に殉じることの出来る子供


 多分昔から好きだったんだと思うよ、界離の事。

 とある日、獅子劫の妻、紅葉は彼が喚んだサーヴァント、セイバーのモルドレッドに聞かせた言葉はひどく穏やかな口調で語られた。地下墓地の工房の一角で、彼女もまた魔術師として工房を築き、魔術の支度をしていたのをモードレッドが話しかけたのだ。
 獅子劫に聞いてみれば、あいつは自分から俺のもとに嫁いできたわけじゃない、と言ったから仲が悪いのか、とモードレッドは紅葉に聞いたのだ。少なからずモードレッドが見ている限りではよい夫婦のように見えているのだ。
「好きなのに、お前らは自分の意志で結婚したんじゃねえのか」
「んー、界離が俺のこと好きなのかはわからないなー」
「……魔眼は使わないのか?」
 欲視――目を合わせた相手の視点を奪って視ることが出来る紅葉の魔眼。視点に立つということは相手の気持ちを覗き見るということでもあるからか、紅葉は他者の感情や思考をある程度は盗み見ることが出来るはず、とモードレッドは獅子劫自らから説明を受けたばかりだ。"気持ち"がわからないというのなら、魔眼を使えばいいのではないか、と思ったことを素直に口にしてみれば、紅葉は困ったように笑いながらモードレッドを見た。
「魔眼を使っちゃったら確かにわかるんだけどね」
「使わない、と」
「……んー、怖いのかもね」
「怖い?」
 モードレッドは顔をしかめた。少なからず怖い、という感情とは無縁に見えたのだが。アレだけホムンクルスやら何やらが立ちふさがっている戦場で自身と剣に強化の魔術をかけて大立ち回りしていたような女の言葉だろうか、という表情をしているではないか。それは魔眼を使うまでもない、察することができて紅葉は苦笑した。
「戦うことと、人の感情に向き合うことは別よ、王様」
「そういうものか」
「そういうもの」
 紅葉はいつの間にか魔術の支度を終えていて、手元のナイフではりんごの皮を剥いていた。真っ赤に熟れたりんごの皮を丁寧に剥いていく紅葉の手つきは慣れていて、騎士であるモードレッドから見てわかる、剣や刃物の使い方を心得ていると感心する。最初見た時は守られているばかりの少女のような外見だったからすっかりと騙されてしまったがよく見てみれば動きそのものに隙が少ない。夫と共に多くの戦場を駆け抜けてきたのだろう。
「……なぁ」
「ん? りんご食べる?」
「食べるけど。マスターの気持ちは聞かないのか?」
「突っぱねられてないなら、それでもいいかなって」
 あの人、嫌なものは嫌だって突っぱねるタイプだし、と言いながら切ったりんごを手でモードレッドの口元に近づければ、あーと開かれた口にりんごを入れてあげた。しゃく、と鮮度の良いりんごが噛み切られる音がして紅葉は目を細めた。
「どうせ、俺も行き場所なんて無いし。実家に帰っても俺は実家の魔術刻印を貰えるわけじゃないし」
 双子の姉がね、すごい優秀な人だから。
 紅葉は何の悲観も、悲嘆も、卑屈さも滲ませることなくモードレッドにそう笑いかけた。
「界離の傍にいるのが一番落ち着くし」
「……こういう場所でも、か?」
 モードレッドは肩をすくめてあたりを見回した。いくらなんでも、こんな地下墓地を工房に仕立て上げる男だぞ、と言わんばかりの表情で。紅葉はくすくすと笑いながら、りんごを一つ口に運んだ。
「昔から、男運は悪いの」
「自覚があるのか。――それでもマスターがいいってことか」
「こんな人でも世界で一番ステキな男よ、界離は」
 穏やかな微笑みのまま紅葉は言った。
「マスターの気持ちがわからん、と言っている女の表情じゃないな」
「まあ、言ってくれたことがないから知らないだけで、一度も見たこと無いなんて言ってないし」
「……最初と言ってるところ矛盾してないか?」
「人間なんてあらゆる矛盾を抱えた生き物でしょ?」
 楽しそうに笑った紅葉はふと、目を閉じた。

「……界離から聞かないと、その気持は真実じゃないから」

 紅葉は困ったように笑いながら最後のりんごをモードレッドの口に押し込んでそういった。甘酸っぱいりんごを咀嚼して飲み込むとそんなものか、とモードレッドは座り直して自分たちに背中を向けて作業に没頭しているように見えて話を聞いていたマスター――獅子劫界離に話しかけた。
「だってよ、マスター」
「……」
「セイバー、あんまり虐めないであげてね、意外と照れ屋さんなんだから」
 その背中が僅かに震えているような気がしたが敢えて見ないふりをしてやろうと、思いながらモードレッドはニヤリと笑った。

「愛されてるな、マスター」
「うるせぇ」

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