少し前までモンドの冒険者と言えば私だった。
 城壁周辺のヒルチャールの群れが現れれば忙しい西風騎士団の代わりに討伐しに行ったし、アビスの魔術師が現れても畏れず立ち向かった。一度依頼の関係で璃月に赴いた時なんかは、風の噂で『モンドに新鋭冒険者がいる』という情報が届いていたようで我ながら鼻が高いと思った。何度か西風騎士団に勧誘もされたけれど、あくまで冒険者という立ち位置から抜け出さなかったのは彼等の仕事量の多さを見て唖然としたのもあるし、単純に自由度の高い冒険者の方が自分に向いていると思ったから。稀に貴重な花を採ってきて欲しいだとか、未知なる洞窟探索をして欲しいだとか、そういった戦闘だけではないギルドが魅力的だった。
 だと言うのに、最近モンドでは新たな人物が名を馳せている。ふよふよと宙に浮いているパイモンと旅人と呼ばれていた彼等は、あっという間にモンドの栄誉騎士にまで成り上がってしまった。ついこの間モンドに来たばかりだというのに、すぐにモンド民の信用を勝ち取り、冒険者や西風騎士団の信頼も得て地位を確立したのだ。
 これには黙っていられなかった。
 だってついこの間来たばっかのくせに。新人冒険者のくせに。私の方がモンドの為に色々してきたっていうのに。こちとら先輩だぞ。キャサリンさんには何度か顔合わせするように頼まれたけれど、私は敢えてそれを断り全力で避けていた。何がなんでも、今は会いたくなかった。だから彼等はまだ私の顔を知らない。……私は影からコソコソ見ているので知っているけれど。

 そして今日も今日とて敵情視察である。どうやら栄誉騎士は断るのが苦手なお人好しらしい。私が気分が乗らないからと断ったギルドが彼等に回ってしまっているようだ。毎日毎日誰かに頼み事をされて、見返りも求めず手助けをしている彼等は確かに慕いたくなるし栄誉騎士の称号も授けたくなる。風唸りの丘を通過した彼等は、時折ピクニックのようにサンドイッチを道中で食したり、一見優雅に散歩を楽しんでいるようにも見える。時折襲いかかるスライムを華麗な元素攻撃で仕留める様子は流石だった。
 うぎぎ……なんて奴。そんなに強くてカッコイイならさっさと次の国に行けばいいのに。見事に逆恨みを募らせている私は、はあと大きく溜息を吐いて目許に当てていた双眼鏡を離す。その時だった。

「こんなところで旅人を盗み見かい?」
「ひぇぁっ!?」

 琴を鳴らしたような軽やかな声が、私の耳元に落とされる。まさか誰かに声を掛けられるなんて思ってもいなかった私は、ずるりと足を滑らせた。浮遊感にヒュッと喉が鳴って衝撃を覚悟していると、腰に腕が周り強く引き寄せられる。「危ないなあ」それでも彼の音色は変わらなかった。どこか笑っているようにさえ感じられ、私はムッと頬を膨らませて目の前の人物を睨みつける。

「ウェンティ!ビックリしたじゃない!」
「ごめんごめん。そんなに驚くとは思わなくて」
「驚くに決まってる!ここどこだと思ってんの!」
「だから『こんなところで旅人を盗み見かい?』って尋ねたじゃないか」
「そ、そういうことじゃなくて!」

 こんなところでと分かっているのなら尚更タチが悪い。私は何も悪いと思っていないだろうウェンティを一瞥し、改めて周囲を見渡した。
 鮮やかな緑の葉をたっぷりと茂らせた巨大なオークの木。太陽の光をキラキラと反射させ、大風に揺れる様子はせせらぎを通り越して眠りを誘う。そして私が立っているのは、そんな巨大な樹木のテッペンだった。天に届くほど大きいこの樹木は一本一本の枝もしっかりしているので、私一人が乗ったところでビクともしない。繁った青葉のおかげで向こうから私の姿は把握出来ないだろうし、旅人達を視察するに最高の場所なのだ。そして普通はオークの木に登ろうとする者もいない。正しく『こんなところ』でという表現は合っているのだけれど、それを言ってしまえばウェンティだって『こんなところ』にいる訳である。
 私の言いたいことなんぞとっくに伝わっているのか、彼はクスクスと笑いを零しながらそっと腰に回る腕を離した。

「そんなに気になるなら会って話せばいいのに」
「……そういう問題じゃないの」
「ふうん?」
「アッ!後ろにヒルチャールがいるじゃない!後ろ!おい、何呑気に水飲んで……って何普通に倒してんのよ腹立つ!」

 つまるところ、これなのだ。結局のところ旅人はハチャメチャに強い。最早チートなんじゃないかとさえ思ってしまう。神の目もないのにどうして元素が使えるのかも分からないし、戦闘センスがずば抜けている。悔しいことに実はそこから学ぶことも多かったりするのだ。もし彼等が私よりも早くモンドに来ていたのなら、素直に教えを乞うていたかもしれない。
 私がまたもやぎゃあぎゃあと騒ぎながら旅人の視察を始めていれば、フッと後ろから双眼鏡を抜き取られた。

「……な、何?」
「んー?何でもないよ、続けて」
「いや、双眼鏡……か、返してくれないと……」
「それはやだなあ」

 意味が分からない。
 無言で手を伸ばして返せと訴えかけるも、彼は薄く笑顔を貼り付けたまま微動だにしない。

「……もういいよ、分かった」

 意味が分からないけれど、降参するしか無さそうだ。彼の不思議な雰囲気には何故か逆らう気になれなかった。本当によく分からない人である。
 ウェンティ、自称吟遊詩人、飲んだくれ、何故か最近よく遭遇する、──そして、不思議と惹かれる空気を持った人。
 私の中の彼のイメージはこんなところだ。一度詩を歌っている現場を目撃した時はその甘い声に酷く驚いたものだが、直後観客から貰ったらしいお酒をがぶ飲みしているところを見てドン引きした。それ以降何度か酒場でお金が尽きるまで飲んでいるのを見て、単なる酒バカなのだと認識することにした。
 後はどうしてか私の行く所々で遭遇するので、神出鬼没の暇人なのだと思っている。自由を求めるモンド人らしいといえばそうなのだけれど。

「ねえ名前」
「何?」
「君くらいだよ、この木に登るのは」
「……嫌味かしら」
「さあ?でも僕の心は今穏やかだ」
「そう……それは良かった」
「折角なんだからもう少し付き合ってよ」

 そしてどこからともかく取り出したのはりんご酒だった。私は眉間に皺を寄せるしかない。まさか地上から数メートル、更には足場も決して良くない木の上で酒盛りをするつもりなのか。
 そしてその予想は見事に的中した。「いやいや……」流石の私もこんなところでお酒を飲む勇気はない。いくら身体能力は人より上の方だと自負しているとはいえ、酔っ払って何の受け身も取れないまま落下してしまっては重症を免れない。流石にそんな馬鹿げた理由で怪我などしたくない。
 そんな私の気も露知らず、美しい年齢不詳の少年は美味しそうにりんご酒を口にしている。既に甘い芳醇な香りが木々の匂いに混ざっていた。

「死ぬ気?」
「ふふ、『こんなところ』でお酒を飲むなんて愉快じゃないか」
「愉快で怪我したらどうするの。それにお酒を飲んで死んじゃったら恥ずかしくて土にも埋まれないわ……」
「大丈夫。絶対にそうはならないから」

 透き通る白い肌が木漏れ日を浴びて煌めいている。硝子細工のような瞳の奥にあるのは甘い誘惑だった。私の腰に再び手が回り、幹に近い、比較的安定した方へと導かれる。絶対そうならないなんて、一体どこにそんな自信があるのだろう。けれど彼がそう言うと不思議とそうな気がしてしまうのだ。全く吟遊詩人というのは末恐ろしい。
 これは付き合うしかないか……諦めに近い感情で、それでも旅人のことも気になって、チラリと彼等がいた方を見るも、もうそこに姿は無かった。双眼鏡で探したとしても、既に遠い所へ行ってしまっているか城の中に戻っているだろう。彼等の機動力は私のお墨付きなのだから。チッ……見逃した……。
 明らかな元凶であるウェンティは、私の気も知らないで嬉しそうにりんご酒を容器に注いでいた。恐らく私用なんだろうと察してしまい、もう一度深く息を吐く。

「私、ほんとに強くないんだけど……」
「これはそんな度数高くないよ」
「貴方が言っても あんまり信用ならないわ」
「大丈夫。君がいつも飲んでるものと余り変わらないから」
「ならいいけど……ん?いつも?」

 思わず顔を上げてれば、彼は不敵に微笑んでいた。年相応ではない、まるで大人びた笑みだった。いつもお酒を飲むわけじゃない。それでもたまにお酒を飲んで鬱憤を晴らすことはある。あまりお酒が強くないせいで色んなお酒を楽しむことが出来ない私が頼むのは、いつも同じ果実酒だった。でも私と彼とで酒を交わしたことは一度もない。
 み、見てたってこと……?そんな心情は無意識に口に出ていたらしい。りんご酒のせいで艶やかな赤い唇を動かして「君がいつも旅人を見ているように」そう言葉にするウェンティに、急激に熱い何かが込み上げてくる。この感情の正体が分からないし、不思議と分かりたくない気もした。
 なんと返せばいいか分からずわなわなと震える私の頬にしなやかな指先が伸びる。ひんやりと冷たい彼の体温は、自身が熱を帯びていることを再確認させられているみたいだった。

「……と、にかくお酒を飲みたいのね」
「えへへ、まあそれもあるかな」
「……私がもし落ちたら末代まで呪うわよ」
「だからそれは大丈夫だよ」

 だって僕がいるんだから。
 腹立たしいほどにその台詞は似合っていて、彼がいればそうなのだと思わせられる。この酒飲みめ。顔が赤いのを早くお酒のせいにしたくて、私は彼の手元からりんご酒を奪い取った。喉を通るなめらかな潤いにきっと良いお酒なんだろうと頭の端で考える。

 今この瞬間だけは旅人のことは忘れてやろう。そう思って風に揺れる髪を耳に掛ければ、吟遊詩人は目を細めて満足そうに笑うのだった。

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