私がどんな我侭を言っても、結局は折れて「ったく大将は仕方ねえなぁ」と困ったように笑う薬研が好きだった。言うなればお姫様と執事。彼が鍛刀されて近侍になってからずっとそんな関係を続けてきたものだから、周りの刀にもほどほどにしろよと注意を受けるほどに、私は酷く薬研に甘やかされていたようだ。自分では自覚ないんだけどなぁと目の前に用意されたあんみつをスプーンで掬いながら隣に座る薬研を見上げると、彼は私をじっと見つめて、そうだなと笑う。そうだ、私はその笑顔が好きだったんだ。スプーンをお膳に置いて、両手で薬研の頬を包み込む。白くてサラサラでニキビなんて無縁であろう彼の肌は、思わず触れたくなる魅力を持っていた。そして思わずの本能に従ったあと、いつもどうすればいいか分からなくなる。それを薬研も分かっているのか、一瞬驚いたように目を大きくしたものの、すぐに落ち着いて「今度はどうしたんだ?」と優しい低音で囁いた。どうしたもこうも大した理由なんてないもんだから、情けなくも引きつった笑みを浮かべることしかできない。薬研にじわじわと侵食されている私の世界は、最早薬研なしでは次のステップの選択肢すら自分で選べないところまできている。そう漸く自覚したのはつい最近のことで、沼に嵌ってしまっている私はどうもできないまま、どうしようもできないまま身動きを取らず沼に浸かることを選んだ。だから私は思わず、で行動した後の選択肢が分からない。この手を離せばいいんだろうか。それともずっとこうのままでいいんだろうか。手を離した後はどうすればいいの、あんみつを食べればいい?薬研に謝ればいい?ああ分からない、助けて、薬研。じっと縋るように手に力を込めると、薄い唇を三日月に曲げて目を細めた薬研はその右手を私の後頭部に触れ、そっと引き寄せた。コツンとぶつかる額同士。距離という距離がない、もう少し詰めれば全てがくっついて溶け合ってしまうような距離。


「大将はほんと一人じゃ何もできねえなぁ」
「ごめん……」
「いや俺は嬉しいぜ。もっともっと頼ってくれていいくらいだ」
「でも皆にほどほどにしろよ、って言われてるし。そろそろ変わらないと」
「……変わる?」
「うん。このままじゃ薬研がいないと生きていられなくなっちゃ、」


全てを言葉を吐き出す前に、薬研の人差し指が静かにそれを封じた。それ以上言うな、私を見つめる紫の瞳がそう言っているような気がして開いていた口を閉じる。満足気に笑ってくれたからきっとこの選択肢で間違ってなかったということだろう。良かった、そうホッとしてしまう自分に悪寒が走った。まずい、多分これは、一歩間違えれば戻れないところまできてる。依存して、しまってる。


「大将は……俺っちなしで生きていきたいのか?」
「……」
「ああ、喋っていいぜ。ほら」
「わ、私、このままじゃダメだと思うの」
「大将?」
「薬研に頼りっぱなしの審神者なんて情けないじゃない」
「俺っちはそんなことを聞いてるんじゃねえぜ」
「薬研には勿論ずっと近くにいてほしいけど、ここまで近くにいなくても生きれるくらいにはなりたいよ。だって元々そうだったんだからきっと戻れる」
「……誰かに言われたのか」
「ううん。それもあるけど、最近自分で気づいた」
「……薬研?」
「……まだまだ足りねえなぁ」
「何が?」
「もっと依存させればよかった」
「……依存?」
「後悔してるよ」
「こ、後悔って……」
「後悔してる」


もっともっと、計画的にやるべきだった。ぼそりと呟いたらしいその言葉は、静かな室内の隅々まで広がっては、余韻を残す形で私の心の奥底に深く深く沈んでいった。彼は何かに後悔していた。眉間には皺が寄り、切れ長の瞳は色を失って宙を見ている。
私はそれが何だか分かるような気がした。今になって、彼のやろうとしていることが分かった気がした。きっと私が疑問を持たなければ一生このまま関係は続いて、薬研なしでは何もできなくなる節操無しになってしまっていたんだろう。そうやってだんだんと意志を持たなくなって、その後どうしようと思っていたのかまでは分からないが、いい未来があったとは思えない。今ここで、この道がいけない道だと気づけたのは偶然で、運が良かっただけ。苦虫を噛んだような表情で薬研は目を細めた。私も目を細めて真っ直ぐ薬研を見る。頬を包んだままの私の手を上から握りしめる手は酷く冷たかった。


「大将、大将はそのままでいいんだ。俺に頼って俺に縋って生きていいんだ」
「や、げん……」
「大丈夫、絶対痕は残さねえ。……痛いとも感じさせねえから」


トン、と肩を押される。そのまま畳にぶつかるのかと強く目を閉じれば、薬研の冷たい右手がそっと背中に回り、音もなく背から着地した。引き抜かれた右手は顔の横に置かれ、妙な圧迫感を感じる。いや、故意に与えてるんだろう。紫の瞳から突き刺さる視線は相変わらず重くて苦しい。「……許してくれ」耳許で囁かれては、意味を紐解こうにも思考が上手く回らない。ゾクゾクと背中を何かが駆け上がっていくような感覚にヒッと上擦った声が出る。薬研は泣きそうな顔をしていた。私が知っている薬研はいつも凛とした背中を見せて笑ってくれていたから、私にはその表情が何を示すのか分からない。瞳に膜がたまって、目尻には真珠のような泪が踏みとどまっている。ぼんやりと霞む視界で薬研を見ていると、頬に冷たいものがスーッと流れた。それが泪だと気づいたのは薬研が拭ってくれたから。泣きそうな薬研を見て、私も無意識に泣いていたらしい。


「……泣いても止めねえぜ」
「泣いてるのは薬研だよ」
「……はっ、そうかもな。けど俺っちにはもう他に術がねえんだ」
「泣かないで」
「……っ悪い」


近づいてきた唇がそっと触れた。しょっぱかった。
泣いている。
私も泣いている。
どちらかの泪の味だろうか。そう考えている内に熱い舌が私の舌を絡めとる。きっとこれは私への罰だ。薬研に甘えすぎた結果、薬研まで苦しめさせている。ごめんね、その思いは言葉にならず、ポタリとこぼれ落ちた泪と共に弾けて消えた。

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