昼寝でもしようかと布団を引いていたら、障子の向こう側で控えめに私を呼ぶ声がした。中断された作業と中途半端な体制のまま「どうぞー」と振り返ってみると、小柄な人影がゆらりと揺れて、宵闇の瞳が覗く。近侍の彼がここに来ることはそうおかしなことではないものの、用もなく来ることもない。一体何の用だろうとハテナマークを浮かべる私に、薬研は入っていいか?と尋ねたあと、対して返事も待たずに中へと入ってきた。「よいしょ」と見た目とは不釣り合いの言葉と小さなダンボール箱を抱た姿に、パチパチと瞬きを繰り返す。


「薬研、それ何?」
「さっきこんのすけが大将に、ってな」
「こんのすけが?」
「ああ」
「こんのすけから宅配物……?」
「俺っちの予想だが、きっとこの間の検非違使の件のお詫びだろう」
「あ、なるほど……」


ドスンと重量感のある音を立ててダンボールを部屋の中央に置いた薬研は、手をクイクイと曲げて私を呼んだ。素直に布団を引いていた手を引っ込めてそちらへ向かうと、例えようのない甘ったるい匂いが鼻にく。なんだろう、この匂い。お花みたいな砂糖みたいな、嫌いじゃないけど好きでもない、甘ったるい匂い。私の部屋にそういった類の匂いを放つものはないから、この荷物からだろうか。薬研をちらりと見ると、腕を組んで荷物を見つめていた。――そういや昔、演習で一緒になった審神者が言っていたことがある。
「検非違使を倒したら儲かるの」
その時は何を言っているんだと思っていたけど、なるほどこういうことかと頷いて納得する。検非違使を倒したのはこの間が初めてだったけど、検非違使を倒すとこういったお返しがくるのか。確かにお得だと思うけどそれってどうなんだろう。もちろん戦ったのは私じゃなくて刀のみんなだ。重傷になったのも私ではなくて、痛くて涙を流したのも私じゃない。けれど、お詫びをされるのはどうやら私らしい。複雑、だなぁ。みんなで分け合えるようなものだったらいいなと思いながら、ペリペリとガムテープを剥がして中を覗くと、甘ったるい匂いが一層強くなった。ふわりと部屋全体に広がったそれにじわじわと内側から蝕まれていくような気がする。


「化粧品か?」
「……みたいだね」
「?嫌か、大将」
「ううん……嫌っていうかなんか……ううん……」
「大将は普段あまり化粧はしないだろう?俺っちは良い機会だと思うが」
「それはそうなんだけど……しかもこれブランド品だし……でもやっぱみんなで分け合えるものが良かったなって」
「ああ」
「痛い思いをしたのは私じゃないのに。私ばっかり得してるみたいでなんか嫌だな」
「大将がそれで喜んでくれるなら俺たちも願ったりってもんさ」
「そうは言ってくれるけどね?」


所せましと並んでいるのは私でも知っているような有名ブランド品ばかり。あの時の審神者にこのことを言ったらきっと羨ましがられるんだろう。だって思い返してみれば、彼女は沢山の宝石を身に纏っていた。キラキラ光る宝石をつけた彼女はそれは綺麗で私は憧れに近いものを抱いていたけれど、今考えてみるとそれも政府からの贈り物だったのかもしれない。彼女のクラクラするような香水の匂いは、この甘ったるい匂いとよく似ている。そう考えると、これを素直に受け取るのに少し抵抗が生まれてくる。仮にも彼等の命の下にあるにあるブランドなんか欲しくない。あれ、これってわがままなのかな。けど、これはズルだ。私は何もしてないのにご褒美をもらうなんて。そもそも化粧品なんてもらっても使わないし。


「あ、そうだ。これ清光にあげよう」
「加州の旦那に?」
「うん!あ、待ってこれ凄い名案だね?絶対喜んでくれるよ清光」
「まあ……そりゃあ喜ぶだろうが」
「このまま渡すのもなんだし、何かに包んで渡そうかな。いっぱい数あるし、化粧水とかだったら他の人にも配れるし、」


私はいつだって彼等と対等でありたいと思っている。けれどそれを彼等は許さない。
手首を掴まれて、手にしていた化粧品がバラバラと畳の上に落ちる。


「たいしょ、待ってくれ」


突然のことに私は思い切り頬を引きつらせた。藤色の瞳に反射している、自分の表情は酷く怯えていて滑稽な見世物みたいだ。対照的に、薬研の顔は険しい。いや、実際の顔の変化というものはないに等しいのだけど、その宵闇のように暗い瞳の色が更に深みを増していたからきっと険しいんだろう。何か気に食わないことをした?どうしたの薬研。急に怒ったような顔してどうしたの。普段温厚な人が怒ると怖いというのは本当で、普段温厚で優しいからこそ、そのギャップが深く凄まじい。今の薬研が怒っているのかはわからないが、笑いかけてくれているわけでもない。どくりどくり、冷たく白い手に掴まれた部分が脈打って溶けてしまいそうだ。「ど、したの」やっとの思いで言葉を口にすると、止まっていたはずの薬研の手が私の手首から腕、首筋、となぞるように移動して頬に触れ、そっと動きを封じた。そうして彼は薄い唇を三日月に曲げて、漸く含みのある笑いを見せる。思わず息を飲んだ。だってとても綺麗だ。まるで人形を見ているみたいで心臓が落ち着かない。触れられたところが熱を持って体が震えた。


「加州の旦那にやるのも悪くはねえが、ちょいと勿体無くはねえか」
「な、何が……」
「俺っちは飾られた大将も見てみたい」
「なっ」
「なあ、見せてくれねえか」
「そ、そんなこと言われても、」
「いいねえ、その顔。けどこうやって赤くしたら、」
「ちょ、ちょっと」
「……ほら、良くなった」


指で頬をポンポンとされたかと思ったらふにふにと唇まで触られてヒッと甲高い声が出た。一体私は何をされているんだ、薬研は一体何がしたいんだ。心臓が別の生き物かのように暴れて、その振動が薬研にまで伝わってしまいそうで怖い。あ、だめ、無理。耐え切らずに顔を横に背けるも、顎を持ち上げるように固定されて元に戻されてしまう。僅か数センチの距離、吐息が当たってしまいそうな距離に、薬研の顔がある。その事実に頭がついていけなかった。何度も顔を背けて、元に戻されて、輪郭を確かめるかのように指を這わされて、その繰り返し。馬鹿みたいだと思ったけど、そうでもしていないとどうにかなってしまいそうだった。顔も、体も、全部が熱いのに、薬研が触れている箇所だけがヒンヤリと冷たい。


「ま、って、ほんと、むり、やめて」
「なあ」
「ほん……と、そこで喋らないでって」
「こっち向いてくれよ」


わざとらしく耳元で落とされた低音に、背筋が震えて鳥肌が立つ。唇を噛んで横に向けていた顔は、何度目か分からない動作で元に戻され、とうとう両頬を押さえられてしまった。視界をゆらゆらと滲ませる薄い膜のせいで、薬研の顔が少し歪んで見える。けれど間近に迫った表情はしっかりと読めて取れた。だからこそ余計逃げたくなった。薄い唇をペロリと舌なめずりをする彼を相手に逃げられる気がしなかったから。うっとりとしたように私の唇を撫でる様子は普通じゃない。こんなの普通じゃない。


「……たーいしょ、ほらこんなに頬と唇が真っ赤だぜ。食べてって誘ってるみたいだ」
「そ、それは薬研が勝手に……っ」
「やっぱり加州の旦那にあげるのは勿体ねえなぁ。こんな蕩けた顔を他の奴等に見せたくない」


少し開いた障子の間から淡い光が差し込んでくる。誰かが廊下を通ったら見られてしまうかもしれない、そんな背徳感が痺れになってやってくる。
そんな私に薬研は笑いかけるだけだ。諦めて目をギュッときつく閉じると、吐息混じりの小さい笑い声の後に柔らかい感触がまぶたに触れた。噎せ返るくらい甘い匂いが思考を鈍らせる。
ああ、飲み込まれる。そう思った。

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