その声を聞き届けて、願い奉る
――それは泡沫の夢。
――星屑の奏でる音楽。
アレイスティルが霊子虚構世界――SE.RA.PHにてサーヴァントとして意識を持ったのは聖杯戦争の気配を感じたガイアが地球の遥か遠く、月に存在するムーンセル・オートマトンへ干渉し世界の観察者であるアレイスティルを電脳体として送り込んだことに始まる。
アレイスティルはムーンセルに置いても異質な存在。ガイアの干渉と影響を受け、ムーンセルにすらアクセスすることのできる権限があったとしても、その戦いに直接干渉するわけでもなく、ムーンセルを制御するわけでもない。だが、その力はムーンセルそのものに異質だと判断された。
――月の裏にて、彼と再会した。
「珍しい客に会ったな、アレイスティル」
聞こえた声にそっと目を開けた。
霊子の廃棄場にいた彼はいつもと変わらない。微睡みの中にいるのだろうか、些か機嫌が良いように感じる。――なるほど、ムーンセル・オートマトンは彼をも異質の存在、否、彼がムーンセルにおける聖杯戦争には不適格だと判断したわけだ。どうであれ、彼を召喚するに至ったマスターが居たことにも驚きだが……
「……」
「相変わらず我との会話ができないとは、な。不便なものだ」
アレイスティルは口をつぐんだ。決して彼と会話がしたくないわけではないが――聞こえないのだ。彼の声が。そして、彼に何かを発しようとすればその声は、霞のように消えてしまう。彼の赤い瞳を前にして、アレイスティルはそっと目を閉じた。
くい、とギルガメッシュの手が、アレイスティルを招き入れた。量子の海の中、二人の距離が狭まり互いの顔が霞むほど近くなり、互いにそっと目をつむった。
――聞こえるか。
僅かにノイズが聞こえるものの、ギルガメッシュの声がアレイスティルに届いた。
――聞こえますよ、我が王よ。
――貴様のその呪いはムーンセルに来ても健在か。まあ良い。
ギルガメッシュは霊子の漂う海の中、そっとアレイスティルを抱きしめた。ここは悪性情報の海、月の裏側。ムーンセル・オートマトンが放棄した世界。
――どうするつもりだ?
――何がですか?
――貴様の役割は、この聖杯戦争を見守ることではなかったのか?
ギルガメッシュの言葉が意外でつい、アレイスティルは驚いたようだった。そして、次第に笑いがこみ上げてきたのか、くつくつと肩を震わせた。
――何がおかしい。
――いえ。心配していただけて嬉しいのですが、大丈夫です。……"端末"はありますので。
アレイスティルというガイアの干渉を受けた観察者の権限をひとつだけ使わせてもらった。ムーンセル・オートマトンに自分の分身を送り込み、それをサーヴァントとして認識し、それらのデータを全て送り込んである。ガイアから与えられた権限を自身のために行使するのではなく、あくまで分身のために。能力値は基本的にすべて同じ――生前の魔術師としての自分に近い分身を作った。
――ほう。
――会いたかったですか?生前の、私に。
アレイスティルは不安げに、ギルガメッシュに問うた。すると、今度はギルガメッシュから嘲笑が帰ってきて、そして、更に強く抱き寄せられた。額が当たったのがわかる。深い、霊子の海の中たった二人きりの世界がここには存在する。
――我の知る、貴様はここにいる一人だけだ。
眠れ。
ギルガメッシュはその言葉を最後に念話を切ると、完全な休眠状態へと入った。当然だ、この悪性情報から自らを守るためにはそうするしか無い。微睡みの中では飲まれてしまう。彼の強固な力があるがゆえにそれも叶うのだが……アレイスティルもまた、外の世界との接続を保ちながら目をつむり、この悪性情報たちから彼と自分の世界を守るようにそっとムーンセルと接続した。
――後は任せました。
* * *
――それは少女の声。
――願う人の声。
――それはかつての私の姿。
アレイスティルが霊子世界から呼び声を受けて目を開けた。サーヴァントとしての役割――クラスはキャスターが割り振られたらしい。まあ、たしかにそれが的確だ。ムーンセル・オートマトンには「アレイスティル」という英霊に値する情報が残っていたこと、それを本体であるアレイスティルがムーンセルにアクセスして高度な霊子生命体として具現化させたもの。
(なるほど……)
アレイスティルは即座に自らの役割を理解した。そして、それは本体人格からのコピーが完全に終了したのだ。そして、"本体"が今何をしてるのかも、理解した。ムーンセル・オートマトンはアレイスティルというルーラーを異質なものだと判断した。当然だ、アレイスティルの目的はムーンセル・オートマトンとは異なる。聖杯戦争の観察、人類史の分岐点の観察。聖杯戦争に参加するつもりのないサーヴァントをサーヴァントとしては認識しない、というのがムーンセルの判断であるようだ。月の裏に送られたアレイスティルの本体は悪性情報に飲まれることなく、ただ、休眠状態に入っている。
要するに自分は代わりなのだ。
アレイスティルというサーヴァントが用意した分身。
声が聞こえ、アレイスティルは漸くその世界へ足を踏み入れた。
「――あ、」
少女の声が聞こえてきた。
アレイスティルはそっと目を開けて、少女を見下ろした。
「――聞きましょう」
少女へ向かって声をかける。
「貴方が私のマスターですか?」
赤に見間違うほどの美しい茶にそっと目を細めた。短く切りそろえられ、清潔感あふれる雰囲気にアレイスティルはなるほど、と頷いた。彼女はしばし言葉を失っていたが、冷静に戻るとすくりと立ち上がり、スカートの裾を整え、アレイスティルをじっと見つめた。
「逢瀬鶫といいます」
――貴方のマスターです。
「承知いたしました、マスター。今から私は貴方の剣となり、貴方の盾となり、貴方の鏡となって貴方とともに行きましょう」
――貴方が信奉する王の栄冠のために。
月の裏側。
霊子の海の中で、アレイスティルは静かに微笑んだ。この腕の中、まどろむ夢の中。
王のための利己を貫く少女の夢は――さぞや甘美であろう。