お金が無かった。とりあえず、お金が無かった。

一人暮らしを舐めていたわけではないが、水道が止められてしまえばどうしようもない。高校生だからといって待遇されるほど甘い社会だと思っていたわけでもない。ただ親の仕送りがあるのだから何とかなるだろう、そんな甘い考えがなかったとも言いきれない。だがしかし、お金がない。こんなにお金がないと実感できる事があるのかというほどお金がない。お金がないと気づいたのはほんの数日前。いつも送られてくる日に仕送りが入っていないのが発覚してからだ。一体どうしたのか、遠く離れた親に助けを求めようかと慌てて携帯電話を取り出すも、どこを触っても画面は真っ暗。そう言えばお金払えなくて解約されちゃったんだっけ‥‥と回らない頭でそう考えて、ならば違う手段で連絡しようとパソコンの電源を入れる。
電気代だけ前払いしていた事に密かに感謝しながら、某Yahaa!メールで仕送りが入ってこないのと助けてメール。しかし、送信した数秒足らずで新着メールが一件。もしかしてもう返信が?と淡い期待を胸にメールを開けば、まさかのエラーメール。探ってみる限り、どうやらメアドが違うらしい。
ちょっと待ってくれ。メアド変えたんなら娘に教えるくらいしてくれよ。いや、そんなまさか。


「‥‥お金」


貯金するなんて余裕は無かった。はじめから学校に通うだけでギリギリな生活をしていて、今月親から渡されたお金も既に底をつきかけている。バイトをするという考えもなかった。だって学生は学業に専念しなさいと言ったのは両親なのだから。
電話は使えない。
メールは届かない。
電子機能での通信手段が無理なら、いっそ手紙で‥‥とも考えたが、メアドを娘に知らせず変更するような親である。悲しいことだが引っ越している確率もあるし、何より仮に手紙が届いたとして返事が来る確証もない。それに今は危機的な状態でお金がないのだ。手紙をやり取りしている間に私がダウンしてしまうのは目に見えている。
呆然と1LDKの見慣れた家を見渡すが、高く売れそうなものが無ければ食料も後僅かしかなかった。

もって残り4日。生きるか死ぬかの境界線に辿り着くまで残り4日。残り4日で果たしてあたしは生活していくだけのお金を手に入れる事なんて出来るのだろうか。


「‥‥とにかく学校は暫く休まないと」


この4日間で全てが決まってしまう。今は学業なんて言ってる場合じゃない。大袈裟かもしれないが、良いバイト先を見つけれるか見てけられないかで、学校に通い続けられるかが決まるといってもいい。一先ず鞄の中から生徒手帳を探り出して、学校宛のメールアドレスを確認する。カタカタと小気味良いキーボードの音が狭い空間に響く中、薄い窓から注ぐ夕日が僅かに部屋を赤く照らした。


「……送信」


本当なら直接言いに行くべきなのかもしれないけれど、面倒臭い説教染みたことを言われる可能性を考えると少し面倒だ。きっとそうなってしまえば一時間以上掛かるだろうし、何より時間が勿体ない。ひとまず学校はもう大丈夫として、確実に越えなくてはならない壁はバイト先で。マリオもビックリなどでかい壁である。なんと言っても、大学を出た人も就職出来ないというようなご時世なのだから、信用性の低い高校生を雇ってくれるところなんてあまりない。無難にコンビニ店員‥‥は?なんて考えが思い浮かんだものの、すぐに打ち消す。友達がコンビニでバイトしているという話を聞いたことがあったが、意外と縦の関係が厳しいらしい。なんてそれはどこのバイト先でも同じだとは思うけど、コンビニって結構アラフォーの人達が働いていたりする。
私としては、やっぱり年の近い人達がいるところが良いわけで。これだけは譲れない。


「‥‥‥ってもこの辺あんまりないよね」


とりあえずレッツ検索。高校生可のアルバイト先をカチカチとあれこれ模索してみる。個人的には出来る限り飲食店で働きたい。理由はもちろん余った食べ物を分けてもらえるかもしれないから。やっぱり世間舐めてるだろ、と思われるかもしれないが、働きながら腹も膨れるって何それ最高じゃんという考えは今更撤回するつもりなどない。


「お、これいいじゃん」


そして見つけた。私の新しい生活を切り開くための道が。









「いらっしゃいませ。ご注文はお決まりでしょうか」
「い、いらっしゃいませ。ご注文はお決まりでしょうか」
「そうそう、そんな調子。次は、かしこまりました。マヨネーズとカラシおつけして大丈夫ですか」
「マヨネーズとカラシはおつけして大丈夫ですか」
「ん。後は店内の配置とかメニュー覚えたら大丈夫だから」


付きっきりで指導してくれていた佐伯さん(推定19歳)に小さくお礼を言い、ベタァと机に突っ伏す。昨日面接をしていとも簡単に採用が決まったこのお店。所謂ハンバーガーやポテトを売っている全国チェーン店なのだが、新しく出来たばかりなので店員が足りないらしい。だからこそ、中々の賃金なのにも関わらず高校生であるあたしを採用してくれたのだが、とりあえず覚えることが多い。レジ打ちは意外と難しいし間違えたらパニックだしスマイル0円とか言い出すし、早くもリタイア寸前である。
しかし、そう簡単に諦めるわけにもいかない。なんたってこれからの生活がかかっているのだ、店長に日給制にしてもらった意味もなくなってしまう。


「うがぁぁ」
「あ、名字どうすんの。今日は帰る?」
「い、いえ!慣れるために7時まで後1時間ですけど働いてみます!」
「そう。じゃあ、頑張って。俺上がるわ」
「はい!お疲れです佐伯先輩!」


ピシッと背筋を正して挨拶をすれば、佐伯先輩は「ん、お疲れ」と優しく微笑んでくれた。その甘いマスクに一発ノックアウト。やる気が一気にみなぎってきた私は、研修生用に作られたマニュアルを最後にパラ見して、控え室のドアを開ける。妙にドキドキするのは、実際に働くのはこれが初めてだからだ。1時間でも働いたら時給分の給料はくれるし、頑張らなくては。制服が乱れていないかを再確認して、チラッとお店の奥を見てみる。
‥‥やっぱ忙しいそうだった。皆バタバタしてます。顔が怖いです。スマイルスマイル。


「あの、」
「ん?何?忙しいんだけど今。それとも手伝ってくれんの?じゃあ向こうの接客頼んでいいかしら宜しくね!その後掃除!あとトイレチェックも!」
「は、はーい」


いそいそと顔を下げて足を進める。ベルが鳴り響く店内で少し緊張しながらも、キュッと顔を引き締めた。人生初の接客相手はどうやら高校生らしい。どこの学校かな、なんて考えつつ、年が近い相手ということにホッと息を吐いた。


「ご、ご注文はお決まりでしょうか」
「あ、来た来た‥‥ってあれー?お姉さん初めて見るけどもしかして今日から?」
「え?は、はい。今日からです。それよりご注文は、」
「お、やっぱり?俺この店よく来るから分かるんだよね〜ちなみにオススメある?」
「高尾、少し黙れ」
「いでっそれメニューの角!硬いから!」
「馬鹿め。この硬い角は何のためにあると思っている」
「いや、むしろ意味とかあんの?」
「ふん。お前を殴るためしかないのだよ」
「うっわ、絶対ポテトやんねぇからな!」
「元々お前のポテトをもらう気などない」


‥‥私の存在忘れてませんか。
ピーピー言い合う二人を前に、ハンディを持ちながらひたすら目をパチパチさせる私。これが仕事じゃなければ煩い高校生で済むのだけど、こんなに騒がれてしまったら他のお客さんに迷惑である。ウェイレスさん側ってなるほど、いつもこんな気持ちだったのか。
と言いつつ、私もいつも騒いでますすみません気をつけます。しかし、口喧嘩は中々終わらない。それに片方は眼鏡をしてて凄く賢そうなのに賢くない。その眼鏡だて眼鏡かちくしょう。


「えーっと、お客様?あの、ご注文は、」
「全く、だからお前はいつも馬鹿だと言われるのだよ気をつけろ。おしることハンバーガー1つ」
「ぶっ!ここまで来ておしることかまじウケる!腹痛ぇ!あ、俺はチキンバーガー激辛セットで」
「は、はい!」


バチっとウインクをしたと思えば、彼はまた真ちゃんと呼んでいた眼鏡くんと口喧嘩(?)を再開した。な、何だ、この人達……。唖然としていると、忙しそうなスタッフさんの声でハッと意識を引き戻した。慌てて小さくお礼をすると、次のお客さんのところへと足を運ぶ。初めての接客相手がこの二人だったからなのか、他の人達ももしかして‥‥なんて考えてみたものの、普通に気を遣ってくれるお客さんばかりだったので、ホッと一安心。どうやらあの二人が少しズレているだけらしい。妙に疲労がドッと押し寄せて、端の方で少し休憩。その時、とんとんと肩を叩かれたので振り向けば、店長さんが爽やかな笑顔で立っていた。


「お疲れ。もう上がっていいよ」
「え?でも、」
「はい。学生なんだから無理しないようにね」
「‥‥へ?」


渡された封筒には、何故か二時間分の給料。驚いて顔を上げると、店長は「明日からも宜しくね」と笑った。


「‥‥っあ、ありがとうございます!」





もちろん、あの二人に料理を届けるという作業は他のスタッフさんに任せました。

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