「失った」『手放さない』

 今日も、今日も、今日も、いつになっても幼馴染の姿が見つからない。
 あれから一日どころか、ここ一週間もの間アイツから連絡が無い。一郎は鳴らないスマートフォンを確認しては電源を切る作業を何度何度も繰り返していた。

 通知はない。
 トーク画面を開いても既読すらついていない。

 名前が住んでいるはずマンションにも訪ねてみたが、インターホンをいくら鳴らしても返ってくるのは虚しい沈黙だけだった。自宅に居ないなんてこと有り得るのか?いいや、有り得ない。アイツがこうも一方的に連絡を断つなど絶対に有り得ないし、アイツが俺たちに無言で何処かに去るなど、天変地異が起きたって有り得ない。そう言い切れるのは幼馴染としての自信もあるし、それ以上の絶対的な感情でもあった。ああ、あの時の嫌な予感は決して杞憂などでは無かったのだと一郎は後悔を滲ませる。
 どうして嬉しくもないことばかり的中するのか。そうして何回目かも分からないインターホンを鳴らし、諦めたようにその手はポケットへと戻っていく。

「……なあ」

 どこ行っちまったんだよ、名前。
 そうしてふわりと頭によぎるのは、考えないようにしていたもう一つの可能性だった。
 ──飴村乱数。
 読めない不気味な奴だとはずっと思っていたが、今まで表立って自分に攻撃してくることはなかった。むしろ好意的に接してきたし、仕事の付き合いとしても贔屓にしてもらっている。ただ一人、神宮寺寂雷という存在を除いたら、飴村乱数は比較的接しやすく人当たりの良い人物だったから。ねっとりとした声でその裏を読んでしまうような甘えた仕草を取ってこようとも、稀に暗く淀む瞳が垣間見えたって、それ自体が一郎の妨げになることはなかった。

 それはあくまで今までに関しては、だけれど。
 アイツを敵に回した時の恐ろしさと厄介さも一郎自身が一番理解している。TDD時代、甘い笑みの裏の残虐性を何度垣間見たか分からない。チッ、と思わず舌打ちが漏れた。何も出来ない不甲斐なさがこんなにも苦しくてもどかしくて、苛立ちの募るものだとは思いもしなかった。やがて、一郎は何かを決めたようにその両眼を細める。左右の色の違う瞳の奥をゆらりと揺らすと、おもむろにスマホを取り出しとある人物の連絡先を開く。
 スゥ、と一度大きく息を吸って、そのまま発信ボタンを押した。

 プルルル──、
 何度かのコールの後『もしもし〜?』と陽気な声が響く。一郎は吸った息を、そのままゴクリと飲み込んだ。

「……乱数」
『なになに、一郎から電話なんて珍しい〜!』
「単刀直入に聞く」
『え〜?』
「アンタか」
『んん、何がかなあ?』
「しらばっくれてんなら許さねえ」
『……何でいきなり喧嘩腰なわけぇ?』
「名前が一週間も姿を見せないのは、アンタが関わってるのかって聞いてる」

 そして、電話口からは少しの沈黙。ああ、これは黒だなと、一郎は密かに確信する。しかし問い詰めようと一郎が口を開くよりも早く、いつもと何ら変わらない読めない声音が響いた。

『ん〜知らない!名前がいなくなっちゃったの?いつから?』
「……一週間前」
『わわ、思ったより長い間いないんだね。でもそれを僕のせいにするのは良くないんじゃないかなあ?』
「……は、あ?」
『大体そんなに大切なら手放さないように見張っとくべきだよっ!失ってから周りを疑うようじゃ、一郎もまだまだお子ちゃまだねえ〜!』
「乱数、お前何言って……っ!」
『要件はそれだけ?』
「ちげえ、待て、乱数!俺はまだ、」
『じゃあ僕忙しいから切るね、バイバーイ!』

ブチ、
ツーツーツー、

 無機質な音だけが響いていた。
 アイツ、言いたいことだけ言って切りやがって……一郎はその場にただ立ち尽くして、グルグルと巡る思考に奥歯を噛む。どう考えたって乱数が関与しているに違いなかった。違いないのに、

『失ってから周りを疑うようじゃ、一郎もまだまだお子ちゃまだねえ〜!』

 乱数の言い分にも一理あると、その通りかもしれないと、悔しくも思ってしまった。

「……ックソ!」

 吐き出したのは、途方もない苛立ちの言葉。乱数の家に行くのが手っ取り早いんだろうが、生憎乱数の家の情報を一郎は知りもしない。その辺にいる女性に片っ端から声をかけていけばどこかで情報の糸口くらい見つかるだろうか。気の遠くなる作業になるのは間違いなかった。それにそんなことをしたら、簡単に乱数に伝達され、余計にしっぽを出さなくなるかもしれない。
 手遅れ、八方塞がり、そんな不穏な言葉が頭をよぎって、ギリギリと歯の軋む音がする。
 どうしたらいいんだよ──。弱音は吐きたくない。情けない姿は自分にも、名前にも、弟達にだって見せたくない。けれど苦痛な程に感じるやるせなさが、ただ辛かった。





「……アハッ」

 ブチ、と一方的に切ったスマホを握りしめて、乱数は笑っていた。こんなに良い気分なのは久しぶりかもしれないと、澄んだ晴天の下で、ルンルンと軽やかに歩んでいる。一郎のあの焦った声……ふふっ。ほんっとお子ちゃまだなあ。スマホをポケットに直す代わりに、棒付きの飴を取り出し、おもむろに口に含む。甘い甘い苺味が広がって、ニッと均整の取れた口角を吊り上げた。

「大切なものは、手放さないように見張っておくべきだよ」

 僕みたいにさ。

/top
ALICE+