そして今、敦に言われた言葉は図星であった。
ふみは、顔を真っ赤にさせると拳を握り自身の左手を掴む敦の左頬に拳を叩き込もうとしたのだか振りかざした手をパシっと掴まれてしまった。
ふみは驚いた様に目を見開くと敦は、ふみに真剣な表情で言った。
敦「言ったでしょう?
“逃さないつもりなので覚悟してくださいね”って」
その言葉の後に不敵に笑う敦にふみは眉を寄せ、グッと唇を噛み締めると『うぅぅぅぅぅっ』と唸った後にキッと敦を睨みつけた。
『貴様の{emj_ip_0792}そう言う所が{emj_ip_0792}気に食わぬのだ{emj_ip_0792}
普段は、ヘラヘラと私に対して弱いフリをしてされるがままの癖に{emj_ip_0792}{emj_ip_0792}
こう言う時だけ強い本来の姿を見せるなんて{emj_ip_0792}
貴様のそう言う所が好かぬのだ{emj_ip_0792}{emj_ip_0792}{emj_ip_0792}』
涙目で怒り狂うふみに敦は、笑みを浮かべたまま「でも、そんな僕が好きでしょう?」と問いかけた。
ふみはグッと言葉を飲み込み、敦を見つめると……
『調子に乗るな{emj_ip_0792}愚者めが{emj_ip_0792}{emj_ip_0792}』
と敦に渾身の頭突きをした。
予想していなかったふみの頭突きにより敦は、痛がりふみの手を離し痛さのあまり、おでこを両手で押さえしゃがみ込む敦を数秒見つめた後、涙目で敦がふみを見上げるとその敦のおでこにふみがチュッとキスをした。
敦「へっ{emj_ip_0793}」
突然のふみの行動に驚く敦にふみは、ふっと笑みを浮かべると黒い外套を翻し、歩き出したのだった。
敦「ふ、ふみさん{emj_ip_0792}今のは{emj_ip_0793}」
衝撃的過ぎて先程のふみの行動を理解出来なかった敦は、歩き出したふみの名を呼んだ。
ふみは数歩歩くとくるりと敦に顔を向けた。
その頬は、ほのかに紅く色付いていた。
敦「ふみさん…」
敦が再びふみの名を呼ぶとふみは、少し視線を逸らしながら、言った。
『敦、私は腹が減った』
敦は、再び目を見開くと幸せそうに微笑んだのだった。
蜘蛛の糸の先は…〜完〜
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