レースの手錠で縛られて


 上から降り注ぐ熱いシャワーを全身に浴びて、一日の疲れを流す。ふぅ、と小さくため息を付いて鏡にそっと額をくっつけて、自分の体をそっと眺める。左の脇腹に深く刻まれた焼印が――烙印が痛むように感じて、アスナは鏡を拳で叩きつける。両の目のコンタクトレンズは人前ではすでに外せないものとなっている。自分ですら、鏡を見れば、危険なものになっているのだ。ぎり、と歯噛みした。
 こんこん、とドアの外をノックする音がする。
「大丈夫ですか、クラウン卿」
 外で待機しているメイドのようだ。鏡を叩いた音にびっくりしたのだろう。アスナはごめんなさい、と笑いかけて、声をかける。そろそろ、殿下がお待ちですが、とメイドに声をかけられてわかりました、とシャワーを止めた。ひたひたと、タイルの上を歩いてシャワールームから出るとアスナはメイドたちの待つ脱衣室へと出てきた。あっという間にメイドたちに囲まれると、タオルでくるまれる。フカフカとしたタオルの感触をしばし堪能すると用意されているランジェリーとナイトガウンを身にまとってありがとう、と声をかけた。



* * *




 部屋はしん、と静まり返っていた。メイドたちと分かれてアスナがシュナイゼルの寝室に足を踏み入れると彼は窓辺の下で簡易照明一つで本をめくっていた。そこには第二皇子シュナイゼルの空気はなく、アスナはそっと微笑んだ。ベッドサイドには水の入れられたコップが一つ。アスナが入浴後にいつも飲む水だ。それを躊躇うことなく口にすると、シュナイゼルがコップを置いた音に気付いて本から顔を上げた。
「おかえり」
「お待たせしました」
 シュナイゼルは本を閉じてテーブルの上に置くと、ベッドまでゆっくりと歩いてくる。そして、アスナの頬へそっと手を当て、髪をなで、優しく額にキスをするとアスナの腕を引いた。
「……?」
 なんだか、身体の感覚が少しおかしい。
 シュナイゼルに触られたところから熱を持ち、堪らなく彼が欲しい気持ちになる。いや、これはいつものことかもしれないが、それでも何かが違う気がしたのだ。はぁ、とついた息は熱を持つ。風呂上がりなのにもかかわらず、しっとりと肌に汗が浮かぶ。シュナイゼルの手が頬を撫でるだけで、たまらない声が上がって、アスナは口をふさいだ。
「で、殿下……っ」
「ん? どうかしたかな?」
 身体が辛いのかな、とシュナイゼルがアスナのナイトガウンの紐を解くと、それをあっさり床へ落としてしまった。ぱさり、とガウンが落ちると薄手のランジェリーに包まれた、少し熱を持ち薄桃色の肌にシュナイゼルはキスをした。
「あ……っ、何を……まさか、水に…っ、ん」
 ゆっくりとランジェリーの肩紐に指をかけてシュナイゼルが妖艶に笑った。
「おもったよりも効くね。カノンに取り寄せてもらったんだよ」
 ――マンネリ化は良くないと思ってね。
 と、甘く耳元で囁いたシュナイゼルはアスナのランジェリーもゆっくりと肌を滑らせて、足元へと落とすと、自分のナイトガウンも脱いでベッドへ腰掛けた。両腕を広げ、アスナを手招く仕草に、アスナは頬を赤くしながら、ゆっくりとシュナイゼルの膝の上に上がる。――脱がせて、と囁かれてアスナはシュナイゼルのパジャマの上着に手をかける。薬のせいか、わずかに手が震えていつものようにうまくいかない。すると、シュナイゼルがくすくすと笑っているのが聞こえた。
「で、殿下」
「いや、緊張しているように見えてね。とてもかわいらしかったんだよ」
 アスナの髪を耳にかけると、顔が見えるようにする。――いつもは凛々しい騎士の顔をしているアスナが自分の前では、こんな女の顔をする。首をなぞり、肩をなぞり、鎖骨に指を這わせて、シュナイゼルは身悶えするアスナを見ながら、アスナに促されるとおりに上着から袖を抜いた。夏頃の少し熱を持った空気を感じてシュナイゼルはゆっくりとアスナごとベッドへ倒れ込んだ。――きゃ、と小さくこぼれた声は聞かないふりだ。
「……っ、あ、で、んか」
「アスナ。ここはベッドの中だよ?殿下は無粋じゃないかな?」
 君はすでに騎士ではなく女だ。瞳でそう告げれば、アスナは少し躊躇ったのか視線を一度シュナイゼルからそらす。そして、数度口を開けたり閉じたりを繰り返し、そして、漸く決心したのか、シュナイゼルを見上げた。
「シュナ……」
「いい子だね」
「んんっ」
 ふぁ、とアスナの口から息が溢れる。両手をアスナの頭の上で拘束し、シュナイゼルはアスナの顎を掴み、逃げられないように口付ける。最初はただ、唇を重ね合わせるだけだった口づけも徐々に熱く、深く、情熱的なものに変わり、互いの舌を絡め合い、啄むキスへ変わる。もぞもぞと、足を動かしているのがシュナイゼルの視界に入ったがあえて見ないふりをした。求めてもらうなら、こちらからではない。――アスナから、自分が欲しいと言わせなくては。
 唇を離し、名残惜しげにこちらを見つめているアスナの額にキスをするとベッド脇に用意していたレースの飾りを取り出した。
「……?」
 アスナはきょとん、とシュナイゼルを見上げる。片手で抑えていたアスナの手にそれを巻くと、きれいに縛って完成だ。まるで贈答品などを美しく飾るレースのリボンが圧倒言う間にアスナの手を拘束して、その先にはベッドヘッドの柵に結びつけておくと、アスナの瞳が驚いたように見開かれ、少しばかり抵抗するように手を動かした。さほど強く結んでは居ない。
「君なら外せるだろうね」
 ――このくらいなら、君は外せる。逃げられるんだよ。と頭をなでながら、シュナイゼルは優しく諭した。
「もしも、このまま外さないのなら私は君を抱こう。優しく、お互いを満たすように」
 シュナイゼルはアスナに髪をすくい上げてキスをした。この香りは、自分と同じシャンプーを使ったのだろう。
「外すのならそれでいい。君は自由にどこへでも行けばいい」
 話しながら、実に意地の悪い質問か、とシュナイゼルはつい笑ってしまった。アスナが逃げないことを知っていて、自分はこんな質問をするのだ。アスナは抵抗しない。じっと、シュナイゼルを見つめる。――これがアスナの答えなのだ。
「いいのかい?優しくする努力はするがもしかしたら君に無体を働いてしまうかもしれない私を君は許す、と?」
「……お、俺は、俺の身体は、心は、全て……貴方のものなのだから、」
 アスナはそこまでいって恥ずかしげに目をそらした。ふるふると、身体が震えている。
「だ、から……シュナの望む、通りに……」
「ありがとう、私のアスナ」
 左手を持ち上げた。手袋に包まれていないその手の薬指にはプラチナの指輪がつけられている。同じように、シュナイゼルの左手にも指輪が。誰にも知られず愛を誓いあった証拠が個々にある。その指を優しく撫でると、びく、とアスナの肩が震えた。くす、と笑って、シュナイゼルはアスナの指を食む。唇で、何度も、何度も甘噛すると、アスナが恥ずかしげに目をそらして、身悶えしている。
「は……ぁ……っ」
 涙で濡れた瞳がシュナイゼルをゆっくりと見上げた。そういう顔も嫌いではない。だが、今日は――とシュナイゼルはもう一つのレースを取り出した。手を縛ったレースに比べ少し幅広であるそれを、アスナの目元にかけるとその裏側で縛った。
「しゅ、シュナ……!?」
 突然視界を塞がれれば、流石のアスナも動揺し、先程抵抗しないと言ったばかりであったが手首を縛るレースの紐が軋んだ。まって、という言葉はシュナイゼルには届かない。不安なのは手に取るようにわかる。騎士として数多の戦場を駆け抜けてきた彼女にとっては「目」を奪われることは何よりも恐ろしいことだとシュナイゼルは知っている。
「大丈夫だよ、私はここだよ」
 シュナイゼルの声がアスナにささやかれる。そして、シュナイゼルの手がアスナの頭を優しく撫でる。シュナイゼルの唇がアスナの頬に触れた。

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