※男装夢主



はじめに、私はポムフィオーレ寮の生徒である。

家庭の事情云々でナイトイレブンカレッジに通い男装をしているけれど、通って約半年、未だにバレたことが無ければバレる気配もない。それもそのはずだ。私が学園長が用意して頂いた特殊な魔法薬は、周りから自分の姿を惑わして映すことができる優れものだった。私自身の姿が変化するわけではないけれど、見た目が周囲の人々には若干違って見える。

そう、あくまで若干。
言わば錯覚のような、幻覚のような、そんな感じの効能だった。例えば輪郭がシュッと男らしく見えたり、喉仏がきちんと見えたり……その、男の人のものが着いているように見えたり。実際についているわけではないけど、なんかこう、そう、周囲にはついているように見えるのである。

とまあ、あくまでそんな補助的なのようなアイテムだけれど、味の方は酷く苦くてまるで美味しいとは言えない。それでも便利な魔法薬を飲んでいることもあってか、早々バレることは無かった。直接触れられることさえなければバレることは無いと高を括っている。

そう、そのはずなのだ。

「あら、名前」

大食堂にて昼食を食べた帰り道、寮に戻って少し休憩しようとしていた時だった。不意に後ろから投げかけられた声に、肩が上がる。無視して止まるわけにもいかないため恐る恐る振り返ると、予想通りの人物が凜然たる様で私を見下ろしていた。

「っあ、ヴィル様……ご機嫌よう」
「ええ。今日はとっても良い天気だわ」
「今日ですか?」
「もしかしてまだ外を見ていないのかしら」
「あ、あの……ま、前だけ見ていたもので……!」
「……アンタのそういう所は本当に心配だわ」

ヴィル・シェーンハイト。
私の属するポムフィオーレの寮長で、威風堂々の洗練された美貌を持つ人物。そんな彼は、私を見かける度に、いや、見かけなくたってよく話しかけてきた。出会いは入学初日。エペル・フェルミエという同じ一年生の彼と共に、私は何故かヴィル様のお目にかかってしまったらしい。私とエペル君はどうやら雰囲気がなんとなく似ているようで、ヴィル様だけてなくポムフィオーレ寮ごとセットで纏められがちだ。淡藤色の髪を持つエペル君の容姿は一見すればまるで傾国のお姫様のようで、儚く華奢な紫陽花が咲いているようだった。……その中身は驚く程に野性的だけれど。そんな性格を知ってか知らずか、ポムフィオーレ寮でも一際目を引く彼を、ヴィル様もたいそう気に入っているらしく積極的に世話を焼いている。

当然エペル君と私が実際に似ているわけもないのだけれど、それでも雰囲気が似ていると言われるのは、エペル君があまりに中性的だという点と、私が見かけ騙しをしようとも背丈や仕草、元の顔の作りが所詮は女顔だからという点につきるだろう。そう、女っぽい、言わばそれだけだった。だからポムフィオーレ寮長であるヴィル様がわざわざ私に構ってくるほどの理由はなくて、二年生にも三年生にも女性らしい風貌の人はいるわけで。

ヴィル様のような方がわざわざ私に構ってくる。それだけが本当に分からなくて、私は話しかけられる度にビクビクしてしまっていた。彼は頭脳も明快であるから、油断すれば鷹のような鋭い瞳に全て見透かされそうになるのだ。今だってビクビクと震える私を頭一つ高い位置から見定めるように見下ろし、顎に細く長い顎を当てている。グラデーションのかかる髪が、サラサラと風に掬われていた。

「……ヴィル様?」
「名前……アンタ、少し痩せた?」
「えっ」

や、痩せた?痩せたかな、えっ、嘘、痩せた?
ヴィル様の水晶のような瞳が私を上から下までじっとりと眺めるので、どうしたらいいか分からず目を泳がせる。痩せたと言われても心当たりが微塵も見つからない。最初こそエペル君とラーメンをこっそり食べに行ったり、甘いもの巡りをしたりしていたけれど、ココ最近は驚くほど毎日のルーティーンに変化がない。暴食もしていなければご飯を抜くこともしていなかった。……たま〜にエペル君にお肉を多めにあげたり、ご飯を分け与えたりしているけれど。しかし、たかたがその程度で他人に指摘されるほど体重が変動するとは思えない。「き、気のせいじゃないですかね……?」と返せば、ヴィル様の均整の取れた眉の片方が分かりやすく吊り上がる。

「アタシの目に狂いはないわ」

……それもそうだ。

「少し来なさい」
「えっ、あの、ヴィル様!?」

ガシ、と手首を掴まれたかと思えば、私の手を引いて歩き出すヴィル様に足がもつれそうになる。しかしお節介スイッチが入ってしまったヴィル様は中々手強く、巻くことも難しい。私は観念して彼の後を大人しく追った。ああ、今ならエペル君の気持ち、よく分かるよ。







連れてこられたのは裁縫室だった。ミシンや布、多くの裁縫セットが机の上に広がっている。ガラリと躊躇なく扉を開き中央まで進むと、華麗に反転して再び私を見下ろしていた。

「あ、の……ヴィル、さま?」

部屋の中は薄暗かった。電気を付ければいいのにそうすることもせず、半端に開いたカーテンから入り込む陽光でのみ室内が照らされている。透き通るようなオーロラを彷彿させる髪が生糸のように滑らかに揺れ、彫刻のような比率で嵌め込まれた薄紫の瞳が、静かに私を射抜いている。十分な光が入っていない空間でもその覇気は爛漫としていて、絵に描いたような美の暴力が押し寄せていた。圧倒的な存在感に、ゴクリと息を飲む。ヴィル様の見目麗しさなどとっくに知り理解しているとさえ思っていたけれど、それは傲慢なのだとハッキリ分かった。この美しさを理解出来る日など、私にはきっと一生訪れない。先程の呼び掛けに何故か応答しない彼に、私はもう一度「ヴィル様?」と声を上げる。すると、その優美な曲線を描く人差し指を私の顎に当て、上を向かせた。ひんやりとした体温が顎先から全身に伝わり、心臓がドクドクと鼓動する。意図が分からずただ眼前にあるヴィル様を見つめていると、薄い唇を開き、言い放った。

「脱ぎなさい」
「……………………へ?」

ぬ、脱ぎなさい……?
言われた意味が分からなくて、オウム返しになった私は、素直に聞き間違えたのかと耳を疑った。それなのにヴィル様から冗談とは思えない精悍な視線が注がれる。どういう、ことだろう。私は今制服を着ている。ブレザーも羽織っているし、男装のために巻かれているサラシだってしている。抜かりはないはずだ。かと言って軽率に服を脱ぎ、危険を冒す真似はしたくない。もう一度、ゴクリと息を飲んだ。溶けかけた雪のような白肌がゆっくりと近付いてくる。反射的に右脚が一歩退いたけれど、そんなもの彼の前では大した距離ではないらしい。カタン、と背後の机に腰がぶつかり、机上の小道具が音を立てる。行き止まりだ──ならば、とその腕をすり抜けようとすれば、それよりも早く、顎に触れていた手が表面を撫で、首元へと移動していく。一瞬、首を締められるのかと錯覚した。ヴィル様は相変わらず私を見下ろしている。その瞳には翳りが出来、感情を読み取れない。それでも熟れた果実のような唇を三日月に持ち上げ、慈しむようにその指が首筋を行き来する。ぞわぞわと粟立つような感触に「ひっ、」と喉の奥から声が出た。触れるか触れないかの繊細な動きで撫ぜられれば、何とも言えぬ感覚に耐えようとキュッと唇を噛んでしまう。

「あら、ダメよ。ただでさえ荒れているのに」

しかし、それさえもどこからか伸びてきたもう片方の手によって阻止されてしまった。左の親指を器用に私の下唇に乗せ、フニフニと弾力を楽しむような動きをしたかと思えば、おもむろに上唇の裏を掠める。呼吸が止まるかと思った。雰囲気に飲まれそうになる。ヴィル様の右手が首筋を撫でる度に背筋が伸び、唇の間に挟まれる指が動く度に、か細い声が漏れた。鼓動が忙しない。まずかった。この空気は、まずいと、本能が警告を出している。

「ヴィ、ヴィル……さま、お戯れが、過ぎるのでは……」
「いいえ。決して戯れなどではないわ。アンタのその制服……サイズが合っていないもの」
「……サイズ?」
「シャツと体のラインがまるで合っていない。滑稽よ」
「あ、ああ……そういう……」
「このアタシが直々に修繕してあげようと思ってるの。だから」

だから、脱ぎなさい。
納得しかけた末に、やはりヴィル様はそんな言葉を落とした。なるほど、美を何よりも優先し、愛する彼らしい行動だと思う。けれど、私は当然脱ぐわけにはいかなかった。脱いでしまえば学園長しか知らない秘密が、そしてずっと嘘をつき欺いていたことがバレてしまう。心臓が早鐘のように鳴り響いていた。静謐な空気に、その振動が伝わってしまうのではないかというほどに。バクバクと止まらない心音を押さえつけるように胸元のシャツを握り「た、大変有難い話ですが、」と彼を見つめ返す。気づけば、耳まで燃えるように熱かった。

「わざわざヴィル様のお手を煩わせるわけにはいきません……さ、裁縫なら得意なので自分で、ヒゥッ!?」

自分で行います。
そう言い切る前に、首筋を撫でていたヴィル様の指が耳朶に触れた。不意打ちで敏感な部分を摩られ、思わず情けない声が漏れる。慌てて口を押さえようとすれば「えっ、」少しの衝撃が身体を襲い、天井が背景になっていた。

「ヴィル、さま」
「うふふ、なあに?」

薄暗い。薄暗い室内で、どうしてか私は机の上に背をつき、押し倒されている。唇を弄っていた彼の手はいつの間にか私の両手首を固定していて、ふらりと宙に浮く足の間にはヴィル様が捻りこんでいた。訳が分からなかった。訳が分からないのに、この状況はとってもおかしくて、駄目で、危機的なものであるというのは、苦しいほどに痛感していた。じわりと嫌な汗が額に浮かぶ。

「あ、の……これはどういう……っ」
「あら、採寸よ。ちゃんと測らないと修繕できないでしょう?」

言っていることはご最もだった。ご最もなのに、この空気だけがおかしい。ヴィルさんから甘ったい匂いがして、ねっとりとした視線に蕩けた気分になってしまう。ヴィル様の長く濃い睫毛に縁取られた瞳に、まるで砂糖菓子のように今にも溶けてしまいそうだ。ああ、私はこんな時に何を考えているんだ。私を依然として見下ろしているヴィル様は、平然と私の身体のラインを確かめるようになぞっていく。肩から背中へ、背中から腕へ、腕から再び腰へ。「ンッ、」耐えるようにその擽ったいような緩い刺激に耐えて、早く終われ、早く終わってしまえと奥歯を噛み締める。けれど大腿骨からお腹の辺りまでスーッと指が流れた時、私はいよいよまずいと手足をばたつかせた。駄目だ、その辺りはまずい。このままじゃ、バレる、間違いなくバレてしまう。いくら胸を潰していようとも、本来の男性の身体とは、どうやったって異なる不完全体だ。胸に触れられたら終わりだった。幻覚のような魔法薬は、錯覚させるだけで完璧じゃない。実際に触られて確かめられたら、鈍感な人ならまだしも鋭いヴィル様なら違和感に気付いてしまう。このような状況なのだから彼に少しくらい傷がついたってやむを得ない──それぐらいの気持ちで私は抵抗していたのに、ビクともしないヴィル様に目を見開いた。むしろ手首を押さえつける力は一層強くなり、背中は机から離れることもできない。

「ゥッ、ヴィル、さま……っ、離して……!」
「どうして?」
「どうしてって……ちょっと、この状況、おかしいです!」
「おかしくなんかないわ……ねえ」
「?」
「アタシの目を見なさい」

そうして、私は一度ギリギリと抵抗していた力を弱めた。言われた通り、ヴィル様の瞳を見つめる。吸い込まれそうな瞳は宇宙のように煌めく星が散らばっている。紫苑の中に眠る虹彩は薄暗闇でも確かに光を放ち、潤った表面がゆらゆらと私を映している。──そう、私を映していた。優美な動きで睫毛が幾度か瞬きながら、その向こうに映る自分の姿に、息を飲んだ。肩より下の長髪が散らばるように机上に広がり、輪郭は丸みを帯びて、目には今にも溢れんばかりの涙が溜まっている。これは誰だ。一瞬頭が真っ白になって、その正体を脳みそが把握しようとしない。

「そう、名前よ」

けれど、そんな心の声に答えるかのように、ヴィル様が薄い唇を吊り上げた。ああ、そうだ。これは、私なのだ。本来の、私。女の、私だ。

サァ、と血の気が引く気配がする。氷漬けされたように全身の血液が冷たくなり、口元がひくついて、手先がカタカタと震える。バレた、なんてものじゃない。これはきっと、ヴィル様は、きっと初めから、

「……ずっと、思ってたのよ」

シュルリと、首元で結ばれていたリボンが解かれていく。その動きに無駄はない。いっそ乱暴に扱ってくれればその隙を狙って逃げれたというのに、ヴィル様は極めて流れるような動きで、しかし確実に私の退路を塞いでいく。

「ここ、キツそうだわ」

艶態な指が、トン、と私の心臓部分を突いた。それだけで壊れるんじゃないかってくらいに脈打ってしまう。

「……ねえ、名前。教えて?どうしてそんなに怯えているの?」
「っひ、ヴィ、ヴィル様……も、もう……っ」
「教えて?」
「そ、それは……私が……」
「私が?」
「本当は……お、おんなのこ……だから……っ」

呑まれる、呑み込まれる。ギラリと突然ヴィル様の瞳の色が変わる。獰猛な捕食者の、獲物を狩る目だった。声が震えて喉が苦しい。眦に溜まった雫が生温く頬を伝っていく。終わった、何かが間違いなく、この瞬間終わったのだ。嗚咽混じりの告白なのにヴィル様は驚く様子はなかった。真っ赤な舌で下唇をひと舐めし、器用に片手でブラウスのボタンを外していく。

「そうね、名前は女の子よね」
「ひ、や、やめて……ヴィル様……っ」
「駄目よ、自分の身体にこんな扱いをしたら。苦しかったでしょう?」

ついに、ひんやりとした空気が肌に触れた。ゴクリと息を飲む音が聞こえる。私なのか、はたまたヴィル様なのかは、分からなかった。

「欲しくなってしまったの」

鎖骨辺りを撫でていた手が衣服の中に潜り込んでいく。火照りきった肌が彼の体温を吸い取るようだった。ゆるゆると形を確認するように動く指に、甘い痺れが駆け上がっていく。ビクリ、と身体は跳ねて、口では抵抗の言葉が出ているのに、ヴィル様の手が止まる気配はない。こんな醜態を晒しているのが情けなくて、惨めで、ヴィル様に見られているのが恥ずかしくて、視界の四隅が湿っぽくぼやけていた。それに気付いた彼は私の目許に唇を寄せ、零れ落ちかけた涙に口付ける。なんて柔く甘美なのだろうと、頭の隅でそんなことを考えた。まるで、じゅわりとそこから甘い甘い砂糖菓子のような毒が流れ込んでいくようだった。


「ねえ、」


私の名を呼ぶ声があまりに心地よくて。

完全に、気を遣られてしまっている。ヴィル様がこんなに恍惚とした目で私を見ているなんて有り得ないのに。夢だと言ってほしい。夢なのだと、早く、だれか、だれか。

「ヴィル、さま」

薄く色付いた唇が近付く。気づけばぴったりと密着していて、熱い何かが隙間を割って入ってくる。毒のように甘い蜜を垂らしながら、それでも獣のように咥内を荒らしていくのだ。角度を変えて、何度も唇が合わさり、舌を吸われれば身体の力は完全に抜け落ちて、縋るようにヴィル様を見上げることしかできなかった。情火を孕んだ視線がドロリと注がれて、ゾクゾクと鳥肌が立ってしまう。

「ねえ、名前。白薔薇の味ってご存知?」

ああ、もう、逃げられる気がしない。

淡い光を背に受けて、ヴィル様の表情に陰影ができている。普段より彩色の無い空間で、私は自分の中で生まれた熱をどうしていいか分からない。
白薔薇の味?知らない、食べたことなんかない、そもそも食べようとは思わない、けれど、けれど、きっと、

「甘いのよ」

きっと、
それは罪の味なのだろう。

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