蕩ける怠惰の寝台


 ――ふぅ、とアレイスティルは微かに濡れたままの髪にふわふわとしているタオルを押し当てながら、嘆息した。銀の髪からは花の香油の香りがし、心地の良い気分にさせてくれる。湯浴みを済ませ、身を清めたのは先程レイシフトから帰還したから、だ。

「アレイスティル、お風呂入ろう」

 マスター、水城に誘われた。断る理由もなく、たしかに霊器――仮初めの器なれど、戦いで汚れればもちろん、気分的にきれいにしたくなる。道中の水浴びも嫌ではないが、カルデアの広い浴槽で、たっぷりと花を浮かべた薬湯に浸かりたい。いいですね、とマスターに返事を返せば、じゃあ行こう。と少しばかり抑揚にかけた声でグイグイと腕をひかれる。共についていったクー・フーリン・オルタはちらりと一瞬視線を寄せたが、それ以上は何も言わず、ぷい、と踵を返して自室へ戻っていった。
 キャスターたち手製の薬湯の元を風呂へたらし、花を幾つか浮かべると浴槽は独特の甘い香りに包まれて、アレイスティルは大きく息を吸い込んだ。――戦場は苦手だ。生前は城の外から、出たことはなかった。王の集めた財宝と、暗い城の奥で、彼の収める国にあこがれて、千里眼で眺めるだけの生活。初めて、世界の裁定者として現界したとき、むせ返るような血の匂いに――ゾッとした。
「疲れたの?」
「……いえ、大丈夫ですよ、マスター」
 口まで浸かりそうなくらいしっかりと湯に浸かったマスターがこちらを見てくる。マシュもじっとこちらを伺ってきていて、少しばかり顔色が悪かったのだろう、と反省した。慣れて、戦場では顔に出さなくなってきたと言うのに、こうして帰ってきて、安息が戻ってくるとどうしても、恐怖を思い返してしまうのだ。――誰かの死の恐怖に犯される。
「あまり長く浸かると逆上せるので……先に上がりますね」
 ニコリと笑った。マスターは何も言わず、ん、と返事をして、お湯から手を出すと左右に振った。マシュもお疲れ様でした、と折り目正しく礼をしてアレイスティルを見送る。


 向かうのは自室ではなく――アレイスティルの王、ギルガメッシュの部屋だ。今日の彼はレイシフトの予定など特になく、おそらくは部屋にいるだろう、とアレイスティルは静かに頷きながら、再度髪の水気をタオルで取るとドアをノックした。
「――入れ」
 少しばかり機嫌の悪そうな声が聞こえてきてアレイスティルは少しだけ、首を傾げた。ドアを開けて、入れば彼はすでに寝台の上だ。少しばかり機嫌が悪そうに寝台に寝転がり、黄金の杯を持っている。アレイスティルは上着を脱ぐと、少しだけ霊器を変化させて、寝間着へと姿を変えた。タオルは近くの椅子にかけておく。
 ゆっくりと寝台に近づけば、手が伸びてきた。その手にそっと手を重ね合わせるとぐい、とベッドへと引かれて、そのままシーツへダイブした。
「ちょ、ギル……」
 咎めるように彼を見上げてみるものの、ギルガメッシュは何も言わずにアレイスティルをシーツの中へと入れて、銀の髪をそっと撫でる。――そういえば、彼は自分に触れる時は決して乱暴には扱わなかった、と過去へ少し思いを馳せて、ふと、微笑んだ。
「遅かったではないか」
「湯浴みを済ませてきたの。ギルと寝るのに、汚れたままなのはちょっと……」
 アレイスティルが控えめにそういうと、ふん、と体勢を直し、酒を継ぎ足そうと黄金の酒盃へ手を伸ばす。アレイスティルがその手をそっと止めて、自分でそれを持つと、ギルの杯にぶどう酒を注ぎ入れた。
「お前はいいのか」
「得意じゃないの、知ってるくせに」
 酔って醜態は晒したくないわ、とアレイスティルは苦笑しつつ、酒を煽ったギルを眺めた。こうしてそばにいさせてもらうことが何よりも至福だ。
 ――アレイスティルという精霊は間違いなく、ギルガメッシュという存在のために作られたのだから。王として、認めるのはギルガメッシュだけ。そばにいて、苦しくも、心が落ち着くのも彼だけ。彼にとって、自分が必要でないとしても――
「アレイスティル」
 厳しい声がアレイスティルの思考を止めた。
「……えっと」
「また、余計な考え事か」
「……余計って」
 私にとっては、大事なことなのだけれど、とアレイスティルは困ったように笑う。ギルガメッシュは酒盃も杯も王の財宝の中へ戻すと、アレイスティルを抱いて、シーツへと沈んだ。それを合図にするようにゆっくりと照明が落とされ、柔らかな簡易照明のみとなった。
 ちゅ、とギルガメッシュの唇がアレイスティルの額へ触れた。それからも、啄むような暖かな口づけが何度も、何度も繰り返される。額に、頬に、鼻に、瞼に、髪に、耳に――余すところなく、口づけされ、アレイスティルは顔に一気に血液が集まる感覚がして、くらくらとする。
「ん…っ、ぎ、ギル……っ」
「くく、物欲しそうな顔だな、アレイス」
 堪らなく蕩けそうな位の甘い声で耳元にささやかれると、体の芯から熱がたまり、こらえきれずに震えた。――ねだってみろ、というギルガメッシュの声に、アレイスティルは視線をそらすこともできずに、しかし、それを口にするには羞恥があり、できずに唇に指をそっと這わせた。はぁ、と吐き出す吐息が妙に熱を持ち、はしたなく震える体に更に羞恥がこみ上げてくる。
「ギル……唇に」
「ん?」
 意地悪く聞き返してくるギルガメッシュを赤い顔でアレイスティルは睨みつけた。少し頬をふくらませるが、どうやらギルガメッシュはアレイスティルが言うまでそうしてくれるつもりはないらしい。少しだけ、体を動かして、アレイスティルはギルガメッシュの唇に自分の唇を押し当てた。
 アレイスティルが目を開けてみれば、少し目を見開いたギルガメッシュがいる。赤い瞳に、顔を赤くした自分が写っているのが見える。しばらく沈黙して――ふは、と笑いをこみ上げたギルガメッシュはアレイスティルの頬を愛おしげに撫でる。
「それだけで満足か?」
 ――もっと、求めろ。
 ぞくり、とアレイスティルの背中に走る感覚。薄く唇を開くと、ギルガメッシュが唇を合わせた。そっと互いの唇を食むようなキスの後にギルガメッシュに差し出した舌を強く吸われる。くちゅ、と音がなる頃には、互いの舌が絡み合い、二人しかいない部屋は薄っすらと温度を上げる。
 唇が離れるとはぁ、と熱を持った吐息が溢れる。
「愛い奴め」
 ギルガメッシュの手がアレイスティルの髪をなでた。額にもう一度口付けるとふたりともシーツへ沈む。

「アレイス」

 ギルガメッシュの声が聴こえる。腕の中からそっと見上げてみた。

「良い、夢を」

 変わらぬぬくもりと、声と、
 少しだけ変わったたまらない愛おしさに、アレイスティルは目を閉じた。

ALICE+