彼は昔から自分勝手だった。
何か勝負事をすれば自分が必ず勝つという絶対ルールというものを作り出すし、人のものを横取りするのも何らおかしなことではない。意地悪、という言葉がピッタリと当てはまるような人間だった。それは中学生になっても相変わらず継続されており、特に幼なじみのあたしへの対応は少し目に余るものがあったように思う。
何かあれば名前とその少し掠れた声であたしを呼び、雑用事から大事に至ってまで何でも押し付ける。「名前、これ名前書いといて」と軽いノリで渡されたものがまさかバスケ部マネージャーの申告書だったとは思いもよらなかったが。あの時は流石に焦った。
自分の名前の最後の一画で気付いたあたしは青峰に詰め寄ったものの「あ?文句あんのかよ」の一言で沈められたのである。自分が情けない。そもそも、彼と今までずっとクラスが同じというのも信じられない。クラスは4つもある。4分の1の確率で何故同じクラスになるのだ。


「‥‥はあ」


小さく溜め息を吐きながら、バスケットボールの入った鞄を肩から降ろす。
既に古錆びたスピーカーからは最終下校を促す音楽が流れており、急いで部室の中を整頓する。綺麗にしていないと後々怒られるのはあたしなのだ。時々、ふと何してるんだろうと冷静に考えてみることもあるけれど、やりがいを感じているのも事実だった。

最後のボールを指定置に直して、額に流れる汗を袖で拭うとホッと一息吐く。やっと終わった‥‥っ。チラリと自分の腕時計を確認すれば、時刻は最終下校2分前。‥‥ヤバい。下手すれば先生の補導を受けて部活が停部という可能性も無くはない。
慌てて方向転換をして部室のドアへと足を走らせる。ヒヤリとしたドアノブへと手をかけると、ギギ‥‥と扉が開いた。いや、開けるはずだった。あたしの意思とは裏腹に音を鳴らす扉の先には黒い影。
見知ったその顔に、あたしは思わず一瞬の時を忘れた。


「あお、みね?‥‥何でここにいるの」
「練習だりぃから寝てたらこんな時間になってた」
「赤司君に怒られても知らないよ」


カチカチ、腕時計が静かに音をたてる。最終下校1分前。そろそろ本気でヤバいかもしれない。


「青峰、もうチャイム鳴っちゃうから早く行かなくちゃ」
「あ?何でだよ」
「停部になっちゃ嫌でしょ。青峰足早いからあたし先行く。そこどいて」


立ちはだかる青峰を退かそうとその体を押す。そのまま暗くなり始めている体育館内に戻ろうとすれば、勢いよく腕を引かれて壁に叩きつけられた。いきなりの事に頭が着いていかず、遅れて背中を襲う痛みに目を見開く。カチ、内鍵がかかる音に「‥‥え?」と声をあげると、青峰は薄く笑った。
普段の馬鹿にする笑みとはどこか違う妖しい笑み。見下すように顔の横に片手を置いた彼に、思わずぞわりと肌が粟立つ。


「ちょ、ふざけないで」
「お前さあ、こんな遅くまで何してたんだよ」
「何って‥‥、マネージャー」
「他の部員は」
「これはマネージャーの仕事だから」


そう言いながら強く青峰を見上げると、不機嫌そうに眉を潜めたのが分かった。
掴まれた腕がぎゅうっと圧迫される。やめて。顔を歪めながら訴えれば、青峰は更に力を強くした。冗談にならないほど本気で痛くて、彼をふりほどこうと左手を振り上げる。しかし、そんな行為は予想済みだったのかはたまたバスケをする青峰にはスローモーションだったのか、簡単に捕まってしまった。
それどころか右手と一緒に壁に縫い付けられて、あたしはとうとう危機感を覚える。間近にある青峰の視線が熱い。


「マネージャー止めろよ」
「は?」
「止めろ」
「な、に今更。青峰が入れたんじゃん」
「ああ。でももう良い」
「なに、それ」
「お前はいつも余計な虫ばっかつける。だからやめろ」


いいかげんにして。
そう言うはずだった言葉は青峰の唇によって塞がれた。驚いて顔を背けようとすれば、無理矢理顎を掴まれて動きを固定される。貪るように侵される唇から伝わる熱が、顔にまで届いて腰が砕ける。
ずるずると壁を背に崩れ落ちるあたしを気にする事もなく、彼はあたしの口内を尚も刺激する。逃げようとする舌を吸われて、初めてのことに頭が真っ白になりそうだった。ぞわぞわと背中を駆け上がる何か。滲む視界でショートしそうな回路をギリギリのところで保させて、必死に肩を揺らす。歯列の裏側を舌をなぞると、青峰はようやく顔を離した。冷たい空気が一気に流れ込んで噎せかえる。
なんで、ゆらゆらと揺れる彼に息も絶え絶えに呟いた。でもそんなあたしの言葉に返事は無くて、代わりに鋭い双眸が瞳を射抜く。熱を帯びた瞳の奥には、確かに人間の欲望がうっすらと映し出されていた。


「俺はお前を傍に起きたかったからマネージャーにした」
「なに、言っ‥‥て」
「でも逆効果だ。お前どんな媚び売ったんだよ」
「媚びなんか売ってな、」
「うるせえよ」


ガブリ。獣のように首筋に噛みつかれて、あまりの痛みに体を捻る。しかし、そんな抵抗も大して意味はなくより強く押さえられた。


「もう放し飼いなんかしねえ。鎖つけてやる」


キーンコーンカーンコーン。音がする。ああ、きっと先生に校舎内にいるのがバレたら停部になってしまう。


「黄瀬にも黒子にも紫原にも緑間にもやらねえ」


最後に見えた彼の瞳は、どこまでも深い宇宙のようだった。

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