「白龍様は私の恩人です。強くて凛々しくて前だけを見つめていて、私にないものを全て持っておられます。私は白龍様の従者になれて本当に幸せ者です」
「やめろ。俺はそんなに崇高な人間じゃない」
「いえ、白龍様は誰よりも素晴らしい人間なんです」
「……もうやめてくれないか」
「だから私は貴方様のために迷わず命を捨てれます。白龍様に一度救われたこの命を、白龍様のためだけに」
「……やめろと言っている」

「今まで私は本当に幸せでした」
「……は?」
「この命を無駄にせぬよう、白龍様の名誉を傷つけないよう、せめてまだ命ある限りは全力で白龍様のために尽くさせていただきます」
「待て」
「全ては白龍様のために」
「待てと言ってるんだ!一体何を、」
「近々、シンドリアに向かいます」
「……シンドリアへ?」
「はい。戦争を、ふっかけに」


白龍様の目が見開かれた。薄い色素のオッドアイが、ゆらゆらと海みたいに揺らしている。嘘だろ、信じられないものを見るような顔で口を小さく開けていた。ごめんなさい、嘘じゃあないんです、白龍様。


「ふ、ざけるな。シンドリアには七海の覇王と、七人将もいるんだ。ただの眷属器使いと言っても名前が戦争をふっかけて勝てる相手じゃない」
「勝つ気など毛頭ありません。私が与えられた役割はあくまで戦争をふっかけるということ。僅かなヒビが入れば、それでいい」
「一体誰がそんなことを……!」
「玉艶様、です」
「……っあの女!」


怒りに染まった顔をして、白龍様が手元から槍を投げ出された。金属が床に落ちる音重い音がしたと思ったら、ズカズカと大きな音を立てて白龍様がこちらに歩んでくる。こんな風に彼が誰かの前で分かりやすく感情を露わにするのを見るのは初めてだった。驚いて呆然としていたら、長く白い指ががっしりと肩をあたしの掴む。痛いくらいに力の入ったそれは、まるで白龍様があたしを引きとめようとしているのかと錯覚してしまいそうだった。
やめてください、そんなのされたら、あたし、行き辛くなっちゃいます。死に行き辛くなっちゃいます。歯を噛んで目を細める白龍様の髪にに手を伸ばすと、思いのほか柔らかい髪がサラサラと手の内をすり抜けた。


「白龍様、私は、初めからこうなるはずだったんです」
「そんなの俺が許さない!」
「いいえ、私は行かなくちゃなりません。起爆剤として、煌帝国のために、白龍様の未来のために」
「……俺はいらない!煌帝国の未来?ふざけるな、そんなもの俺が全部壊してやる!」
「 私は元より捨て駒なのです。それを拾ってくださったのは白龍様。しかしもう時は来ました」
「……お前はそれでいいのか!」
「良くないと言ったら良くないです。けれど、私は本当に幸せでしたから」


そっと目を閉じてみた。思い出す。ぶくぶくと泡みたいな記憶が頭の中ではじけては消えていく。白龍様と初めて食事を共にしたこと。白龍様と初めて手合わせをしたこと。白龍様と初めて手を重ねたこと。一つ一つが明確に思い出されて、それは未だに色褪せることなく鮮明なまま大切にしまってある。どこか寂しそうな白龍様を、いつか私が笑顔にさせてあげたいと願っていたけれど、残念ながらそれは叶いそうにない。それどころか、あたしは白龍様にこんな顔をさせてしまっている。いつかはこうなることは分かっていたはずなのに。なんて悲しいんだろう。なんで胸が痛いんだろう。どうして世界はこうも無情なんだろう。


「白龍様、そんな顔しないでください。行き辛くなるじゃないですか」
「っ行かなくていい!」
「白龍様は私がいなくても生きてゆけます。どうかもっとお強くなられてください」
「俺は…!」
「どうか、私を忘れてください」


体の芯から込み上げてくる何かは、やがて瞳に膜を張って、視界を滲ませる。やだな、こんなつもりなかったのに、白龍様がこんなことを言ってくださるから、心が揺らいでしまった。私が彼をアルサーメンから守るために出来ることは。私が彼を失わないために出来ることはもう、これしかないのだから。


「忘れるわけ…!」
「泣かないでください、白龍様。綺麗な顔が台無しです」
「それは名前の方だろう…っ」
「そう…かもしれませんね」


今にも零れ落ちそうな涙に、たまらず顎を上げて口で息をする。震える息は誤魔化しきれないのか、吐いた息は妙に湿っていた。明日にはもう、ここを出て、全てを終わらせるつもりだ。白龍様への危険は、一日だって早く終わらせて無くさせる。玉艶さまが白龍様に何か手を下す前に、私は一刻も早くシンドリアへ旅立って"名前"という従者が煌帝国を裏切った"という噂を流すのだ。戦争をふっかける、それは本当のことではあるけれど真実じゃあない。あたしは大切な人を守るために、命をかけて守るために、独断でシンドリアに敵意を向けた者として死ななくてはいけない。悔しくないわけじゃない。叶うならば、白龍様ともう少し一緒にいたかった。
だけど、それでも。
何一つ守れないまま灰になるよりは、何かを守って灰になってしまった方がマシだと思える。堅く拳を握りしめた。

ねえ、白龍様、私は、強くなれましたか?そうボソリと呟いたら、彼は顔を歪ませながら、小さく頷いてくれた。何度も何度も、まるで何かを噛みしめるように。たくましい肩を小刻みに揺らしながら、最早頷いているのか震えているのかも分からないくらいに。


「名前は強い……俺が間近で見てきた。だから……死ぬな」
そうして、ぷつりと、あたしの中で何かが切れた音がした。今まで張りつめていた涙の糸が呆気なく切れる。ぽたぽたと流れ出る涙はあたしのささやかな抵抗だった。強い、あたしは強い、強くなれた、最後の最後で、それを認識できた。白龍様が、認めてくれた。


「…っありがとう、ございます…!」
「頼むから…いなくならないでくれ…っ」
「ごめんなさい、ごめんなさい白龍様…」


世界はこんなにも残酷で。世界はあんなにも汚らしくて。世界は、それでも限りなく美しい。肩にかかっていた指の力が弱まって、下へと降りていく。背中まで降りたと思ったら、強く引き寄せられて、大きな固い胸へと倒れこむ。濡れる染みの入った服は、白龍様が泣いているのだということを再確認させられた。白龍様が泣いている。私のために、涙を流して、いなくならないで、と。私はただ彼を守りたい。彼が幸せになれるならこれ以上のことはない。私は何よりも彼が大切で、何よりも彼が愛しくて。誰よりも、彼が愛しい。明日には、もう無くなっているこの命だから、だからせめて、今日だけは、どうかこのままで。


「名前…っ」
「白龍様、私は」
「必ず、帰ってこい」
「……え?」
「何があっても俺が匿う。必ず生きて帰ってくるんだ」
「それは、命令ですか?」
「ああ、命令だ」
「……っはい、全ては白龍様のために」


白龍様、もし私が帰ってこなかったら、どうか私をお忘れください。だけど、私が死んでしまったら一日だけ泣いてください。一粒でも一筋でも構いません。一日だけ泣いて、そうして泣き止んだ後には、またいつものように無愛想だけど優しい白龍様に戻ってくださいね。いつもと変わらない白龍様でいてください。ゆっくりと、白龍様の肩に腕を回す。強く、強く抱きしめ合う2人は、一つの影になって光と反していた。いつか笑顔にさせてみたいと願ってみましたが、それはどうにも叶いそうにありません。だからそれは、いつか、違う未来で、きっと、


「白龍様」
「……」
「私は幸せです。これからもずっと、ずっと幸せ者です」


君を愛して、君を抱きしめて、君と笑い合える、そんな恋だったなら。

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