くらり、と目眩がした。
脳天を直接鷲掴みにされているような鋭い痛みに、グッと額に手を当ててその場で踏ん張り不快感に耐える。最近不定期に襲ってくる目眩と頭痛。こんなにもあからさまな症状ばかりが襲ってくるのは、もしかしたら何かの病気にかかっているからなのかもしれない。あんまり酷いようだったら迅さんに言ってみるかな……あ、でも駄目、迅さんに言うと90%位の確率で仕事をさせてもらえなくなってしまう。そんな事態になってしまったら玉狛支部のピンチに繋がりかねない。自分を過大評価するつもりはないけど、迅さんは相変わらずフラフラしてるし桐絵ちゃんも木崎さんもみんな忙しそうだし、私が働かず誰が働くというのだ。空閑くん達が来てからというものの寝る時間も惜しいほどである。気が張っている状態とはいえ、仕事を疎かにして上層部にいらぬ目をつけられるのも面倒だ。
みんな修行で忙しいんだから仕方ない。修行と分野は私には出来ないことだから、私は私の出来ることを頑張ろう。ちょっとだけ寂しいけど、なんて。パンパンと両手で頬を叩いて、床に崩れ落ちてしまった書類をかき集める。私も負けていられない。そう自分を奮い立たせて足を動かしたその時、ふと前方からの視線を感じ取り、足が止まった。じっと目を細めて伺ってみると、そう遠くない曲がり角から、ふわりと白い髪が覗いている。白髪……ふわふわ……あれ、もしかして。「……空閑くん?」恐る恐る歩み寄りそう声をかけてみると、視線の正体はあっさりと姿を現し、にこりと笑った。


「ありゃ、バレちゃった。結構気配は消したつもりだったんだけどな」
「なんだか視線感じちゃって」
「ふむ、名前さんは気配に敏感、と」
「そ、そんな凄いものじゃないけど」
「いやいや、俺に気づいたんだから凄いよ」
「あ、ありがとう?」
「うん、どういたしまして」


ふにゃふにゃとした笑顔を見せてくれる空閑くんに私も小さく笑い返した。実はこうやって一対一で話すのは初めてだったりする。
私も初めは不安だった。いくら近界民にも良いやつがいるんだよ派の玉狛支部とはいえ、ブラックトリガーを持つ近界民となれば話は変わるのだから。何かあったとき被害は計り知れないかもしれない、対抗できるかすら怪しい。だからこそ勝手なイメージで冷徹だったり残酷だったり、そんな非道な近界民だと思っていたのだけど、実際は予想に反して随分と可愛い年下のただの男の子である。15歳だったら私と2歳しか違わないのに撫で撫でしたくなる可愛さだ。これが噂の母性本能をくすぐるというやつだろうか。へなーと力の抜ける笑顔で拍手をしている空閑くんをぼーっと見つめていたら、首を傾げられてしまった。


「名前さん」
「へ、な、何?」
「どうかした?」
「い、いや何も!あ、あはは」
「じゃあさ、これから暇?」
「暇……ってほど暇でもないけど……どうかしたの?」
「迅さんが美味しい店連れてってくれるって言ってたのに約束破ったから代わりに名前さんに連れてってもらおうと思って」
「わ、私?」
「うん。ダメか?」
「ダメなことはないけど……うううん」


つまり外に出て案内して欲しいということだろうか。とりあえず約束をしておいて守らない迅さんには後でしっかり言っておくとして、私なんかが空閑くんと外に出ても良いんだろうか。というより、空閑くんが上層部からの差し金隊員に狙われている可能性だって未だあるわけだし、いざとあう時大した力になれない私が空閑くんを連れ回すのは少し気がひける。何か起こった時、私じゃ空閑くんを守れない。あ、でも守ると言っても空閑くんはブラックトリガーの持ち主なわけだから私の出る幕はない……?いやいやいや何を言っているんだもしもの時は私が身体を張らないといけないじゃないか結局は私がトリガーオンしないとああでもそれじゃあむしろ空閑くんの戦いの邪魔になるかもしれないって何で空閑くんが戦う設定になってるんだ空閑くんと本部でこれ以上悶着を起こすのはあまり宜しくないしそれに「名前さん?」私がちゃんとしないと迅さん達にも迷「なまえさん」そうつまり私がもっと強けれ「なまえさん」「うえっ」むんず。そんな効果音がつきそうな強さで私の両頬を摘んでいるのは、紛れもなく空閑くんである。痛いです、と伝えれば「ごめんつい」なんて謝る気があるのかないのか分からない返答。「今何考えてた?」と薄く小さな唇を動かす彼は、少しご機嫌斜めな様子だ。


「ぼ、ぼーっとしてて……ごめんなさい?」
「何考えてたのかって聞いてるのに」
「あ、それはその私が案内するのはちょっとまずいかなーって」
「何で?」
「何で……じ、迅さんに怒られちゃうから!はは…」


口が滑っても貴方を守りきれないからです、なんて言えない。そんな情けないこと言えない。
私にもっと力があったら喜んで案内でも奢りでもするんだけどなぁ。桐絵ちゃんと同じ時期に入ったのに何だろうこの雲泥の差は……。全く情けなすぎて涙が出てしまうよ桐絵ちゃん。ここは丁重にお断りさせてもらって、おとなしく仕事に戻ろう。書類を抱え直し、空閑くんに「じゃあ仕事に戻るね」と手を振った。が、空閑くんからの反応はない。ただ黙ってじっと私を見つめている。反応を返してもらえなかった事に対するショックやら気恥ずかしさで苦笑いにも近い笑顔を貼り付け、くるりと空閑くんに背を向けた。挨拶に挨拶を返してもらえないというのは中々クるものがある。コミュニケーションの基本といわれる挨拶を無視られるとは……知らないうちに空閑くんの機嫌損ねるようなことしちゃったのかな。名前は知っているとはいえ、お互い初対面に近いのだ。ちょっとしたことで不快にさせてしまったのかもしれない。とぼとぼと歩く私の後ろ姿はきっと小さく丸く、頼りない形をしているんだろう。これでも一応ここにきて長いのになぁ、なんて。逆に癖のある人達が多いからどこか鈍っちゃってるのかもしれない。癖のある人、で思い浮かぶ人が一人や二人じゃないのも問題なんだけど。そうして空閑くんの隣を通り過ぎようとしたときだ。
グゥンと音がなりそうな力で腕を掴まれたと思えば、先ほどと同じ光景が広がっている。
(……え、え、なに)
全てを見透かしたような深みのある瞳と視線が絡み合ってまだ数秒。少しだけ怖くなって一歩退くと、掴まれた右腕に力が篭ってのを感じて硬直した。


「え、あの、え、」
「ふぅん」
「く、空閑……くん?」
「名前さ」
「え?」
「つまんない嘘つくね」
「……なっ、」
「迅さんはこんなことで怒らないよ、むしろ迅さんが進めてくれたくらいなんだから」
「え、でも迅さんいなくなったって……」
「別におれのこと守るとか思わなくていいよ、自分のことは自分ででするし」
「あの、」
「あと、おれ結構強いし」
「もちろん存じ上げております」
「だめな理由がまだあるのか?」
「ううううああ!」


ずかずかと歩き出した空閑くんに引っ張られながら廊下を進む私。なんて情けない構図だろうか。助けて桐絵ちゃん分けて私にも力分けて。
そこにひょっこりと現れたのは自称実力派エリートの迅さんだった。ズルズルと引きずられる私を見るや否や、ニヤニヤと目元を三日月にし、わざとらしく口元を手で隠している。


「おーおー、遊真ったら急に消えたと思ったら〜」
「じ、じじじ迅さん!これは一体!」
「ごめんな名前ちゃん。さっき遊真くんになまえとご飯食べ」「行こう名前さん」
「ふお!?」
「いやー遊真くんも青いねえ」
「じ、迅さん!?」


グイグイと恐ろしい力であっという間に玄関にたどり着き、一度そこで足を止めると空閑くんはゆっくりと振り返った。ピシッと身構える私を見て少し笑うと、また前を向いて靴を履き始めてしまう。な、なんなんだ思ってた子と全然違うぞ?あれ?これって二重人格っていうやつだろうか?巷で流行りの二重人格だろうか?


「名前さん」
「ふぁ、ふぁい!」
「行かないのか?」
「いいいい行きます是非行かせてください」


しかしそんな年下のペースに乗せられる私も、まだまだのようです。私も一緒に修行して桐絵ちゃん。

/top
ALICE+