2月14日。

その日まで僅か残り1週間。女の子の憧れの日でもあれば、男の子の期待の日でもあり、その日に告白だなんてありきたりすぎるけれどやはりロマンチックだよねー、なんていう日である。かというあたしも、そんなイベントに便乗して告白‥‥っなんてものを密かに企んでいる女子の1人なのだが、とりあえず、バレンタインまで残り1週間しかなかった。
1週間なんてあるようでないのも同然で、料理に関して破滅的な才能を持っているあたしからすれば、それはまるで失恋へのカウントダウンのようなもの。

この時期になれば何処の料理教室も定員オーバーになってしまっているし、正直あんまり上手くいくような気がしない。
確かに告白するのならバレンタインが良いけれど、逆にフラれてしまったら毎年負のバレンタインになってしまうかもしれない。
それに不味いチョコをあげてお腹を壊されてしまったら‥‥、と考えれば考えるほど諦めという言葉が脳裏にチラついてくる。
「‥‥はぁ」バレンタイン1週間前という事実に、いつになくソワソワしている教室を軽く見渡して、また机の上に突っ伏した。

ぐりぐりと腕に額を擦り付けて意味もなく小さく声を出す。時々耳に運ばれる女子達の盛り上がる声。そういや皆は一体誰にチョコレートをあげるのだろうか。
義理チョコとかはもうお店で買おうかしら。ていうかもうあげなくていいかな。むしろバレンタインは家に籠っていてもいいでしょうか。

去年の食べ切れないチョコレートと中々痛かった出費を思い出して、はぁと息を吐く。
そんな時、ふと及川くんの柔らかい笑顔がシャボン玉みたいにふわふわと浮かび上がった。
慌てて振り払うように顔を振るけど、それでも顔の熱くなっていくのが自分でも感じられて余計熱が籠っていく。


「でね!私田中君にチョコあげようと思うんだ!」
「いいじゃん。そのまま告っちゃえば?」
「む、無理無理!今はあの笑顔を見れるだけで幸せなの!」
「そんな奥手じゃあっという間に取られるよ?」


後ろで聞こえた会話にドキンと心臓が動かされた気がした。
『あっという間に取られちゃうよ?』確かに、そうだ。
あたしの周りで及川くんの事が好きな子はいくらでもいるし、それこそ皆バレンタインという絶好の機会を狙っているはずで、ということは今回のバレンタインを逃してしまえばもうチャンスは二度と来ないかもしれないということ。
及川くんの隣に可愛らしい女の子が並んでいるかもしれない。いや既に現時点でもいっぱい並んでるけど、並んでるけど、並んでるけども!考えるだけでドクドクと勢いよく血流が暴れだして、今にも頭が沸騰しそうになる。


「‥‥やらなきゃ」


幸い去年はあまり及川くんの事が好き、という女子はいなかった。ううん、いたのかもしれないけど本命チョコを渡してる人は少なかった。私の情報では他校の女の子が差し入れで渡したらしいけど恐らく問題ない。だって他校だもん。でも今年は違う。全然違う。
泣いても笑っても、きっとチャンスは一度きりで、可愛い女の子に先を越されてしまったら即アウト。
グッと下唇を噛んで、ふと前を向けば、いつの間にか教卓には先生が立っていた。出席取るぞー、少しダルそうな声が耳から耳へと流れていく。

しかしそれが耳に残ることはなく、風に吹かれる花びらのように散っていった。
丸めていた背中を伸ばして、チラリと視線を横に逸らせば、ふわりと揺れる薄色の髪。途端にドキドキと加速していく胸の鼓動が、隣の人に聞こえそうで怖い。
先生に名前を呼ばれても気付かないくらい、あたしの頭の中は、それだけ及川くんとチョコレートと料理教室の3つでいっぱいいっぱいだった。



♂♀



お風呂上がりの少し火照った顔をパタパタと手で扇ぎながら、じっと目の前にあるディスプレイに視線を注ぐ。
少し緊張している指をキーボードに走らせて、しかし打ち間違えてまた消して。暫くそんなやり取りをパソコンと二人で行っていたものの、


「‥‥よし」


緑色の円がぐるぐると光っているのを目に留めると、小さく息を飲んだ。


「‥‥バレンタイン限定、生徒‥‥ぼ、しゅう」


こんな場所に料理教室なんてあったっけ?不思議な思いにかられながらも、あたしは迷わず申請メールを送る。送信完了、その文字が画面に表示されると同時にカーテンを閉じ忘れていた窓を見つめる。
キラリと見えた一番星が、あたしを見守っているようで、妙に嬉しくなった。



♀♂



バレンタインまで残り一週間。そう思っていた当時から約一週間が経過。‥‥つまるところ、今日は本番の日なのである。


「‥‥ふぅーはぁ」


時は放課後。料理教室で先生にひたすら個人練習で付き合ってもらった甲斐あってか、ビジュアルは中々のブラウニーが完成した。後は渡すだけなのだが、チョコを渡す=本命=貴方が好き、ということなので、もうここは腹を括って気持ちを伝えてしまおうと思う。

気持ちの整理は、ついた。ついたはずだ。

教室の端々から聞こえる鼻を啜る声、友達と笑い合う声、全てが後押しになったような気がする。ただ、友達が言う限り及川君はまだ姿を見せていないらしい。
それが大量に貰う予定のチョコレート対策なのか、ただ単純に姿を隠しているだけなのかは分からないが、どのみち及川君はあまりチョコレートを貰う事を望んでいないようだ。
それでも渡そうと思ったあたしは、やはり周りに感化されたのか。

ま、受け取ってもらえなかったらそれはそれで思い出になるから良しとしよう。つまり、もう身は投げ出しているのである。失恋万歳。


「よし、」


ぐっと包装紙を軽く握り締めたところで、前を見据‥‥え、た。見据え、た。‥‥見据えた。


「え、え、え、ちょ、タンマタンマタンマタンマタンマ!」


慌てて曲がり角にグルリと身を隠して、心臓を、じゃなくて胸を抑えた。ドクドク、と小刻みに鳴っていたはずの心臓が、なんかこう、今にも肌を突き破ってきそうな、ってなんかこれはグロイっていうか、とにかくああああああああ!


「無理だ、やっぱ無理だ!友達には謝る、もういいや!」
「名字さん?」
「え?」


何の前触れもなくトン、肩に温かい何かが乗せられて寿命が縮むような感覚に陥った。ビクゥ!と思い切り肩を揺らしたところで、ギギとゆっくりと顔を後ろに向ける。と、今度は違う意味で寿命が縮んだような気がした。


「お、かわ‥‥くん」
「おかわくん?」
「いや、お、及川くん…あの、何か‥‥用?」
「うん」
「え、えっと、何かな?」
「それ」


ニコリとした笑顔で人差し指を向けられた視線を辿れば、そこにはあたしが必死こいて作ったブラウニー、握り締めたせいか少しポロポロと崩れるブラウニー。‥‥え?


「こ、これが‥‥何か?」
「誰にあげるの?」


いつもの花のような笑顔とは違う何かを含んだような笑顔でコテンと首を傾げる。その空気に何故か気圧されたあたしは、思わず一歩後ろへ下がった。誰にあげるの?って、え、‥‥あたし、この状況で告白するの?


「えっと、」
「ねえ、誰?」


尋ねる、というより問い詰められるような雰囲気が、どうしてもこれ以上言葉を濁すことを許さないような気がした。ただ、シチュエーション的には果てしなくベストのため、ググッとブラウニーを持つ手を強めてしまう。どうする、あたし。言っちゃうのか、あたし。‥‥どうにでもなれ、あたし!


「お、おおお、及川くん、貴方のことがす、好きです!受け取ってください!」


どうにでもなった、瞬間である。




どうにでもなれ!

(後日談)

「良かった」
「へ?」


腰を90度に折り曲げて差し出したブラウニーを、そっと受け取った及川君は、ただ一言そう言った。純粋な疑問に追われたあたしは、重さのなくなった両手をそっと元の位置に戻すと「どういう意味?」と瞬きを繰り返す。
最早、告白をしたという事実すら頭から離れていたのだから、もう馬鹿としか言い様がない自分である。


「今日逃げ回ってたの、理由があってね」
「そういえばそうだったね」
「このためだから」
「‥‥ん?」


これ、名字さんから貰う為。


(正直、ずるいと思いました、まる)

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