息苦しい微熱


前日俺は、職場の後輩でバディである宗廣と飲みに行った。二時間ほど外で飲み、其の後自宅に呼んだ。俺は一人暮らしではなく恋人と同棲中で、恋人は当直で家に居ない事を知っていた。其の恋人は焼酎派で、結構良い銘柄が揃っている。
「勝手に飲んで良いんですか?」
「良いんだよ、又買えば良いんだから。」
俺が買う訳では無いのだが。
俺は俺で好きなメーカーのワインを開け、映画を一本見終わる時間が経った。此のDVDも、まあ恋人のだが。
良いのである、奴の物は俺の物である。当然此の家も、俺の物だ。
そう言えば此の言葉、所謂“ジャイアニズム”と言われる起源になった言葉だが、お前の物は俺の物……だからお前の物は当然俺の物のように扱うし、無くなれば俺の大事な物が無くなった時同様に俺は探す……という意味なのだが、そうだな、俺は、与えらえた此れら全てが一つが掛けても掛けたら必死に探すだろう。
其れ程俺は、自分を取り巻く環境を愛していた。
「なあ、今日泊まって行かないか?」
「え?」
「明日、非番だろう?俺達。」
「んー……」
宗廣が渋るのは納得行く、既婚者なのだ。そんな人間を外泊させるのは気が引けるが、もう、無理だった。
「一人で飲むの、もう飽きたんだ……半月、ずっと、一人で飲んでるんだ。もう、何もする事がない。」
此の広い家で、半月、ずっと俺は一人で飲んだ暮れていた。
最初の数日は映画を纏めて見たりと一人を満喫していたが、一週間経つと自分だけの食事を用意するのも侘しくなり、遂に昨日、帰宅早々食事も摂らず、テレビも付けず、酔い潰れるまで飲んだ。
朝起きて、此れはいかん、奴が帰って来る前に俺が急性アルコール中毒で奴の居る場所に運ばれてしまうかもしれん、と宗廣を飲みに誘った。
久し振りに、寂しくない夜だった。
が、起きたら又あの虚無感を知るのかと思うと、何故誘ってしまったのだろう、と己の馬鹿さに辟易した。
「ええと、其れは、添い寝……して欲しいんですか?」
酔っているのだろうか、宗廣は。こんな冗談、言わない筈だが。
「え!?違う。一緒に飲んで欲しいだけ……、何時まで俺は此の家で、一人で、宗の帰り待てば良いんだろう、って……、俺はもう、若くないんだ、一人で外に飲み行く体力も無い……三十半ばの男が仕事帰り一人で、女ナンパする訳でもなく平日から飲んでるとか虚しすぎるだろうが……」
「嗚呼、確かに。」
「だから、な?哀れな男の頼み聞いてくれないか?」
「うーん……」
鼻筋を掻いた宗廣は携帯電話をジャケットから出し、メールを打ち始めた。
返事は直ぐ着、はは、と乾いた笑いを出した。
「奥さん、なんて……?」
「今日だけと言わず暫く帰って来なくて良いわよ、超笑顔アンドハート……はぁ……やっぱ此奴、他に男居るだろう。」
言いながら宗廣は、明日帰るし、バーカバーカ、男のところ行けなくてざまぁ、と変な顔文字と一緒に送っていた。
「仲、良いよな、本当。お前達って。」
「付き合い入れたら十年以上一緒ですからねぇ、なんかもう、姉弟みたいな感じです。」
「あ、そっか、年上だったな、奥さん。」
細君からも許可を貰ったので宗廣は泊まった。宗廣は最初何処に居るか判らなかったらしいが、俺の家に泊まったのを思い出すとリビングに出て来た。
久し振りに誰かと食卓を囲んだ、流石に朝食まで頂くのは図々しいので、と宗廣は珈琲だけを飲んだが、其れでも俺は、誰かと一緒に居られる朝が嬉しかった。
そして思う、宗廣の細君は、何時も、こんな幸せ気持ちを知ってるのだと。
宗、お前は俺と一緒に居て、幸せか?
こんな気持ち、未だ持っていてくれるのか?
其れとももう、前に座って一緒に珈琲を飲んでいても、視界にも入って居ないのか?
「良いなぁ、宗廣が家に居るって。」
「そうですか?じゃあ又泊まりに来ますね。」
「宗に当直一杯入れて貰おう。」
「菅原さんって、何してらっしゃる方なんですか?」
「医者だよ。外科医。」
「……わお。」
珈琲二杯、適当な話で繋げ、宗廣は帰って行った。カップを洗いながら、久し振りに自分が使った物以外の食器を洗えた、と喜んだ。
俺の休日はやる事が決まっている、掃除と洗濯である。兎に角此の家を全部掃除するには三時間は要る、よって、休みの日にしか掃除が出来ない、リビングは軽くだが毎日するので汚くはないが、普段使わない一階が問題である。
我が家は特殊な作りで、玄関は勿論一階にあるのだが、居住区は二階なのだ。一階にある部屋はゲストルームと納戸と化した部屋だけで、後は中庭を見る為だけの場所しかない。
全く何を考えこんな家にしたのか、奴に聞きたい、こんな悪趣味な家、売ったとしても誰が億もの大金叩いて買うのだろう。良いところなど、ガレージ広い、くらいしかないだろう。
やっとこさ一階の掃除終わらせ、二階もした。奴の寝室は汚いので掃除をしない事にしている。テラスに出て、度数の低いワインと共に一度休憩した。此の次は洗濯である。
一時間程休憩し、マスクと手袋を装備し、いざ秘境の地、奴の寝室に入った。
「かぁあ!汚い!!」
何をどう生きたらこんな汚い部屋になるのか、消えたと思ったグラスがあった。
「灰皿一杯……火事になるぞ、馬鹿!」
なんで洗濯物を部屋に放置するのか、灰皿が溜まったのなら捨てたら良いのに、奴の部屋は摩訶不思議である。洗濯物をごっそり両腕で抱え、掃除はしてやらないが、窓は開けておいた、なんか、臭い気がしたから。
奴の洗濯物だけで一度回した。
「折角内装良いのに、なんで綺麗に使わないんだろう。」
奴の部屋は和風と洋風が良い感じに調和した部屋で、結構好きだったりする……のだが、いかんせん、逃げ出したくなるほど汚いのだ。奴の部屋でセックスは、先ずしない。
「其れに比べて、どうだ俺の部屋は、素晴らしい、完璧だ、美しい。」
ベッドからシーツと枕カバーを外し、丸めてリビングに置いた。
「あ、そうだ、ゲストルーム。昨日宗廣泊まったんだ、替えなきゃ。」
納戸にシーツを取りにも行かなければならない。
もう、三時だった。
昼を食べていない事に気付いたが、不思議と空腹感は無い。
ゲストルームのドアーを開けると、目眩がした。
宗廣の匂いが、其処にはあった。
たった一晩で、こんなにも匂いが残るのかと、目を瞑り、息を吸った。
宗廣の匂いが、大好きな匂いが、肺に染み付いた。
「どっちで寝たんだろう……」
流石は几帳面、流石は俺のバディ、綺麗にベッドメイキングされていたので、何方のベッドで寝たのか良く判らなかった。
取り敢えず手前なのかなと、ベッドに顔を埋めた。
そうであった、弾丸のように宗廣の匂いが脳天を貫いた。
心臓が跳ね上がり、息が詰まった。
「あ……」
其れは、俺がずっとしたかった事。
俺より低い其の背中に、顔を付けて抱き締めたかった。
「大智……」
初めて、宗廣の下の名前を、呼んだ。
ベッドが宗廣の背中であるかのように俺はしがみつき、何度も息をした。
「大智、大智……」
大智、愛してる……。
此れは決して言えない言葉。
恐ろしく熱い身体、此の熱が、愛の業火なのか?

俺は宗を愛してる、でも其れ以上に、宗廣を愛しているもの、事実だった。――

一体何日病院に泊まり込んだか覚えていない、一度昼間、着替えを取りに戻ったが、五分もせぬ内に戻った。
玄関に、彼奴の靴があった。
「あら、彼奴、今日休みなんか。」
其れにしては静かだった。彼奴が休みだと大概部屋から大音量の曲が聞こえている。其れが無いのでコンビニか何かに行っているのだろうと靴を脱ぎ、二階に上がろうとしたのだが、ゲストルームのドアーが開きっ放しなのが視界端に入った。
ゲストルームの掃除でもしてるのか……気にせず上がろうとしたが、何故ゲストルームを掃除する必要があるのか、疑問が湧いた。
「おーい、居るんか?」
居た、確かに居たのだが、手前のベッドで寝ていた。

「大智、愛してる……」

聞こえた言葉に俺はドアーから離れ、壁に背を付けた。
大智て、誰や。――
明らかに俺の名前では無い。
俺は大智では無い、宗一である。
パニックに陥って居ると、ふっと、とある人物の顔が浮かんだ。
宗廣……
そうだ、彼奴の後輩刑事、宗廣。確か其奴が大智という名前だった。人の名前など重要人物以覚えない俺だが、名字も名前も珍しい名前だから記憶に残っていた。
どんな漢字なのかも気になったので其れも聞いた、そうだ、そう、宗廣はこう言ったんだ。
大智は愚の如し、の大智だと。
矢張りそうなのか。――
宗廣を見た時から、何と無く、此処一年、彼奴と一緒に居て、徐々に、本当に、木綿で首を絞められるようにゆっくりと、彼奴の気持ちが俺から離れて行っているのには気付いていた、けれど認めたくなかった。
二度も、此奴に捨てられるのかと、認めたくなかった。
何時だって、俺はお前に片思いしてる。――
初めて会った時も、大学の時も、今だって、俺だけが此奴を愛していた、彼奴の心は、俺が愛する程他に向くのに、彼奴が俺を愛してくれるようになるには、俺が彼奴以外を愛していないと駄目なのに、知ってるのに、其れが出来ない……。
彼奴の愛情は、決して恋愛感情では無い、執着……独占欲の其れなのだ。
だから、彼奴以外の誰かを愛していないと、彼奴は独占欲を見せない。俺の心が彼奴以外を愛せないのを彼奴は知っている、だから、彼奴を忘れようと他に愛情を向けても、彼奴は俺の大好きな笑顔で、俺の心を束縛する、悪魔のような存在。
乱れた息遣い、俺は良く知っている。
俺の気配に気付かない程此奴は、自分の世界に没頭していた。
肉厚な唇が薄く開き、其処から良く良く知る熱い息が漏れていた。
「楽しそうな事、してるやないの。」
頭を撫で、後頭部にキスをしながら、手を重ねた。
「手伝ったたるよ、そっちの方が、ええやろ?」
自分の物から手を離した此奴は、しっかりとシーツを握り締め、大きく息を吸い込んだ。
「大智……」
俺は無言で此奴の物を慰め、首筋や頬、耳、頭……後ろからキス出来る限りの場所にキスをした。
「……宗……」
「あら?気付いてたん?」
「判るよ……お前の匂いもするもん……」
肺に、鼻腔に、俺以外の愛しい匂いを堪能していた此奴は枕から顔を離し、上体を捻り、胸に顔を摺り寄せた。
「寂しかった、宗……」
「御免な、ただいま。」
「宗、宗……」
「ええ子ええ子、御免な、ほっぽってて。」
「病院の匂いがする……」
「ん?嗚呼、せや、二日着替えてないわ。」
此奴は少し顔を上げ、汚い、と文句垂れたが、又擦り寄ってきた。
其れは本当に、飼い主を待って待って待ち続けた猫そっくりだった。
「抱いてよ、宗……」
「あー……あかん、昨日風呂入ってないんよ。然も疲れマラ通り越しとる。やばいぞ、ほんま立たんぞ。」
宗廣の匂いで完全に理性を失う此奴は、俺をベッドに押し倒すと興奮した息遣いでベルトを外し、ズボンを脱がした。
「んふ、宗の匂いがする……」
「立つかな……立たんかったら御免。」
「掛け布団動かしたら、宗廣の匂いがする……どうしよう、頭おかしい……」
「嗚呼、そう言う事ね。」
おかしいと思っていた、宗廣に意識を向けている癖に俺の存在に気付いたのが。
此奴はそう、宗廣の残り香だけで、複数プレイを実行させていた。
だから俺の存在をすんなり認識した。
「布団被って咥えたら?」
したら、視界も消え、宗廣をもっと感じられるだろう。
ズルズルと、布団の下から下品で浅ましい音が聞こえているが、五分経っても一向ちっとも立つ気配が無い。
疲れ切っているのも事実だが、一番は此奴の興奮要素にある。
何が悲しくて自分以外の男に欲情した男に欲情しなければならない。
恋人である俺に欲情し、求めてくるのなら此方とて反応するが、なんせ此奴の欲情対象は宗廣なのだ、一度しか会った事無いので顔も良く覚えていない。覚えていたら闘争心で立ったかも知れない。
「御免、やっぱ無理や。お前だけ良くしたるよ。」
「嫌だ!」
「そんな我儘言わんと、ほぉれ、離しよし。」
「やだ……折角お前帰って来たのに……ずっと、待ってたのに……。離したら、お前、寝ちゃうじゃん……」
ちょこちょこ人差し指で先を弄る此奴は拗ねた顔で不満を垂れ流す。
「メールも、全然、返事、くれなかったし……」
そいや、メール、仰山着てたな……確認しただけで返信してなかったな。――
後で返事しよう、後で返事しよう……思い続けて、結果、数回しか返事が出来なかった、電話を確認する暇も無い程、俺は忙しかった。下手したら充電が切れていた。
「どれだけ寂しかったと思ってるんだよ……、此の二週間……」
「たったの二週間やないか……」
「俺達は年単位で離れてたんだよ、だから、たった二週間でも、俺は宗が居ないと駄目なんだよ……重たいの判ってる、でも……」
でも、と顔が見えない程項垂れた。
「お前居らんと、俺、動かんのよ……ずっとずっと、お前探してるんよ……」
「光、秀……」
「なんでなん、なんでなんよ……、こんなにもお前愛してるのに、なんで、なんでちっとも伝わらへんの……なんでなん……何をしたら、俺の愛がお前にちゃんと届くん!?」
「……アホか……」
愛なら一杯、毎日のように感じている。
全く料理の出来ない俺の食事を嫌な顔一つせず作ってくれて、其れどころか笑顔で居て、文句垂れながらも掃除をしてくれて、何時だって此奴の優先は俺だって事、充分感じている、知っている、其れに甘んじているのは、俺の方。
洗濯し終わった白衣を、笑顔で、業者さながらの糊付けでアイロン掛けてくれてるのも、嫌って程知る。菅原先生の白衣って、本当、真っ白で糊が張ってて凄く綺麗、と。
「白衣な……」
「うん……」
「ぜぇんぶ、くっしゃくっしゃ……俺やて、お前居らんと、生きてかれへん……」
頼む、俺の事、捨てないで、光秀。――
心から願い、俺よりずっとずっと大きな身体を抱き締めた。
「お前の物は……」
「俺の物……宗、お前の全ては、俺の物だ……」
「そうよ……全部、全部、……俺の全てはお前の物よ……」
けれど今のお前の瞳に映るのは一体なんだ……?
其の灰色の瞳には、一体誰が映り、誰を求めるのか。――
「お願い、俺の事、又捨てないで。お前が居なくなったら、俺……生きていけない……今度こそ、生きていけない……」
「宗……」
「うんって言って、お願い。不安で堪らない。俺の事、愛してるよね?」
此奴は薄く笑い、俺の頭を抱えるだけ、其の心臓の音に、背中が凍った。
凄く静かで、全くの正常だった。
「光秀……?」
「御免、其れを言ったら、嘘になる。」
初恋は、一生実らない、だから美しい――俺は其れを、初恋本人から教えられた。


「宗……」
「光秀……」

私達の愛は、一体何処まで互いを傷付け合えば良いのだろうか。
此の迷路、一生出口は見付からない。




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