束の間の甘いお茶会


 ――ブリタニアで紅茶の老舗といえば、トワイライトであろう。
 アスナは美しい紫色の缶を手にとってその戸棚を閉めた。ブレンドティーでも、フレーバーティーでもない。ストレート用の茶葉だ。良い紅茶がオールシーズンで楽しめるようになった昨今ではあるが、やはりファーストフラッシュのオレンジ・ペコが一番美味しいとアスナは思っている。良い茶葉を良い方法で淹れてこそ紅茶の真価は発揮される。十分に温めたポットとティーカップを前にアスナはいつもの騎士服の上着を脱いで近くの椅子へかけて、一度ポットの中のお湯をきれいに投げ捨てた。
 そして、ティースプーンで正確に二人分――厳密にはおかわりも含めて五杯分の茶葉をティーポッドへ淹れ、ふわりと茶葉達が舞うようにお湯をたっぷりと注ぎ入れた。ポットの中にお湯が入ったのを確認して、アスナは手早くポットの蓋を閉じ、新しいポットを用意する。給仕用の見栄えするポットだ。ティーカップと対になっているそれも充分に、カップとポット以上に気を使って温めて置く。
 紅茶を蒸らしている僅かな時間の間にお茶菓子の支度もしなくては、とアスナは冷蔵庫の中からチョコレート菓子を取り出して、皿に並べた。これは皇室御用達の老舗チョコレート菓子店から取り寄せたもので、アスナが紅茶を淹れた相手も好んで食べてくれるものだ。ナッツとドライフルーツの二種類のスティック状のチョコレートを見栄えよく飾り、オレンジとイチゴのカットを添えて、生クリームを絞った。ただ、チョコレートを出すだけではなく細部まで気を使わなくては、とアスナは出来栄えを確認してうん、と頷く。
 すると、砂時計の中の砂がちょうど全て落ちきったところである。
 よし、と小さく呟いて、ポットからポットへ。時折ポットを回しながらまんべんなく味が広がるように最後の一滴――ベスト・ドロップまで注ぎ入れ、もう出てこないことを確認すると温めたカップを丁寧に水気を取り、温かいまま給仕できるよう、クロッシュをかぶせてアスナはそれらをカートの上に載せた。

(完璧だな)

 自分の時間配分が的確であったことを褒めるとアスナは静かにキッチンからカートを押して歩き出した。




* * *





 白バラの広がるガゼボには皇族や、それに追従する貴族たちがティータイムを楽しめるようにテーブルと椅子のセットが置かれ、きれいに手入れされた庭たちを眺めながらお茶をすることができるようになっている。第二皇子シュナイゼルがここを利用することはめったにない。彼は皇族の中でも、宰相として海外に出回っていることも多く、もし時間があったとしても晩餐会や、パーティーなど引っ張りだこでゆったりとお茶をしている時間を作ることが難しいのだ。
 多忙になりすぎないように、と周りが気を使ってもくれているがとりあえずは宰相府の中にある庭でお茶をする程度でも十分構わないし、執務室で休憩としてお茶を出されるのもシュナイゼルは嫌いではない。
 ――ただ。
 ただ、ここへ来る時は特別な人がお茶を淹れてくれるのだ。シュナイゼルにとってはただの騎士ではない。貴族の中でも大公爵という、皇族にも近く、皇位継承権すら持っているような騎士がただ、シュナイゼルのために淹れてくれる紅茶を飲むのはここで、と決めている。
 後ろからカートを押す音が聞こえてくると、まるで子供のようにシュナイゼルの心は逸った。先程から開いている本に集中できない。久しぶりに彼女と会うと思うと気持ちが高鳴って、未だに初恋をしたばかりの少年のようにシュナイゼルの心が舞い上がってしまう。
(情けないね)
 彼女の前ではスマートに、かっこよくいたいと思うのだけれど。
「お待たせしました」
 シュナイゼルの後ろから落ち着いた、女性の割にはテノール気味に聞こえてくる声にシュナイゼルは漸く気付いたかのように本から顔を上げて――心が舞い踊りそうなのはそっとしまっておくように、紅茶とお菓子を運んできたアスナへ視線を向けた。
 今日もいつもと同じ――伝統の黒と赤で彩られた美しい騎士服を身にまとっているアスナ。長い髪は頭頂で高く結い上げられ、羽のような大きな飾りがガゼボに吹く微風によって僅かに揺れているのが見えた。
「ありがとう、アスナ」
「いえ。本日はトワイライト社のダージリンをお持ちいたしました。砂糖とミルクは――どうする?」
 アスナはしばし周囲を見渡して誰も居ないことを確認すると騎士ではなく、ただのアスナとして表情を緩め、口調を和らげてシュナイゼルへ接した。二人の中のルールなのだ。誰もいない時はお互いを騎士と皇子としては扱わないと。しばしばアスナが守れないこともあるルールだが今日はシュナイゼルに楽な心地で居てほしいというアスナの配慮なのだろう、彼女はあっさりと敬語を外して、穏やかな笑みを浮かべていた。
「砂糖もミルクも今日はいらないよ」
「わかった」
 アスナは紅茶をカップへ丁寧に注ぎ入れてシュナイゼルの前にお茶菓子と共に差し出し、自分の分も注ぐとシュナイゼルの対面の席へ腰掛けた。
 二人でお茶をする時は――執事もメイドも介在させないことが多かった。紅茶はアスナが用意すればいい、他の誰にもこの場には立ち会ってほしくなかった。執事やメイドであっても、この二人きりの時間に誰かが立ち入るのが嫌で、カノンですらこの場には居ないことが多い。
「なんだか、漸く休めている、という気分だよ」
 シュナイゼルが穏やかに――いつもの仮面の笑みとは違う、シュナイゼル本人の笑みでカップを手に取ると言った。アスナはそんなシュナイゼルを僅かな言葉でねぎらう。中華連邦との話し合いの際にはひどい交戦もあったと聞く。その場に居なかった自分がさぞや悔やまれることであるが、アスナの仕事はシュナイゼルを守ることだけではない。――裏切りの騎士の名は決して伊達であってはならないのだから。
「今日は時間が取れてよかった」
 シュナイゼルはテーブルの上に置かれていたアスナの手へ自分の手を重ねるとじっとアスナの瞳を見つめた。その穏やかでありながら、たしかに思いが通ずる対応にアスナはわずかに頬を染め、ゆっくりと手を開くと、ゆっくりとシュナイゼルと指を絡めて結んだ。互いにすでに手を覆う手袋は外している。素肌と素肌が擦れ、触れ合うのはひどく心地よく、アスナはシュナイゼルを優しく見つめて、手に僅かに力を込めた。
「俺も、貴方に会えて良かった」
「珍しい、明日は雨でも振るのかな」
 くすり、とシュナイゼルが笑った。
「たまにはいいでしょう?――甘いのはお嫌い?」
 微笑みかけるとシュナイゼルが顔を近づけてくる。ガゼボに置かれたテーブルは二人で近づけば額すら合わせることのできる距離だ。こつり、と額と額が重なると近すぎてシュナイゼルの顔がぼやけてみる。
「大好きだよ――愛おしい」
 甘く蕩けそうな声で、瞳で、シュナイゼルに愛を伝えられてアスナはそっと目を閉じた。

 白薔薇だけが見ているガゼボで二人はそっとキスを交わした。

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