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仲直り



ソファよろしく、大人しくあたしの下に敷かれている定春。もふもふしてて、気持ち良くて、これこそまさに人を駄目にするソファだな、と思った。テレビからは、お昼のワイドショーが流れていて、あまり興味の無い女芸人の熱愛を報道している。ぼんやりとそれを眺めているあたしは、時々、本物のソファに座ってジャンプを読んでいる銀さんを盗み見していた。

みんなでご飯を食べた後、新八は心底愛して止まないというアイドル、お通ちゃんのライブへ。神楽は将軍の妹、そよちゃんと遊びに。将軍の妹って、あの将軍?その妹?と話を聞いた時は、あたしの頭の中がごちゃごちゃと混乱していたが、本当の征夷大将軍のその妹ぎみが、神楽の言っているそよちゃんだということが解った。それもそのはず、銀さんと新八が、まったくもって冷静に説明を加えてくれたのだ。多分、万事屋という仕事柄、将軍様とも接点があるんだろう。何とも不思議だ。

そんなこんなで、万事屋には、定春とあたしと銀さんだけが残った。
銀さんは愛読書、ジャンプに集中しているのか何も言葉を発しないし、あたしもあたしで、定春に凭れ掛かって死んだ魚の目を時々見ながら、テレビを黙って見ているだけ。でも、あの大好きなジャンプを読んでいる時ですら、目が死んでいるなんて、なんてやる気の欠片ほども無い人なんだろう。

「続いては、こちらです。」
女芸人の熱愛ネタは終わって、続いて始まったのは、また別の熱愛ネタ。どうやらそういうコーナーらしい。今度は、有名女優さんと若手のイケメン俳優。あ、このイケメン俳優、何かと噂が多い人だ。

「チャラいなぁ」
「最近の若い奴はさ、簡単に手ェ出すんだよ。気をつけなさいよ。」

ぼそりと半ば無意識のうちに呟くと、なぜかジャンプに集中していたはずの銀さんに、お母さんのごとく注意された。死んだ魚の目がテレビを見て、「こいつ嫌いなんだよ。結野アナの次は女優だァ?」とぶつくさ言っている。
結野アナとは、銀さんの贔屓するお天気お姉さんだ。結野アナとこのイケメン俳優が一時期騒がれていたから、それからというもの、この人を毛嫌いしているらしい。

「でも、別れた原因、結野アナの浮気とかって聞きましたよ。」
「え、何それ。名前はそいつの肩持つわけ?」
「いや、そういうことじゃないですけど」
「大体なァ、マスコミの報道なんざ、あてになんねェんだよ。じゃあお前は実際結野アナの浮気現場を目撃したんですか?」
「いや、見てないですけど。何なんですか?面倒臭いなぁもう。」
「はっ!?面倒臭いって言った?今、俺のこと面倒臭いって言った?」
「言いました。はっきり言いましたよ。ていうか、その聞き返すところがまずもって面倒です。大体、銀さんだってすぐ手出すじゃないですか。」
「ハァ!?え、おま……もしかして、まだ根に持ってる……?」

驚いているような、申し訳なさそうな、苦虫を噛み潰したような顔で銀さんがあたしを指差す。
いやいやいや。根に持ってるに決まってるじゃない。
銀さんが何も無かったような顔をしているから、あたしも気を遣って、何も無かったような顔をして接しているだけであって…………
あれ?そうだよね。何も無かったと思おうとしてたけど、実際はあの日、あたしの部屋でなまじ酔っ払いのこの人に押し倒されたわけで、それを当人はさも何もしてませんみたいな顔で、平気で過ごしているけどさ。

「逆に、あたしが忘れてるとでも思ってたんですか?」

何だか無性に腹が立ってきたので、そう聞き返してやると、銀さんはようやくジャンプをテーブルに置き、口をパクパク開閉させた。何かを言いかけてはやっぱりやめ、息をすんっと吸って止めたと思えば盛大に吐き出しを繰り返している。
そうです、と声に出して言うよりも、今の態度が図星だと物語ってしまっているのが何とも滑稽だ。

「取り乱しすぎです。」
「なっ……と、ととと取り乱してねーよ!」
「意地っ張り。」
「…………。あの、……アレ………先日は、どうもすんませんっしたァァァァ!!!」
「どぅわあああっ!!」

てっきり言い訳の一つや二つ繰り出すもんだと思っていれば、いきなりの土下座。しかも銀さんがあたしの目の前に飛び出して来たもんだから、びっくりして思わず変な声が出てしまう。それによって、定春も飛び火を喰らって和室に逃げて行ってしまい、後に残されたあたしは銀さんの頭のてっぺんをただ見つめた。

いつになったら、頭を上げるんだろう。なんて呑気に考えていたけれど、そうか。これはきっと、あたしが「もういいですよ。顔を上げて。」と言うべきところなのだ。そうしなければ、銀さんはずっと、恐らく何かきっかけが無い限りはずっと、頭を下げたままでいなければならない。いや、下げたままでいるはずだ。だからこそ、許して溜まるか、という感情が沸々と湧いて来た。
ふわりと揺れる銀色の髪の毛をじっと見つめて、あたしは無言を貫く。
だが、その無言も銀さんにとっては何かのきっかけに他ならなかったらしい。恐る恐る顔を上げたと思えば、あたしを見つめてくる。死んだ魚の目が、少しばかり捨てられた子犬のような可愛らしい目に変わっていて、あたしは一瞬息を飲んだ。

「あの……今言ったら言い訳になっちまうだろうけど、俺……あの時は酔っ払ってて……」
「何なんですか、その言い訳は!!」
「えっ?いや、だからあの、え?名前さん、俺の話聞いてた?」
「言い訳なんか聞きたくありません!あの時……どういう気持ちで、あたしを押し倒したのか。どういう気持ちで、あたしにあんなことを言ったのか。今、どういう気持ちで、あたしの目の前に居るのか。それが聞きたい。言い訳なんか要らない。あたしが聞きたいのは……銀さんの気持ちです。」
「名前…………」

言ってしまった。全部。
言ってしまってから気づいた。
あたしはどうしてこんなに怒っているのか。あたしはどうして銀さんの気持ちが知りたいのか。銀さんの返事次第では、あたしたちの関係はその後、大きく変わってしまうだろうに。
それでも言ってしまったのだから、仕方がない。もう後にも先にも行けないのだ。

銀さんの赤い瞳がゆらゆら揺れている。床に座ったままの状態で、身体はまったく動いてくれない。時間が止まったように、あたしたちは見つめ合ったまましばらく動けなかった。一体、何分くらいそうしていただろうか。実際には数秒かもしれないが、体感としてはその何倍にも長く感じた。銀さんの口がパッと開いて何かを言いかけて……
その時だ。
玄関の方から、大きな物音が聞こえて、反射的にあたしたちは距離を取った。

「ただいまヨ〜」
「か、神楽。おかえり〜。早かったね。」
「そよちゃん、風邪ぎみで鼻水垂らしてたから早く帰ってきたヨ。」
「そ、そうなんだ。姫様が鼻水垂らしてるのは想像できないけど。」
「名前も今度そよちゃんに会うヨロシ。紹介してあげるヨ。ところで、銀ちゃん、何してるアルか?」

廊下をぺたぺたと歩いて来たのは神楽で、早く帰って来た理由をあたしに話してくれた後、変な格好をしている銀さんを見つけて指を差す。その先に居る銀さんは、どうしてそんなことになったのかよく解らないが、部屋の壁に蜘蛛のごとく貼り付いていた。

「あーあれね。なんか、あれ、蜘蛛の練習だってさ。」
「ふーん。…………なんかおかしいアル。名前も顔から変な汗出てるアルヨ。」
「えっ!嘘!?そ、そそそそんなことないよ。いつも通りだよ。」

神楽は銀さんを見て、次いであたしを見て、「変なの」と言いつつも、どうでも良さげに和室に居る定春に抱きつきに行ってしまった。あたしは内心安堵しながら、顔に貼り付けた笑顔を引っぺがす。未だに壁に貼りついている銀さんを見ては、呆れにも似た溜息が一つ溢れた。

「名前ー!定春の散歩行ってくるヨ!早く銀ちゃんと仲直りするヨロシ。」

不意に背後から声が聞こえたと思ったら、神楽が定春を連れて戻ってきていた。最後の一言は、あたしだけに聞こえる声量でとびきりの可愛い笑顔で言うもんだから、ああこの子はまったくもう何なんだこんちくしょう、ともう一人の自分が胸の内で大暴れしていた。

「神楽。ありがと。気をつけて行ってらっしゃい。」

何とか胸の内を鎮めて、神楽に手を振った。玄関扉がピシャリと閉まる音が消えるまで、廊下で立ってそうしていた。手を止めて下ろしかけた手を顔に当てた。ぺちぺちと軽く三回叩いた。
銀さんがあたしのことをどう思っていようと、あたしは万事屋の一員だ。万事屋の一員である限り、その主人の銀さんと気まずい雰囲気になったままではいけない。何より、このままじゃ神楽や新八に心配をかける。銀さんがあたしのことを好きであろうと嫌いであろうと、そのどちらでも無かろうと、とにかく銀さんの気持ちをまず聞き出さないと。話はそれからだ。
よし。仲直りする。

そう決意新たに振り返ったのだけれど、それから足が出なかった。身体が変に強張って動けなかった。

「ぎ、んさん……」

目の前に銀さんが立っていて、あたしを見下ろしていた。顔色を窺ってみるも、いつもの死んだ魚のような目があるだけで、やっぱりそこから銀さんの心を推し量るのは無理があるような気がした。

「どうしたんですか……」

駄目だ。仲直りするって決めたのに、別のことばかり考えてる。こんなの、いつものセクハラじゃないか。へらって笑ってハグされて、あたしが「馬鹿!」って怒鳴って平手打ちして、「そんな怒んなよ」ってまたへらって笑って、そんな笑顔に何故か安堵させられて、それでハイおしまい仲直り、って。いつもなら、そんな簡単なことなのに。何をそんなに怖がることがあるんだろう。あたしは何に怯えているんだろう。

「名前」
「銀さんッ!」

絞り出すようにあたしの名前を呼ぶ声を遮って、あたしの中から声が漏れる。


「……あたし、……銀さんのことが好きです。」


「……はっ。ハァ!?おまっ、そういうのは俺が」
「好きなんですっ!でも、違うんです!違うくないけど!違うんです!……銀さんとは、ずっとこのままで……。仲直りしたい、だけなんです。」

鼻の奥が熱くて苦しくて、視界が滲んで、銀さんの目がゆらゆら揺れている。もう後にも先にも行けない。それでも、出逢った頃のように、出逢った頃のまま。あたしたちの関係が良くも悪くも壊れてしまわないように。それだけでいい。ただ、それだけを願う。でもそれは、あたしの個人的な我儘だということは解っている。
瞬きをしたら、目の端から雫が溢れた。
不意に銀さんが消えたと思ったら、顔の隣に顔が在った。銀さんに抱きしめられている、と理解するのに数秒かかった。

「名前。泣くんじゃねーよ。こっちまで辛くなんだろ。」
「泣いてませんよ。ちょっと……落っこちちゃっただけです。」
「バカなのお前は。」
「馬鹿じゃないです。」
「なあ、良い匂いする。」
「銀さん……セクハラは、嫌いです。」
「へっ。言うよなァ。」

少し身体を離して銀さんがあたしの顔を見た。あたしも銀さんの顔を見た。あたしの大好きなへらへらした笑顔が在った。「仲直り」。子供じみたこの言葉は、あたしたちには高価な宝石のように輝いて見えた。二人揃って、ワレモノのように丁寧に紡いだ。

「「仲直り。」」


ガラッ。

「ただいまヨ〜!ん?どうして二人とも廊下に居るアルか?」

神楽の可愛らしい声とともに、玄関扉がガラリと音を立てた。あたしは咄嗟に銀さんの身体を突き飛ばして、急に突き飛ばされた銀さんは後ろによろめく。

「お、おかえり〜。早いね。散歩。」
「雨降ってきたヨ。それよりどうして銀ちゃん、変な顔してるアルか?」
「元からこんな顔だコルァ。」
「ぎ、銀さんがね。あの、そう!セクハラ!セクハラしてきたんだよ!」
「本当アルか、銀ちゃん。それなら、この神楽様が許さないネ。名前、下がってるヨロシ。」
「うぇっ。ちょ、ちょっと神楽ちゃーん。一回落ち着こうか。ね。ちょっと落ち着こう。」

あたしを背に隠すように、神楽が銀さんとの間に立ち竦む。本当にセクハラなら、頼もしいこと山のごとしなんだけれど、今回ばかりはそうじゃない。実際にはあたしの同意の上でのハグであって、不快な気分では無かったし、神楽に銀さんを成敗して欲しい訳でも無かった。だから言ってしまえば、この変な顔をした大人二人の状況を、子どもの神楽に上手く説明する為に咄嗟に吐いた悪い嘘なのだ。

神楽に膝蹴りを喰らい、定春に頭を噛みつかれ顔に血を垂らしている銀さん。それでも、「違うんだって!マジで誤解です!」と必死に訴える様は、とても銀さんらしい。いつの間にかお通ちゃんのライブから帰って来ていた新八が、あたしの隣に立っていた。

「名前さん。僕が出掛けてる間に、何かありました……?」
「ううん。何にも。だって、これが万事屋の日常でしょ。」
「まぁ、そう、ですね。…………っていや、止めに入った方が良くないですか!銀さんヤバイですよ!血だらけですよ!?ちょっとォォォ!!!神楽ちゃん!!そのくらいにしとこうか!?銀さん本当に死んじゃうよ!!」
「このくらいじゃ銀ちゃん死なないヨ。」
「イヤイヤイヤ。マジで殺人現場並みに血だらけだから。銀さん大丈夫ですか。何があったんですか、ったくもう。」
「銀ちゃんが名前にセクハラしたネ。」
「このクソ天パがァァァァ!!!」

帰って来て早々の殺人現場並みの光景に、堪らず銀さんに駆け寄って行った新八だったけれど、状況は一変。神楽と定春に加勢し始めた。
まったく、なんて優しい子たちなの。


「いや、だからしてねーっての!!!」


銀さんのそんな虚しい叫び声と、あたしの笑い声が重なった。






2018.10.03
死んだ魚の目と仲直りできたので、これにて、第1章はおしまい(のつもり)です。

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