咲く夜道


「じゃじゃーん」

 亜久津の前でくるり、と回ってみせた紅葉は浴衣を来ていた。雑誌をめくっていた亜久津の視線が紅葉と向いた。紺色の生地に真っ赤な金魚が泳いでいる少し――渋いデザインの浴衣を着た紅葉は亜久津の前でにこりと笑う。
「似合う?」
「馬子にも衣装だな」
 すっぱりと答えれば、紅葉はむっと顔をしかめた。似合わないわけではない。夕日のようなオレンジの髪に濃紺の着物はよく映えるし、紅葉には赤が似合うからかその金魚は映える。背が小さいという根本的な欠点を除けば浴衣を着こなせているとは思う。――言わないが。決して。
「んで、なんで浴衣なんだよ」
「今日、近くの神社でお祭りあるの!」
「そうか」
 行って来い、というと紅葉は更に頬を膨らませて、亜久津の手から雑誌を取り上げようとしたが、それよりも遥かに反応が早い亜久津が雑誌を軽く持ち上げて紅葉の手には届かないようにすると紅葉は亜久津の方へ倒れ込んできた。もう! と怒って紅葉は亜久津を見上げた。
「うるせェ」
 耳元で叫ぶんじゃねえよ、と紅葉を落とさないように抱え直す。
「仁も一緒に行こう?」
「どうせ、河村と葉夜と行くんだろ」
 だったらいいじゃねえか、と言えば、紅葉は静かに首を横に振った。亜久津は雑誌を放り投げる。
「今年は約束してないもん」
「……あ゛あ?」
「仁と行きたかったし」
 紅葉はそういうと亜久津の膝から降りて、その手を掴んで引っ張った。いこ?と首を傾げる。人混みに自分から行け、とこの女は言っているわけだが……もしも、亜久津がいかないと言えば、一人で行くと言い出すのは明白だった。はぁ、と溜息をつくと亜久津は立ち上がった。
「仁?」
「着替えてくる」
「浴衣着る?」
「……はぁ?」
「用意してあるよ!」
 優希ちゃんと選んだんだ!と紅葉は立ち上がると部屋に荷物を取りに行って戻ってきた。着付けは俺ができるしね、と張り切っている。最初から着せる気しかなかったんじゃねえかと亜久津は紅葉に睨みを利かせるが、すでに紅葉には亜久津の睨みは効果をなしてない。ほら、早く!とはしゃぐ紅葉にせがまれて、亜久津は上のシャツを脱ぎ捨てた。
「……っ」
「あ゛?」
 紅葉が動きを止めた。顔赤くして、呆然と亜久津を見上げてみる。
「……オイ」
「え、あ、あああ、ごめんっ、今、着せる……」
 紅葉はぱたぱたと亜久津の背中側に周り亜久津の肩に浴衣をかけようとするが、背丈が届かない。亜久津が自分で気づいて浴衣に袖を通して、ズボンのベルトを緩めていた。浴衣を着るのに下着以外は着ないだろうというのは大概にして想像がつくが、紅葉はいたたまれなくなった。別に見たことがないわけではないのに、中学に入ってからぐんぐんと体つきが変わった亜久津はたくましい男性になっていた。ふと、自分の体を見下ろして、自分だけが置いて行かれているような気分になる。おい、と呼ばれて紅葉は顔を上げて帯を取り出した。袷を直し、帯を止めるために両手を回そうと思うが若干(ではないが、紅葉のプライドのため若干)腕の長さが足りない。なんとか帯を回すと前できっちりと締める。少し袷を緩めている亜久津を見ながら、仕方ないかと多少の着崩れは諦めることにした。
「うんうん、似合う似合う!」
「そうかよ」
 憂鬱だと言わんばかりの口調だ。そんなことも気にはせず、紅葉は亜久津の手を取って早く行こう、と笑った。



* * *




 ずらりと並ぶ出店とそれを往来する人の波。人混みが嫌いなくせに、大きな音が得意じゃないくせに祭り囃子や音楽がなる会場へ踏み込もうとする紅葉は袖をたくし上げている亜久津の手を掴んでぐいぐいと引っ張っていく。平均よりも遥かに小さい紅葉が人混みに紛れると探すのも大変なため、手を離すなよとは言いつけておく。が、すでに紅葉の興味は出店の食べ物に移っていた。うん、と返事は返ってくるが当てにしないでおこうと、亜久津は紅葉の手を握り返した。
「仁、りんご飴食べる!」
「好きにしろよ」
 どうせ、何言っても止まらない。
 紅葉はりんごあめと、焼きそばと、わたあめと、チョコバナナとね、と食べるものを順番に上げていく。食べることしか頭にねえのかよ、とツッコミを入れれば、お祭りで食べるから美味しいんだよ、と紅葉はいう。両手いっぱいでも持ちきれないであろう、紅葉の食べたいものの列挙に亜久津は内心ため息をついた。

「……っ」
 目的を目指していた紅葉の足が止まったのは、チョコバナナを食べ終わったときのことだった。亜久津の手を引いて歩いていた紅葉は突然足をしかめて止まった。亜久津がオイ、と声をかけるが紅葉はにぱ、と笑った。
「石、踏んだら、痛かっただけ」
「……足、見せろ」
「いや、大丈夫だ、」
 さ、と隠した左足。亜久津はそれを察したように紅葉を簡単に抱き上げた。
「じ、仁っ!」
「あんまりうるさくすると落とす」
「……っ」
 ――やりかねない、っていうか、やる。絶対にうるさくしたら落とされる。視線がすごく気になるが、気にしていては負けだし、第一、亜久津は何も気にしている様子がない。とりあえず、人の波を抜けると亜久津は紅葉の足を見た。血は出ていないようだが、下駄の鼻緒でこすったのだろう、赤くなっているし、その鼻緒もぷつりと切れている。これで歩こうとしたのなら、相当な馬鹿だ、と亜久津は深くため息を付いた。
「ちっ」
「ごめん……」
「舞い上がりすぎなんだよ、テメェは。……帰るぞ」
 鼻緒直すもんもねぇしな、と亜久津は紅葉を再度抱き直して、神社の入口側へ戻ろうとする。紅葉もこの状態で歩けないことはわかっているのか、おとなしく亜久津の首に腕を回して掴まる。その表情は落ち込んでいるのか、暗い影がさしている。
「……久しぶりに、仁とお祭り来たのになぁ」
 ――花火、見たかったなぁ。
 ぽつり、と呟いた言葉。亜久津はぎろり、と紅葉を睨む。睨まれたところで紅葉は普段なら怖くないのだが、今ばかりは責められているような気分になって嫌だった。しゅん、と更に小さな体を縮こまり、紅葉は亜久津から目をそらした。
「……今度、手持ち花火でもすりゃいいだろ」
「……してくれるの?」
 恐る恐る、紅葉は顔を上げた。暗くて亜久津の顔はよく見えないが、少しばかり彼が照れているのは察した。
「どうせ、勝手に付き合わせんだろ」
「うん」
 紅葉は笑った。
 神社の入口から、家へ向けての道へ亜久津が歩き出した頃、遠くの方から花火の音が聞こえてくる。大きく咲いた夜の花に紅葉は目を見開いた。辺りが一瞬で明るくなって、すぐに光の花は散っていく。亜久津も足を止めてそれを見上げていて、その横顔と花火が一緒に紅葉の視界いっぱいに入ってくる。
「やっぱり線香花火かな。俺、仁に勝てる気がする」
「花火は勝ち負けじゃねえよ」
「だって、仁は気が短いから、線香花火とか持続できないでしょ」
「……テメェ」
 亜久津の額に青筋が浮かぶ。紅葉はにしし、と笑って亜久津の首に抱きついた。
「なんか、仁が線香花火してるの、想像できないわ」
「テメェが言い出したんだろうが」
 家に帰るまでくだらない雑談をしようよ。
 時折、花火の大きな音にかき消されて聞こえないけれど、紅葉はとても楽しそうだったし、少しだけ見上げた亜久津の顔が何時になく、穏やかなように見えた。

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