天の星が満る宵の明星


 夜になると、よくよく寝台を抜け出してみたことがある。きっと、それも彼の"千里眼"を前には無意味なことだっただろうし、最終的には彼の手の平の上だったのだろう。けれども、外の世界に興味があった私は、王が寝付いた後、こっそりと寝台を抜け出して……街が見える場所まで行った。それでも、城の外へ出る勇気はなかった。城の入り口まで行ったこともある。魔術で気配を消すことも可能だった。

 ――その一歩はあまりにも、あまりにも深い渓谷に思えてならなかったのだ。

 だから、城の中で、王が近寄らせてくれない、城が見える場所で我慢した。これ以上、王の顰蹙を買うわけにはいかない、という思いと――ギルに嫌われたくない、という作られた魔術師の身勝手な願いが交錯して、私を踏みとどまらせた。
 夜の明かりの落ちて、空には月と、満天の星空しかない。それだけ十分明るくて、世界はこんなにも美しいと教えてくれた。そして、それを眺めるだけ。人のいない、静かな街並みを見下ろして、それでおしまい。――そして、そのまま、眠りにつき、朝、目を開けると、寝台の上に戻っていた。誰が連れ戻してくれたのだろう。見かけた、見張りの兵士か。はたまた――その想像はあまりにもありえなくて、私は首を横に振った。


 今も、夜になるとそっと寝台を抜け出してみる。
 カルデアと呼ばれるこの場所は素足で歩くには少し冷たい場所だった。夜に活動時間を迎えるものもいるのか、静かとは言い難いが流石に昼間に比べれば幾分か静かでアレイスティルは自分の部屋からそっと外へ出てみる。
 ここには興味深いものがたくさんある。たくさんの世界を知ることができる――と行っても、座から(アレイスティルは厳密には違うのだが)召喚される際に現代の知識はある程度入れられているし、サーヴァントなら多くの伝承も自然と入ってくるものだ。通常の聖杯戦争と異なり、真名も隠さないためか、そういうことは自然と耳に入ってくる。
 それでも、アレイスティルは本が好きだった。

 カルデアの蔵書は多い。
 アレイスティルがここに来てからすでに何度も足を運んでいるがまだその蔵書を読み切れてはおらずまだまだたくさんの本があり、なおかつ電子上にも本があるのだと先日マシュというデミ・サーヴァントから教わったばかりだ。でも、アレイスティルは紙の本が好きだった。
 古臭い紙の匂いだけは、たとえ何年たっても変わらない。あの時代から少しも変わらない、アレイスティルに少しばかりの安堵をくれる。

 文字を追うと時間を忘れてしまう。
 かつてのアレイスティルにとってはそれ以外に時間の使い道がなかったから、ということもあるのかもしれないが、アレイスティルは没頭すると時間の感覚が極端になくなる。眠気も、突然、やってきて、彼女を眠りの世界へいざなうのだ。
「おや?」
 図書館へ偶然やって来たアルトリアが彼女を見つけたのもちょうどその頃だった。普段あまり話すことがない、というよりも避けられているのかアルトリアはアレイスティルと話をあまりしたことがない。マスターを介して、ということであるならば、数度会話をしているが……と思い返して、本に挟まれ、本を膝においたまま眠っている彼女はひどく少女のような顔をしていた。
「……このままでは風邪を引いてしまいますね」
 部屋へ運んであげるのがいいだろう、とアルトリアが手を伸ばそうとしたところで、鎖が彼女とアルトリアの間を隔てた。

「触るな騎士王」

 お前なら良い、と言いたいところだがな、と聞こえてきた不遜な声にアルトリアはその人物が誰であるかすぐに割り当てた。振り返ってみればやはり、そこにいたのは英雄の中の英雄――英雄王ギルガメッシュである。相変わらずの黄金の鎧は歩く度に音を立てて、アルトリアは瞬時に聖剣エクスカリバーを構えた、が、ギルガメッシュはあっさりと鎖(確か、エルキドゥという名前だったはず)を解いた。
「なぜ、貴方がここに?」
 本に興味がある人物とは思えませんが、とアルトリアは少し棘を含めた言い方をした。いきなり鎖を仕向けられたのだからこれくらいのことは許してもらいたいものだ、と彼を睨みつければ、ギルガメッシュは眠るアレイスティルへ手を伸ばした。
「鳥かごから出た鳥を回収に来ただけだ」
 銀の髪をなで、彼の甲冑を纏った手が頬をなでた。それはあまりにも優しく、しかし、そこに形のない鎖が見えた気がした。
「なぜです」
「何がだ? 我が我の所有物を回収に来て何が悪い」
「貴方はアレイスティルを疎んでいたはずです」
 アルトリアの記憶にある、確かな事。ギルガメッシュという王は献身的に尽くしたアレイスティルという魔術師を否定していた。どこの世界でも、どんな未来でも。だからこそ、この行動は納得がいかない。
「これは、"これ自身の意思"がない」
「はい?」
「ただ作られたことを理由に自身を放棄した雑種を認める気など、我には毛頭ない」
 だが、とギルガメッシュは言葉を区切ると、眠り力の抜けたアレイスティルを抱き上げた。

「これは我のために作られた、我のための人形だ」

 どう愛でるかは我が決める。

 そう言って、ギルガメッシュはアルトリアへ背を向けた。カルデアで攻撃してこないと知っているからだ。いや、もしも、攻撃されそうになったとしてもギルガメッシュのほうが勇利であることも事実だ。現にその後何も言ってこない、行動をしてこないということはこの場では引くと決めたのだろう。ギルガメッシュは高潔な騎士王に笑みをこぼした。
 そして、手元のアレイスティルへ視線を落とす。

「そう安々と鳥かごから出られても困るがな」

 ん、と小さく身じろぎをして、アレイスティルが少しだけギルガメッシュの方へ寄りかかった。

「まあ、貴様は二度と、空は飛べぬ鳥か」

 羽は切ってしまった。
 足は鎖で繋いだ。
 それが、アレイスティルの存在を奪うとしても。

「……ぎ、る……」
「眠れ、アレイスティル」

 朝が来るまで。
 何も、何も、なかったかのように、またこの鳥かごの中で。

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