影と影がをつなぐ


(界離お兄ちゃんと姉さんはお似合いだなあ)
 幼心に紅葉は双子の姉と獅子劫家の次期の後継者の姿を眺めながらふと思った。ちょっと年上で、なんでも知っていてなんでも出来る幼馴染と自分なんかよりもずっと優秀で自分よりもずっと美しい双子の姉はひどく似合いで、いずれ二人は結婚するのだろうと漠然と思った。優秀な魔術回路を持つ二人なのだ、きっと優秀な魔術師を生むことだろう。両家だってそれを望んでいると、紅葉は知っている。

 だが、それはいい意味で裏切られた。初恋の相手の――結婚相手として選ばれたのは紅葉自身だった。父と――獅子劫家の七代目当主がいる中で紅葉と獅子劫の結婚は取り決められたのだ。理由は簡単だ。
 姉の葉夜は魔術回路を継ぎ、右京家を守らなければならないから、それよりも劣るがそこらの魔術師よりもずっと優れていてなおかつ魔眼を持つ紅葉ならば次代にも期待ができるという話だ。――利用されている、が、紅葉にはどうでも良かった。名も知らない、顔も知らない相手に嫁がされるよりずっといい。隣りにいる獅子劫界離ならば、文句も何もない。どのみち、自分の決定権など無いと紅葉は知っている。

「帰れ」

 褥で向き合った獅子劫の言葉に紅葉はぽかん、とした。婚姻など形式でしかなく、結婚式も簡潔に終わらされた。十六歳の乙女にこの仕打は何だ、と思ったが仕方ない。お互いの家が求めているのは――特に獅子劫家が求めているのは子供であって、紅葉自身ではなく、さらに言えば、紅葉自身というよりはその魔術回路と魔眼である。
 獅子劫の瞳は冷ややかに紅葉を見据えていて、紅葉の体が一瞬こわばった。しかし、それは一瞬のことで獅子劫にはバレなかったことだろう。紅葉はあっという間に笑顔を取り繕うと嫌だ、といい切った。
「絶対に帰ってやらないんだから!」

 ――だから。
 だから、きっと界離は俺のことなんて、愛してなどいない。勝手についてきただけの押しかけ女房にも近いだろう。ただ魔術的にも、魔眼の能力も、戦闘での実力も使えるから何も言わないだけだ。

 だから。
 この状況はまずい、と紅葉は熱で動かない体と頭を必死に働かせようとした。たしかに昨晩から喉の奥に違和感を感じてはいた。しかし、大したことはないと適当に医療魔術と薬を飲んでベッドに横になった。起きるとまずは天井が歪んで見えた。体中が軋むように痛く、熱でぼんやりとする頭を必死で働かせて今の状況を整理した。風邪だ、明確に風邪を引いた。
(ああ、痛い)
 痛いのは関節なのか、筋肉なのか、内臓なのか、頭なのか、それとも――心なのか。ベッドから這いずり出てでも出ようとして――当然のように落ちた。どたん、と大きな音が鳴った後、バタバタと慌てた足音が聞こえてきて、そして、――紅葉、と自分を呼ぶ界離の声が聞こえて来て、紅葉は何か言おうとしてまた微睡みの中へ落ちていった。


* * *



 紅葉が珍しく起きてきていないことに獅子劫は目を見開きながら、まあ、たまにはこんなこともあるだろう程度にしか考えていなかった。コーヒーでも淹れるか、と紅葉が揃えたコーヒーメーカーとミルの元へ近づいてコーヒー豆を手に取った。紅葉お気に入りの店のブレンドだったし、獅子劫も毎朝これを飲んでいるがなかなか気に入っているのだ。水と豆とセットしてさて、と思ったところで紅葉の部屋から大きな物音が聞こえるではないか。
「紅葉っ!?」
 何かあったか、と駆けつけてみれば紅葉がベッドの下で倒れている。その体からは力が抜けてぐったりと倒れ込んでいる。慌てて抱き起こしてみればその体はひどく熱かった。寝間着代わりにしているタンクトップは汗で濡れていて、体には珠のような汗が浮いている。紅葉の白い肌は不健康までに青白いのに、体ばかり熱い。はぁ、はぁ、と苦しそうに肩をせり上げて呼吸をする紅葉に体調が悪いのだとわかる。とりあえずベッドへ戻さなければ、と紅葉を抱き上げてみれば――軽くてぞっとした。
(……こんなに軽かった、のか)
 夫婦になってすでに十年以上が経過している。当初の結婚の目的であるように性交渉も当然存在しているが――体格は小さいと思ったことは数え切れないほどあったが軽い、と思ったのは始めてだった。ぐったりと投げ出されている体であるのに、獅子劫があっさりと抱えられる状況が異常だとも言えた。
「……ん、か、い……り」
 ベッドへ寝かせれば目をつむったまま紅葉がうわ言のように獅子劫の名前を呼び、その小さな――剣タコだらけの手で獅子劫の服を力も弱く握りしめた。
「か、いり……」
「……ここにいるぞ」
 ベッドの傍で膝をつきベッドの中の紅葉を覗き込んだ。オレンジ色の柔らかな髪を大きな手で優しく撫でる。すぐに冷やしてやらなければ、とか薬の手配をしなければ、とか色々すべきことはあるのはわかっていたが今は紅葉のそばに居てやりたかった。嫁いできてから獅子劫家から子供を生むための道具として扱われ、自分が獅子劫家を抜ける時にはついてきて、辛い道を選択してもなおも泣き言の一つも言わない年下の幼馴染の傍に。
 界離、界離、とうわ言で自分を探す妻の手を獅子劫は大きな手で包んだ。
 涙を拭うようにそっとその瞳にキスを落とすと、眠っている紅葉が少しだけ、優しく微笑んだ気がした。

ALICE+