今日は驚いたことにバス停前ですれ違いました。運命かもしれないです、そんでもってなんとなく目があったような気がします。ううん、あれは合いました、絶対目が合いました。これは素晴らしい成長だと思います。今までならもしすれ違ってそれで終わり、私が一方的に見つめて終わっていたことです。向こうも私を視界に入れてくれました、とっても嬉しいです。

なんてことを目の前に座る及川に軽く語ってみたら、可哀想なものを見るかのような目をされた上に分かりやすくため息を吐かれてしまった。ちょっとちょっと何でそんな反応なのよ。もっと盛り上がってくれたっていいじゃないか。第6回目にもなる大事な友人の貴重な恋愛相談なんですよ。よくいるあからさまな女子の反応などは流石に求めていないけど、ちょっとくらい喜びを分かち合うくらいはしてほしいものだ。ていうか恋愛相談したげる、なんて最初に言い出したのは君じゃないか。どうしてそんなにドライなの。「アサヒスーパー?」「……ドラァァイ」「ナイス」とまあ、こんなやり取りをしながらも私の心の中は不満だらけである。そんな私とは対照的に、ズルズルとダレるように頬杖をついた及川は「名字ってさぁ」と口を開いた。机一つを二人で共有しているせいで思っているよりも距離が近い。茶色がかった瞳が真っ直ぐにあたしを見つめている。やだ、こいつかっこいいんだった忘れてた。


「なんか可哀想だよね」
「可哀想?」
「だって誰がどう見たって可哀想でしょ」
「意味がわからない。どう見たって恋する乙女じゃん」
「うーん。なんかね、可哀想」
「は?」


可哀想可哀想、と頷く及川の頭をベシッと叩くと、「痛いよー」と大して痛くもなさそうに嘘泣きをされた。なんなのだ今日の及川は。いつにも増して読めないというかなんというか。はぁ、と小さく溜息を吐いて首を曲げるとゴキゴキと女子からぬ音がして笑ってしまった。及川も同じように首を曲げているけど嫌な音は聞こえない。腹が立ったのでまた叩いておいた。


「いだっ!名字ちゃんちょっと凶暴じゃない!?」
「気のせい」
「威力もパワーアップしてるよ!?」
「気のせい」
「そう言いながら握りこぶし作らないで名字ちゃん」
「……ちゃん付けキモイ。で、結局及川は何の話がしたかったの」
「話?」
「だって私の面白くもない恋バナ聞いたって何も楽しくないでしょ」


そう言うと、机に張り付くようにしていた及川が顔を上げた。自然と上目遣いになっているせいで、及川のことを好いている子が見たら発狂しそうな構図だ。ほんと綺麗な顔してるなぁ、なんてことを考えながらあたし及川の横にズルズルと寝そべってみる。肩に触れる温かさは及川の体温なのだろう。しかしそれとは正反対で、グリグリと擦りつけた机は随分と冷たかった。ていうか及川が既に半分ほど使っているせいで随分と肩身が狭いというか単に狭いというか。横からゴツンと押されたら上半身だけ落っこちてしまいそうだ。何それホラー。「そんなことしちゃっていいの?」なんて頭上から少し呆れたような声が聞こえるけど「あーーーー」と耳を塞いで聞こえないふり。そんなこと、というのはどうせ女子力のないこの行動のことを指しているのだろう。もう知らん、女子力なんてものは知らん。グリグリとひたすら額を机に擦りつけていたらさすがに気持ち悪くなったのか及川に無理矢理顔を上げさせられた。首根っこを掴むなんてまるで野生動物扱いである。そんな及川は、赤くなってる、なんて言って細い指先であたしの額を軽く撫でた。その行為に思わずぞわりとする。なんていうか、なぁ。


「俺、名字の恋バナ聞くの楽しいよ」
「変わった人ですこと」
「そんなことないと思うけど」
「女子じゃあるまいし」
「男女差別」
「まあ及川ならそのへんの女子より女子っぽいかもね」
「それどういうこと」
「そういうこと」
「ふーん」
「まあ及川が楽しいならよかった。これからも恋バナできるよう頑張る」


窓の外は橙色に塗りこまれている。教室から見る夕暮れはいつだって綺麗で、それでいて、少し寂しくなる。そんな私の心の声を代弁するように烏が鳴いた。どこにも宛があるわけがないのに翼を広げて空を黒い影を残しながら横断している。ふと及川に視線を戻すと、己の腕に顔を埋めていた。眉間に皺が寄っているその姿に首を傾げる。ゴキゴキ、という音はもう聞こえなかった。「及川?」「なに」「何で不機嫌になってんの」「烏」「烏?」「あいつ、烏野でしょ」ああ、なるほど。いや、なるほどじゃない。なるほどじゃないよ。思わず頷きそうになった自分自身にツッコミを入れていると、本日何度目か分からない「やっぱり可哀想」そんな言葉が聞こえて動きが止まった。先ほどの馬鹿にするような感じとは違う、まるで子供に言い聞かせるような口調だ。あれ、なんて思っているのも束の間、あっという間に雰囲気を一変させた及川の顔が目の前にある。近い、ベシッと頭を直撃させるべく繰り出したはずの右手は、易々と手首を掴まれて封じ込まれてしまった。今まであえて叩かれてやっていたんだぞ、そう言われているようでムッとするも、それと同時に少し怖くなる。当然だ、急に雰囲気変えて冗談も通じなくなってしまえば誰だって怖くなるだろう。それもこんな綺麗な顔をした奴なら特に。
「及川、」そんな呼びかけには答えず、ただじっと私の瞳を見つめる及川が少し怖い。


「な、なになに。どうしたの急に」
「……はあ」
「今度はため息?及川まじ多面相すぎて怖い」
「名字さあ」
「な、何でございましょうか」
「やめときなよ」
「……は?」
「見てて可哀想すぎる」
「ちょっとさっきから言っていることがよく分からな、」
「報われないって言ってんの」


そこまで言われたらなんとなく何のことを言っているのか分かってしまった。そして何をその言葉が具体的に何を指しているのかも分かってしまった。
及川はまだ何か言っているけど、目を見開いて固まってしまった私の頭にはほとんど入ってこない。なんだ、可哀想っていうのは私自身のことじゃなくて、報われない恋をしている行為のことだったのか。なんだ、そういうことか。理解し始めたら最後、今日だけじゃない、今までの及川の不思議な発言も全て辻褄が合ってきて余計に気分は大低落。つまり及川はこの恋の行く末を初めから知っていて、それを分かった上で恋愛相談に乗ってやるなんて言い出したのだ。なんたって意地が悪すぎる。恋の終わりくらい自分で決めたかった。


「……さいてー」
「うん知ってる」
「ほん、と、クズ川」
「悲しい?」
「……当たり前でしょ。人伝いで勝手に失恋したんだよこっちは。平常運転でいれるほどメンタル強くない」
「そっか。じゃあ成功かな」
「は?」
「失恋した後って、誰かの体温求めちゃうんだってさ」
「……何言ってんの」
「好きな人を自分の物にしたかったら弱ってるところを狙うといいらしいし」
「……」
「あー長かったなぁ。6ヶ月くらいかかった」


ようやくだね、なんてくらりとするような微笑みを浮かべながら及川の顔が近づいてくる。バッと顔を背けると、それさえも分かっていたかのように顎を掴まれてしまった。視界の端に見える夕焼けはだんだんともう黒味を帯びてきている。野球部の声も聞こえないから部活の時間はもう終わったのだろうか。


「名前」
「……何」
「俺に乗り換える気になった?」


クスリと笑った及川の目にはもう迷いがない。策士すぎるコイツ。悲しいのか苦しいのか嬉しいのか、失恋で空いてしまった穴を埋めるのは結局及川らしい。唇に触れた柔らかい感触にギュッと目を固く閉じる。瞼の裏にはもう及川しか映っていなかった。

/top
ALICE+