ドタドタと急に地響きのような音がして部屋のドアが勢い良く開いた。
バァンという効果音が部屋中に響き渡って、思わず肩がビクつく。……何だ何だ!誰だ、私の時間を邪魔するやつは!とりあえずイヤホンを外して犯人捜しを脳内で繰り広げるも、お母さんかお父さんか弟、 いや弟はお泊りだと言っていたしお父さんも仕事なのだから、きっとお母さんに違いなかった。
こんなに慌ただしいのからきっと急用なのだろうけど、さすがにノックか名前を呼ぶやらしてほしいものである。おつかいでも頼まれるのかと、気乗りしないまま上半身を起こした。ユラユラと余韻で揺れているドアに顔を向ける。そして人影を認識して数秒、思わず両目をこすった。
お母さんより高い身長、黒い髪に変な寝癖、そして音駒の制服。ぜえぜえと肩で息をする奴は正真正銘、幼馴染のクロである。左手にはお洒落な紙袋を持って、右手には可愛らしいメッセージカードを持った彼は睨むように私を見上げている。な、何事だ。とりあえずこのまま放っておくわけにもいかないので、ベッドの上に転がっている漫画を適当に重ねて片付けて「どーぞー」と折り畳みの机を組み立ててあげたら、ブチッと血管の切れるような音がした。また肩がビクゥと跳ねる。


「え、なに、どうしたのクロ」
「お前なぁ……!」
「待って何でそんなに怒ってるの?え?」
「今日何の日か言ってみ」
「11月16日…?ん?なんかある?テスト二週間前?」
「はあ!?」
「え!なに!今日何の日なの!それメッセージカードだよね?わたし……の誕生日は過ぎたし、クロの誕生日は違うし……研磨は……あ」
「……今?」
「……今」
「メールしただろちゃんと!」
「わ、私あんまりメール見ないんだもん!」
「それでも現代っ子か!」
「現代っ子は既にLINEの時代なの!」
「ガラケー勢の気持ちも汲み取れ!」
「し、知らないよ!」
「ほら、早くメッセージ書け」
「準備いい!」


可愛らしい花柄のメッセージカードが差し出されたので慌てて受け取る。あーえっとペンどこだっけ、ペン!ゴソゴソと探し回ったいたら痺れを切らしたようにクロがボールペンを渡してくれた。なんて良い人なんだろう。この花柄のメッセージカードもクロが買ったんだろうか。こんな可愛らしいものを買うなんて男子としては恥ずかしいだろうに。幼馴染の愛である。……そんは幼馴染の私は、研磨の誕生日を忘れてしまっていたのだけれど。後悔やら恥ずかしさやら情けなさやらで字が斜めに荒れていた。急にメッセージカードを書けと言われたって言葉を思い浮かばずに、研磨ハッピーバースデー!とだけ書いて手が止まる。そういや誕生日プレゼントだって用意できてないじゃないか。今から買いに行く?けど今はもう夜の9時、近くの雑貨屋さんだって閉まっているだろう。空いている店で適当に選んで買うのも研磨相手にしたくない、けど時間はない、どうしよう涙でそう。


「クロぉ…どうしようう」
「もうなんか、どうしようもないわ」
「だって忘れてた……」
「幼馴染の誕生日なんざ嫌でも覚えるだろ普通」
「だってクロとか誕生日前になったらめっちゃソワソワするじゃん!分かりやすいじゃん!研磨しないじゃん!」
「んーまあ……否定はできない」
「今から帰るものあるかな…クロ何買った?」
「ドラクエの新作とマリオパーティー」
「レベル高!」
「貯めてたからな」


思わず頭を抱えてしまった。今日も普通に一緒に帰って普通に家の前でバイバイして、普通に会話して普通に過ごしていたというのに。研磨という人間は全く勘付かせないのだ。クロが時計をチラチラと気にしているので、余計に焦って言葉が出てこない。とりあえずこれからも宜しくね、と当たり障りのない事を書いて半分に折る。


「書けた」
「おっしゃ、家行ってこい」
「うん!……ん?行ってこい?」
「おう!行ってこい!早く行かないと怒られる!」
「え?クロは?」
「俺はいい」
「なんで!?私プレゼントも何もないよ!?」
「じゃじゃーん、これはなんだ」


口角をニヤリと上げて、お洒落な紙袋を顔の隣に持ってくる。ケーキだよ、と嬉しそうに渡してくるクロの顔は正直気持ち悪い。それにしてもどうして私に渡すんだろうか。おずおずと横にならないように慎重に手にして、行くなら早く行こうと顎をクイッと動かす。しかし彼は腕組みをしてウンウンと頷くだけで動こうとしない。いつにも増して変だよこの人。


「行かないの?」
「ん?」
「え、いや、研磨ん家」
「なんで?」
「な、なんで!?」
「名前行ってこいよ」
「どうして私一人で行かないといけないの」
「あーん?」
「な、なに」
「名前はダメダメだなーこりゃ参った、世話が焼けるわ」


やれやれと首を振るクロの頭をガツンと殴ってしまった。思わず動いてしまったのである。私の意思ではなく、行為の意思だ。この掛け合いが無駄だと思えてきたため、さっさと上着を羽織ってリュックを背負う。色気ねえ、と頭を押さえながらクロが言ったけれど幼馴染の家に行くだけなのに色気のある服を着る方がおかしとは思わないのだろうか。大体クロだっていつも来る時ジャージのくせに。誕生日プレゼントは買ってないし、このケーキもメッセージカードも買ったのはクロ。そんな中一人で研磨の家に行って渡すというのもやっぱり気が引けた。ドアノブを掴んでもう一度「クロほんとに来ないの?」と振り返ってみたら、ビクゥと肩を揺らしたクロが、不自然にこちらに手を伸ばした体制でこっちを見ていた。


「……なに?」
「ん?い、いや何でもねえよ?ん?ほら、早く行かないと研磨怒るぜ、ほら」
「……一緒に出て、なんか部屋に残すの怖い」
「お、おう、そっか!そだな、出るわ!」


次はこの挙動不審具合、今日のクロは最初から最後までずっと怪しい。早く行こうぜと背中を押されて前のめりになりながらも外に出る。やけに何回も背中を叩かれて少し痛かった。しかも同じとこばっかり、彼は意地悪である。


「……何か企んでる?」
「い、いんや?そんなことねえよ!」
「怪しすぎ……まあいいけど」


スリッパを履いて外に出れば、冷たい夜風が髪を攫った。お月様が真ん丸でとても近く感じる。秋の夜にこんな薄着はちょっと寒かったかなぁと両手でさすっていると「ほら、急げ」とまたもや何かを押さえつけるように背中を叩かれてムッとした。はいはい、さっさと行きますよっと。歩いて数分もかからない研磨の家を視界に捉えて、パッカパッカとスリッパを鳴らして歩き出す。クロは追って来ない。どうやら本当に私一人で行かせるらしい。振り返った先には暗い夜に消えていくクロの背中しか見えなかった。上を向くと大きな月が、街灯に負けないくらいの光を浴びせてくる。東京でもこんな綺麗に月って見えるのかと、思わず立ち止まだった。ゴソゴソとポケットを探って携帯をとりだす。こんな月が綺麗な夜は思い出に残しておかないと勿体無い。カシャカシャと何枚か連続してシャッターに収めると、満足感から口角が上がっていくのを感じた。
月は影を大きくする。縦に伸びる影に重なるもう一つの影に驚いて前を向くと、金色の瞳が私を射抜いた。え、研磨?
ふぁ、と欠伸を漏らしながらこちらに歩み寄ってくるのは、紛れもなくプリン頭の研磨だ。
私の幼馴染はどうしてこうも突然現れるのだろう。予想もしていなかった登場に、あわあわと携帯をポケットに突っ込む。けれど勢いが良すぎたせいか、音を立てて携帯はコンクリートの地面へと落ちていく。ああああ、画面が!


「……相変わらず慌ただしいね」
「よ、よかった割れてない」
「はあ。全く」


やれやれと首を振るところまで同じだった。長年一緒にいたらどちらかの癖が移ってしまうもなのだろうか。気泡のできている保護シートを貼り直して寒そうに背中を丸めている研磨を見る。


「どうして外にいるの?」
「名前が来る気がしたから」
「な、なにそれ」
「勘」
「うわぁ…怖いわ研磨くん…」
「道端で月撮ってる人の方が怖い」
「なんでさ、こんなに綺麗じゃん」
「……いつもと同じ」
「あちゃー引きこもり研磨君には分からないのか、この月の素晴らしさが」
「引きこもりじゃない」
「私からしたら引きこもりだよ。肌真っ白」
「名前も白い」
「私は気を遣ってるの」
「……ふーん」


だめだ、話がそれてしまった。私は研磨の誕生日を祝いに来たのであって、いつもみたいな掛け合いをしにきたわけじゃない。誕生日忘れてしまっていたことも正直に言って、プレゼントは後で買うってことも言っておこう。ケーキが斜めになっていないことを確認して、両手で持ち直す。研磨、そう呼ぶと彼はゆっくりと視線を合わせた。月光を反射させる彼の瞳は一度目が合うと中々離せられない。言おうと思っていた言葉がフッと消えてしまってどうしたものかと固まっていれば、研磨がコツコツと靴を鳴らす。私より背が高いくせに上目遣いになっているのは、猫みたいに背筋が曲がっているからだろうか。


「……け、研磨!」
「はい」
「お、おた、お誕生日おめでとうございます!」
「……ありがと」
「これ、誕生日ケーキ!あ、あとこれメッセージカード!」
「ん」
「それと……」
「なに?」
「今日、お誕生日だってこと忘れてて、その」


ケーキとメッセージカードを手渡しながら「プレゼント買えてない、ごめん」と頭を下げる。改めて情けなくなってきた。すごく辛い。


「いいよ別に。クロじゃあるまいし」
「でもそのクロはゲーム買ってたんでしょ?」
「あーうん、そうだけど」
「研磨もクロみたいに誕生日前になったらソワソワしてくれたらいいのに……」
「……あんなの風になるのは嫌だよ」
「でも……はあ」


ううー、と頭を抱えていると研磨は家上がる?と誘ってくれたのだが、さすがにこの時間にお邪魔するのは悪いので大丈夫だよと言っておく。いくら幼馴染とはいえ、守らないといけないルールといものを作っておくべきなのだ。中身が気になるのか、ガサガサと紙袋の中を覗いている研磨を見て「本当に生まれてきてくれてありがとう」にっこりと笑った。一瞬動きを止めてこちらを凝視した研磨は、フイと顔を横にして小さく頷く。少し耳が赤かった。
今度、少し日を開けてクロと3人でちゃんとしたパーティを開こう。手作りのお菓子いっぱい作っていこう。そしてもう一回言うのだ、誕生日をおめでとうって。
それにしても夜は寒い。クシュンと思わず出てしまったくしゃみに、あっという間に冷えてしまった体を抱きしめる。風邪を引いてもいけないし、お互いそろそろ帰ろうか。


「研磨、風邪引いちゃダメだからそろそろ帰ろ」
「そうだね」
「こんな形でごめんね、また3人でパーティでも開こう」
「……別にいらないけど」
「そんなこと言わずに!」
「はいはい」
「じゃあね!ばいばい!」


軽く手を振って、背を向ける。ガサリと何故か背中から紙が擦れるような音が聞こえたけれど、風の音かと思って知らぬふりをしておいた。カッサカッサとスリッパの音が中々にうるさい。そういや研磨も同じクロックスだったような気がするけど、向こうから足音は聞こえない。あれ、もしかしてまだ動いてない?
不安になったのでそろりと後ろを振り返……る直前で、視界が真っ暗になった。同時に全身を包む圧迫感と、首元にかかる吐息。頬に柔らかい金色の髪が触れて、脳みそが今の状況を理解しようとしていない。「え、」頭の中が真っ白なまま混乱の声が漏れる。ギュ、と背中に回る腕がより一層強くなった。
今、私は、抱きしめられているの?
誰に?
視界の端に見える金色の髪は、
「……名前」と囁く心地良い声は、
ポカポカと温かい体は、


「……研磨?」
「……ベタすぎ」
「え?」
「ありきたりすぎる、ほんと」
「なにが、え、あの、え?」


カサカサと研磨の長い腕があるはずの背中で、やはりカサカサと紙の擦れるような音がした。背中に何か貼ってあるのか…?ハッと蘇るのはやたら何度も背中を叩いてきたクロの顔。まさかやつ、私の背中に変なこと書いた紙貼ったな…!?


「ちょ、クロ、じゃなくて研磨、それあれだ、クロが勝手にやったやつだ多分分からないけど何か分からないけど落ち着いてね、落ち着いて」
「名前が落ち着いたら」
「ああああ、あ、わた、私は落ち着いてるよ!」
「……噛みながら否定とかそれもベタ」
「そ、そんなこといわれても…!」


肩に額をグリグリと押しやっていた研磨は、顔を上げて私と向き合った。近い。10cmあるかないかの距離で、研磨の綺麗な顔がじっと私を見つめている。まいった。これはまいった。心臓がドクドクとうるさい。顔も熱い。全身が熱い。


「お望みならもらってあげる」
「な、なにを」
「目閉じて」
「い、いやだ!」
「閉じて」
「やだ!」
「閉じてってば」


急に体が固く緊張してきて、思うように動かない。どんどん近づいてくる研磨の顔に、目を閉じたら負けだという謎のプライド。私が折れないことを悟ったのか、はあと小さく息を吐いた研磨は「まあいっか」と一人頷いた。

「けん、……んっ」


柔らかい唇が触れる。
研磨の唇だ。
研磨との、キスだ。
今度は一瞬で頭が理解した。私はたった今、研磨とキスをしたのか。
燃えるように熱くなる顔がそれを証明している。目の前の研磨は余裕の顔で口角をあげていた。そしてペラペラと私の背中から剥がしとったであろう紙を顔の横でちらつかせる。暗くてよく見えなかったが、そこには確かに『私がプレゼントです』と書かれていた。私がプレゼントって、そんな、そんなこと。確かにベタすぎるくらいベタである。恥ずかしい、こんなものを知らずにつけていたなんて、ほんとに恥ずかしい。顔の温度ばかりが上がっていく中で、ヒンヤリと冷たい研磨の指が頬に触れる。
猫が獲物を捕らえたような瞳をして、私より背が高いくせに上目遣いをして、薄い唇を綺麗な三日月型にして、言うのだ。


「おかわり、ほしい」


ああ、もうダメだ。
顔が熱くてフラリと倒れそうになる。
頬を両手で掴む研磨の手だけが、ヒンヤリと冷たかった。


研磨 Happy Birthday

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