「(·····綺麗だな)」

心操はバサッと羽ばたいた鶚を見て、そんな事をぼんやりと考えていた。

「あ、ひとしくん!」

地面に降り立った鶚は心操を見つけると、嬉しそうに細い鳥足でトットッと軽やかな足音を立てて駆け寄ってくる。
そして近づくと、すりすりと体を擦り寄せてきた。
あまりにも嬉しいのか、尾羽までぴこぴこと動いている。
それを見た心操は呆れたように笑いながらも、鶚の頬を優しく撫でてやった。

「ん、お疲れ」
「あのにぇ〜!!今日も訓練頑張ったにょ〜!でも飛び続けてたから、翼が疲れちゃったにょ」

鶚は心操に褒められた事がよほど嬉しいのか、腕の羽で口元を隠してくふくふと笑っている。
その姿は可愛らしく、見ているだけで癒される光景だった。
鶚は基本人懐っこくて甘えん坊な性格だが、特に恋人である心操の前では屈託のない笑顔で甘えてくる。

·····心操はそれを他のクラスメイト達に見せつけたいと思う反面、独占したいという気持ちもあった。
だが、自分がこんなに誰かに対して執着したのは本当に初めてで、上手く感情を持て余していた。
そんな事を考えていたら、不意に服を引っ張られる感覚があった。
視線を落とすと、鶚がくいくい、と細い鳥足で心操の体操服を掴んでいた。

「どうしたんだよ」

「う〜·····ちょっと右目にゴミが入ったにょ·····痛いから見て欲しいにょ〜·····」

「·····おいおい、大丈夫か?」

「大丈夫じゃないにょ〜」


目が痛いのか少し目が潤んでいる。その涙目で訴えてくる彼女の姿はとても庇護欲を唆られ、心操は思わずため息をついた。

「·····仕方ないな。目開けて見せてみろ」
「うんっ!」

そう言うと、鶚は猛禽類独特のツリ目をこれでもかと言わんばかりに見開く。
金色の瞳がじっと心操を見つめ、まるで獲物を狙う鷹のような眼差しに心操の背筋にはぞくりと寒気が走った。

「·····ひとしく〜ん?はやくして欲しいにょ〜!!目が痛いにょ〜!!」
「わ、わかったって!今やるからちょっと待ってくれ!」

急かすような声色で言う彼女に、慌てる様子を隠しきれてない心操の声色はどこか弱々しいものだった。
恐る恐ると指先を伸ばし、右目の下瞼を指先で引いて目の中に入ろうとする小さな異物を摘む。それをもう片方の手でゆっくりと取り除けば、ようやく彼女の目は自由を得たようだ。

「ん〜·····やっと痛くにゃくにゃったにょ」

ぱちぱちと瞬きをした彼女はすっきりとした表情を浮かべてから、「ありがとにぇ〜♡」と言って心操の手のひらに頬ずりしてきた。
心操はその頬の滑らかな手触りと頬に生えている小さな羽根のチクチクした触感にほんの一瞬だけドキッとしたが、必死に抑え込んで平静を保ちながら鶚の頬を撫でた。

それに気を良くした鶚がふわりと腕の羽を羽ばたかせると、ポップコーンにも似たような鳥独特の香ばしい香りが鼻をかすめる。

「鶚」
「·····ん〜?にゃあにぃ〜?」

呼びかけられた事に気づいたのか、小鳥のように小首を傾げる可愛い仕草をする鶚。
そんな彼女に心操は少し微笑むと、周りに誰もいないことを確認してから、鶚の額にちゅ、と口付けを落とした。
キスされたことに気づいた瞬間、ボッと顔を真っ赤にする可愛らしい反応を見せる。
「ふぇ!?ど、どうしたんだにょ〜·····?」
突然の行動に驚いているようで、大きな金の双眼を何度もパチクリさせている。そんな純朴な彼女を見ると、心操はくすっと小さく笑った。
「なんでもないよ。ただ俺がこうしたかっただけだからさ·····嫌ならやめとくけど?」
「そ·····そんにゃことにゃい!!嬉しいもん!!」
ぶんぶんと首を振りながらパタパタと腕の羽を忙しなく羽ばたかせて喜びを表現する。
その様子を見て心操は再び愛しさが込み上げてきたのか、自然と口角が上がった。
(こいつはほんと·····可愛すぎだろ·····)
心の中でぽつりと呟く言葉は誰にも聞こえていない。
首を振る度にふりふりと揺れる茶色のメッシュ混じりのクリーム色の髪の毛も、鷹のように鋭く大きな金色の目も、華奢ながらも柔らかそうな体つきも、腕の羽も尾羽までもがふわふわで触り心地が良い。
鶚を誰にも触れさせたくないと思う自分のこの感情が独占欲だと気づくと、心操は自分に苦笑いするしかなかった。

そうこうしていると、鶚は心操の首元の捕縛布を口でくいくいと引っ張って「もっとちゅーしてほしいにょ〜」とキスをねだってきた。
「だめだよ、訓練もあるし。先生にバレたら面倒くさいぞ」
「ん〜·····じゃあ、ぎゅってして欲しいにょ」
可愛らしくおねだりする彼女の姿に心操はぐっ、と胸を押さえた。
「·····お前、わざとやってるだろ」
「にへっ」
からかうように笑う彼女に心操は大きなため息をつくと、そのままギュウッと力強く抱きしめてやった。 すると、嬉しかったのか翼の羽毛で心操の顔を包み込むように抱きついてくる。

「だってひとしくんにょ事、だいしゅきにゃんだもんにぇ」
「·····あっそ」
いつもの癖でぶっきらぼうな返事を返す心操だが、その耳元は薄ら赤く染まっていた。
しかし、それに気づかなかったのか、または気にしていないのか、彼女は心底幸せそうにすりすりと頭を擦りつけていた。

ちよちよ、と小鳥の求愛鳴きのような鳴き声を出しながら目を瞑る彼女の背中を優しく撫でてやる。
すると、次第に彼女の身体から力が抜けてきて眠気が襲ってきているのか、とろんと蕩けた瞳をしていた。
「·····ひとしくぅん·····」
か細い声で名前を呼ぶと、再び頭を動かして今度は心操の胸に顔を沈めるように埋めてしまった。
それと同時に心操の体操服の裾を翼の先で握って離さない。
心操はクスッと微笑むと、彼女の頭の上に顎を乗せてみた。
「どうしたんだ鶚、そこで寝るなよ」
「むにゃぁ·····ひとしくぅん····」

ふにゃふにゃとした声を出す彼女に、心操はしょうがないなと言うふうに息を吐いた。

「·····本当にどうしたんだよ」
「あぅ·····発情期、今来ちゃったかも·····」
「·······は?」

あまりの言葉に、心操は思わず聞き返してしまう。
『発情期』という単語を聞くと、真っ先に連想したのは動物界に見られる生理現象の事だが、まさか今来るとは思っていなかった。
·····考えれば、今は春から夏にかけての季節であり、鳥の発情期の時期と合致する。つまり、今のはそういう意味なんだろう。

「ん〜·····あつい〜·····ふわふわしゅる〜·····」
「·····どうすりゃいいんだよ、これ·····」

心操は頭を悩ませる。
彼女は明らかに熱を帯びており、今にも倒れそうだ。
こんな姿で人前に出てしまえば大騒ぎになってしまう。
「とりあえず保健室まで運ぶか」
心操は彼女をお姫様抱っこすると、なるべく人に見られないルートを通って人目のつかない場所へ移動した。
そして保健室の扉を開けると、そこには誰もおらず、いつもいるはずのリカバリーガールもいなかった。

「·····仕方ない、職員室に一言だけでも言いに行くか·····」

そう呟きながらベッドの方へ向かうと、心操はそこに鶚を横たえさせてやり、着ているジャージの上を脱いでかけてあげた。
気持ち良いのか、ふにゃりと満足げに笑った鶚の姿を見ると、心操はホッと安堵の溜め息をついた。

これで大丈夫だろうと踵を返そうとした時、心操はあることに気づいた。
先程より彼女の呼吸が荒くなっているのだ。
しかもかなり苦しそうだった。
「おい、大丈夫か?」
そう言って彼女の肩に触れると、びくん、と面白いくらいに体を跳ねさせた。
「ひゃっ!」
甲高い声を上げた後、はあはあと熱い吐息を漏らす彼女の姿を見た心操は、ハッと我に返り彼女の体に触れた自分の左手を凝視する。
汗ばんでいるせいなのか、それとも別の理由があるのだろうか、彼女の衣服は少し湿っていて肌に張り付いていた。
それだけじゃない。
何かを我慢するように小さく震えていて、頬にはほんのり赤みが差していた。
心操はごくっ、と生唾を飲み込んだ。
「·····わたしの、つがい」
「は·····」
突然言われた一言に、心操は呆然としてしまう。
それは、まるで心操が彼女の彼氏ではなく、雄であるかのように聞こえる発言でもあったからだ。
そんな心操を他所に、ゆっくりと上体を起こした彼女は熱っぽい視線を心操に向けた。
その眼差しはとても扇情的で、どこか妖艶な雰囲気もあった。
「ひとしくんとの雛、欲しいにょ·····」

こてん、と首を傾げる仕草は、無垢でありながらも男を誘う色気を放っており、その姿に心操はゴクリと喉を鳴らした。
理性をぐらりと崩しそうになるが何とか耐え、一言彼女の名前を呟いた。

『鶚』
「にゃあに·····?」

心操の呼び掛けに答えなかったことがない鶚は、心操の個性を含んだ呼び掛けにも返答を返す。
心操の個性『洗脳』でようやく鶚は動きを止める。

『·····落ち着いて、俺の方を見ろ』
「んぅ·····」

その指示で鶚はゆっくりと息を落ち着けて、未だにぽやぽやした顔ではあるが少し落ち着いたようだった。そんな彼女の頬に手を添えると、そのまま指で愛おしそうに撫でてやる。

「(そうか、動物系の個性だから·····生態に行動が引きずられるのか)」

彼女の様子と言動から察するに、まさに獣のように本能で動いてしまったのだと理解して、彼女が落ち着くのをじっと待った。

「(俺との雛·····子供が欲しいってことは、鶚は俺の事を番として認識してるのか·····)」

その事を改めて自覚すると、自然と口元に笑みを浮かべてしまう。

·····そして、数分経っただろうか。
呼吸も安定してきて、だいぶ思考もまともになってきたようだが、まだぼーっとしているらしく心操にされるがままだった。
しばらくして洗脳も切れて発情も落ち着いたのか、鶚は首をぶるぶるっと振って意識を覚醒させていた。
その様子を見て、心操もやっと胸を撫で下ろす。

「大丈夫か?」

声をかけると、鶚はゆっくりこちらを向いて「うん」と力なく返事をする。

「·····ひとしくんが抑えてくれにゃかったらどうにゃってたか分かんにゃい·····ありがとにぇ」

「ああ·····それより、お前は個性のせいで鳥の習性に引っ張られやすいんだから、あんまり無理するなよ」
「はぁい·····でも、ひとしくんとにょ雛が欲しいのは本当だにょ?」
鶚はそう口にすると、はむ、と心操の首元の捕縛布を甘噛みして、すりすりと顔を擦り付けた。
「·····卒業して、お互いにプロヒーローになれたらな」

呆れたような、でも嬉しそうな口調で言う心操だったが、彼の表情はまんざらでもないといった感じだ。

「ん·····約束だにょ?ミサゴもタカ科だから、1度でも番ったら、もう他にょ人をしゅきにはにゃれにゃいんだからにぇ·····」
「俺も同じだよ·····まあ、そもそも誰にも譲るつもりないけど」

こしょこしょ、と指先で顎を撫でられながら、彼女は幸せそうに「んふふ·····」と笑った。

「鶚」
「にゃあにぃ〜?」
「好きだよ」

心操の言葉に、へにゃっ、と蕩けたように笑う彼女に、心操はちゅ、と触れるだけのキスをした。
すぐに唇を離すと、物足りなさそうに眉を下げる彼女に、心操は再びそっと唇を重ねる。
何度も繰り返しているうちに、お互いの舌が絡み合い、段々とエスカレートしていく。
「んんっ、もっと欲しいにょ·····」
「·····もう駄目。ここ保健室なの分かってる?いつ誰が入って来るかも分からないんだから、あとは寮に帰ってから」

そう言って心操が立ち上がってベッドから離れようとすると、「や〜」と短く声を上げて心操の袖の端を咥えて引っ張った。

「駄目だって·····ほら離して」
心操は優しく言って頭をぽんぽんと叩くも、彼女は嫌々と言うふうに首を振る。
「にゃんでダメにゃのぉ·····ひとしくぅん、おねがぁい·····」
うるうるとした瞳で見上げられれば、流石の心操の良心が痛む。
それでも、このまま彼女と一緒にいれば間違いなく色々まずい事になる。
「お願いだから言うこと聞いてくれ」と心操が懇願すれば、彼女は渋々と掴んでいた袖を解放した。
「·····戻ったら、俺の部屋においで」と耳元で囁かれれば、ぽわんと頬を赤らめた彼女はコクッコクッと素直に2回に渡って首を縦に振る。
それに満足した心操は、保健室から出る前にもう一度だけ軽く彼女の頭の上に手を置き、わしゃわしゃと撫でた。「じゃあ、またあとで」
「ん·····」
名残惜しそうにしながらも、ちゃんと大人しくベッドに座っている彼女を確認してから保健室を出ていく。
ガラガラ、ピシャリ。
扉を閉めて保健室から離れると、心操はズルズルとその場に座り込んだ。
「はー·····危ないところだった·····」
頭を掻きながらそう呟き、これから彼女と会うまでの時間をどうやって過ごそうかと考えあぐねるのだった。

その後、心操の部屋でイチャイチャしている最中に再び鶚の発情期が来てしまい、お預けを食らっていた心操の理性は崩れることとなるのであった。


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