※梵天


 三途春千夜という人間がいる。
 毛先にいくにつれて菫色に染まる髪は一本一本が艶やかに陽光に照らされ、歩く度に芸術作品のように人々を立ち止まらせるのだ。宝石を彷彿させる瞳で見つめられれば自然と背筋が伸びるし、ティーカップを持つ指先までもが優雅で美しい。威厳のある立ち振る舞いはすれ違う人を魅了して平伏させかねない。そう思わせるくらいにはかつてない存在感を放ち、三途春千夜という自己ブランドを成立させてしまっている人物だった。

 と、ちなみにここまでが私の妄想である。

「…………」
「何見てんだドブス殺すぞ」

 そう、妄想なのである。
 宝石を彷彿させる瞳、というのは黙っていれば確かにその通りだ。しかし目の前にいる三途春千夜は3人掛けのソファを一人で独占し、ダラりとその長い四肢を投げ出している。きっと彼の相棒たる薬は既に切れているのだろう。

「……ドがつくほどブスじゃないし」
「ア? お前の顔面ちゃんと見れるのオレくらいだろーが他の奴が見たらその場で倒れんぞ感謝しろ」

 私は熊か。絶対死んだフリしても逃がさないからな。ひくり、と頬が引き攣るのを感じる。コノヤロウ、自分の顔面偏差値が高いからってお高く止まりやがって……!
 しかし恐ろしく殺傷力のある悪口を正面からぶん投げられていようと、会話が成り立つだけマシというもの。普段は会話すら成り立たない。基本的に私から話しかけても無視されるし、話しかけられる時は仕事関係のことを一方的に告げられて終わる。ちなみに彼がハイになったり機嫌が悪い時は一人悪口しりとりが始まることがあるが、お題は恐らく私である。
 
 三途が歩く度に芸術作品のように? ハンッ、三途はガニ股で歩く時もあるし優雅にティーカップなど持たないし、ペットボトルを飲み切れば何か恨みがあるのかという程グシャグシャにしてポイッだし、当然ゴミ箱にではなくその辺(主に私の周辺)に捨てる。優しさを胎の中に忘れてきてしまったような人間なのだ。口癖は「ヘドロ」「ドブス」「ミンチにすんぞ」だし、私やココ君をいびり倒す様子はまるで鬼姑のようである。

 しかし私は、彼との間に十分な距離があることを確認した上でこれ見よがしに溜息を吐くことしかできない。彼の視線が私から外れてそのままソファで眠りにつこうとする様子を、じっと見つめることしか出来ないのだ。









 それはそうとして、そんな暴君様にお呼び出しを食らった。

「………………………は?」
「まあそうなる気持ちは分かるけど」
「いや、え、なに……こわ……」
「あっ、おい!」

 30秒ほど息が出来なかった。体感である。
 ちなみに小学校の頃音楽の授業で20秒間声を出し続けろというハードな発声練習があったが、私のタイムは5秒だった。周囲はずっと「あー」と虚ろな目で声を出し続けていた。今思えば結構トラウマである。
 そんな私が息を吹き返したぞ! とふざけた竜胆が蘭に報告しに行く頃には、その場におよよ……とぐったり倒れ込んでいた。爪の先からアホ毛の先の先まで硬直し、石像のように横たわる私を竜胆が「名前ー! ブフ……し、死ぬなよ!」と身体を揺らしてきているけれど、なんで肩が震えているんだ説明しろ。時折「フハッ」と空気を吐き出し小刻みに揺れる彼に揺らされながら、私はつい先程の出来事を思い返していた。
 
 やけに時間がかかったらしい仕事が終わり、奴等が帰ってきたのが昨日。
 疲れた反動なのか酒や薬やで散々暴れまくっていたのも昨日。ちなみにその片付けをしたのは私。無限プチプチのように処理して戻ってくる度に床にゲロを吐き続けられたのも私。そんな昨日の、今日。ココ君と色々と予算や運用管理について話がまとまった直後のことである。
 カツカツと革靴が反響する音はうるさいくせに不思議と品を漂わせていた。近付いてきた足音に振り返れば、光沢のある髪がオーロラのように揺れ、私を見下ろす眸子が二つ。
 しかし少しカサつく唇から放たれたのは「おいヘドロ。今晩俺の部屋来い」そんな死刑宣告だった。思考回路はショート寸前だった。
 唖然と口が開いているのは私だけじゃない。隣のココ君もソファで寝転がっていた竜胆も突然のヤク中の登場に、そして放たれた言葉に珍しく驚いているようだった。死刑宣告だけして彼はその身をすぐに翻し、私の方は気が付けば30秒ほど息をするのを忘れ、情けなくもその場にフラリと倒れることとなった。

 私は確信した。

 これは紛れもない死刑宣告、そして殺害予告だ。
 間違いなく殺される。ミンチにされる。何故なら彼はいつも口癖のごとく「ミンチにすんぞ」と言ってくるからである。人々が特に眠くないのに眠いと口にするような類のものだと思っていたけれど、とうとう本気で実行する気になってしまったらしい。しかも仮にも身内に、もっといえば仮にも幼馴染に。きっと私は彼が握り潰したいろはすのようにされてしまうのだ。
 プルプルと小刻みに震える私に蘭が「名前ちゃんついに呼び出されちゃったねえ」とニタニタと笑いながら歩み寄ってくる。こっち来んな。

「何かしたの? 面白そうだからオレも行っていい?」
「ミンチにされるのがそんなに面白い?」
「え? お前ミンチにされんの?」
「兄貴、そういや昨日ハンバーグ食ったよな」
「あ〜そういや食ったっけ? じゃあお前明日からハンバーグ? アイツの胃袋ん中入んの?」

 洒落にならないからマジやめて。何が嬉しくてハンバーグにならなければいけないのだ。

「ミンチつっても国産じゃん、喜べよ」
「どういうこと?」
「お前国籍日本だろ?」
「……マジでサイコみを感じた、裏社会こわ……」
「何今更?」
「てかカップラーメンの偽物肉って美味いよな」何それ死ぬほどどうでもいい。ヘラヘラとソファから口を挟んできた灰谷弟の方に憎しみを込めた視線を送っていると、均整な目許をグッと下げて読めない笑みを浮かべる蘭が私の肩を叩いた。

「ちなみにオレはあの偽物肉嫌いだから全部残す派」

 ブルータス、お前もか。

「くっそどうでもいい、そして痛い」
「ま、お前なら大丈夫」
「軽々しく言わないで」
「そうだぞ兄貴。相手はあの薬中だぜ?指一本で済むかどうか怪しい」
「え……指詰められるの!?」
「でもウチの名前ちゃんは幾多の死線を乗り越えてきてるぞ〜」
「あー確かにそうだな…………? そうだな!」
「納得しないでよ、てか私が納得してない」
「……大丈夫だ、名前。カウンターさえ入れば勝率はある」
「ココ君疲れてるの? そんなのカウンター返しで瀕死の重体だよ……」
「フライ返し?」
「今からフルコース探す旅に出ようかな……」
「大丈夫大丈夫。そういう時の為にヤクがあんだから。痛みも消えるぜ?」
「麻酔がわりにするの? やっぱり私瀕死確定?」
「逆に何に使うんだよ〜そのままオレとキマる?」
「死ね」

 って、この兄弟は本っ当に! 私が本気で悩んでいる時に!
 私はキリキリと痛む胃を押えながら「皆酷いや!」と起き上がる。そしてそのままぎゃあぎゃあと言い合っていれば、廊下の奥から鶴蝶がフラフラと近付いてくる姿が見えた。そして私の姿を確認するなり「……生き返ったのか」と疲労度100%の様子で寄ってくる。いや別に一回死んだわけじゃないんだけどね、死にそうなくらい嫌なだけで。

「か、かくちょ〜」半泣きで彼の元へ駆け寄れば、少し嫌がる素振りを見せたものの、珍しく何も言わずに受け入れてくれた。珍しい。普段なら「三途がオレに照準合わせてくるから近寄るな」って謎の避けられ方をするのに。ここは常に戦場なのだ。鶴蝶も同情してくれているんだろうか。

「でもやっぱり呼び出されないといけない理由が全く分からないんだ」
「お灸据えられる以外なくね?」
「私なんていつもお灸添えられてるようなもんじゃん」
「だったら何をそんなにビビってんの」
「だから! わざわざ呼び出されてまでお灸据えられる意味が分からないってこと」
「なんかあればマイキー様のところに逃げ込めよ」
「……そんなんでマイキーに迷惑かけられないでしょ」
「ハーン、相変わらずボスには気遣うのか。つかお前らずっとそんな感じなん?」
「ど、どゆこと……?」
「幼馴染なんだろ?」

「あーーー……」
 ね。

 私は苦笑いを浮かべるしか無かった。
 幼馴染、おさななじみ。
 なんだか久しぶりに言われた気がする。確かに私と三途は小学校から一緒だから、世間でいう"幼馴染"だ。なんやかんや正常な道を外れ、こんな血なまぐさい世界でも一緒にいる。しかしながら善良な関係かと言われればそういう訳でもない。 それこそ奴が私の悪口でしりとりを始めたり、ミンチにしようとしてきたりするくらいには。

「分かんない、気付いたらかな」

 私と三途の関係は曖昧で謎に満ちている。恋人というわけでもない。強いて名前をつけるとしたら幼馴染で、でもそれもしっくりくるわけじゃない。当事者の私でさえ分からないのだから、竜胆達からすればもっと不可解に見えるんだろう。

「ふうん」と興味があるのかないのか、いや確実にないんだろうけど、竜胆は唇をツンと尖らせると「かわいそ」と呟いた。
 ピクリと反応すれば返事はいらないというように彼はそのまま話し出す。

「とりま今夜はミンチコース? おめ」
「やめてよ……」

 半泣きの私を見て、灰谷弟は何かを思い出したようにポンッと手を打った。

「つか何個か名前のせいにしたことある」
「はい?」
「食べ終わったプリンの蓋三途の部屋にばらまいた」
「何してんの?いじめじゃん、やめなよ」
「あー? そういやそれも名前のせいにしたっけか」
「それもってどういうことよ蘭くん」
「どういうこともそういうことよ」
「はあん?」
「床がベタベタしてたな」
「そういうの最低って言うんだよ蘭くん!!!」
「童貞?」
「違うよ竜胆くん……」
「てかこの間兄貴ゲロ吐いてたよな。三途の部屋で」
「ウン、吐いた」
「いやちょっと待ってそこの灰谷さん達」

 さすがにやりすぎでは? そんなに三途のこと嫌いだったの? しかもそれら全て私のせいになってるってどういうこと? そりゃ私も嫌われるよ、納得の嫌われ方。
 ダラダラと私の額からは滂沱の如き汗が流れ始めた。何かを察したようにそそくさとその場を去ろうとする灰谷兄弟の袖を勢いよく掴むけれど、スルリと彼等はそれをすり抜ける。

「まあ死ぬなよ」
「生きてたら褒めてやる」そんな無責任な言葉を言い残すと、背中を向けて颯爽と去っていった。

 えっ待って。その話聞くに私関係なくない? しかもそのゲロ処理したの多分私だからな。知ってるからな。どう考えても君達のせいじゃない?
 
「絶対許さない! わ、私、絶対許さないからぁ!」

 そう叫ぶ私の瞳からは、情けなくも涙が止まらなかった。そして誰もハンカチを持っていなかったので、私は静かにココ君の袖で拭ったら普通に叩かれた。痛かった。

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