君へ贈る真心


「あ、明日か」

 紅葉はカレンダーを見てポツリと呟いた。長い夏休みも終わり、明日からは普通に登校しなければならない。夏休みと言ってもほとんどが部活で学校に出ていたわけで、あまり休んだという気分ではない。夏休みの間にインターハイの全国大会があり、紅葉もほとんどバスケ部にかかりきりだった。まだまだ残暑も厳しく、夏の終わりは遠のいていきそうで、紅葉はソーダ味の棒アイスを咥えたまま少し思案した。
 決して学校が始まることに対して言ったわけではない。問題はもう一つの方。
(……岡村の誕生日)
 一年生の時から片思いを続けている相手。誕生日を知ったのはいつだったかな、と思いつつも去年はお祝いできなかったからおそらくは去年のことだ。今年こそはお祝いしようと決めていたのだから、と紅葉は台所へ向かった。単純で簡単で少しだけ持つパウンドケーキなんてどうだろう、と紅葉はパラパラとレシピ本をめくる。甘いものでも食べてくれる大食漢の岡村のことだ、ドライフルーツを入れたケーキで甘めにしたら喜んでくれるのではないだろうか、と考えてみる。パウンドケーキの型を取り出し、小麦粉など材料が揃っているか確認する。ドライフルーツも幸いにして残っていたし、これなら買い足しは明日の帰宅時でいいだろう、と紅葉は思いながらテキパキと揃えていく。
 途中いい香りだね〜と盗み食いに来た双子の姉に焼けた端の部分を口に放り込めばうん、おいしいよ、と褒めてもらえたので粗熱を取り、ラッピングする。これで、明日渡せば大丈夫だろう。



* * *




 ――渡せばいいだろう、とか思ってた昨日の自分を殴りたい。
(どうやって渡せと言うんだ、これ)
 紅葉はラッピングされた袋。中に入っているのはパウンドケーキ。現在カバンの中に放り込まれたままだ。いや、お昼ごはんを食べるときに一緒に渡せばいいんじゃないだろうかとか、朝練の終わりにぽいって投げ捨てるように渡せばいいじゃないか、とか色々考えるが、考えるほどに渡せなくなってきた。まずい、と紅葉は今日は学校初めで部活は放課後のみだということをバスの中で思い出してしまった。
 岡村は寮生だから、バスで通っている紅葉と登下校がかぶることもなくて渡しようもない。どうすればいいんだ、と紅葉は必死で考えながら、最寄りの駅で周りの同級生たちと一緒にバスから降りて、校門をくぐっていく。たくさんの学生の中をすり抜けていきながら、うんうんと唸っている姿はさぞや滑稽だったのだろう、おはようございます、と後ろから声をかけられるまで気づかなかった。
「わっ、氷室!」
「おはようございます。……どうしたんですか?」
「……い、いや、別に」
 動揺してしまった。いや、氷室に渡すわけじゃないだろう、と気づいたところで紅葉はごほんと咳払いした。すると氷室は何か気づいたようにああ、と呟いた。
「岡村先輩の誕生日ですね」
「うっ……」
 いい笑顔だ。いい笑顔でいいやがる。人が困っているというか、悩んでいることに率直に言うなんてこいつ、なかなかいい性格してるじゃねえか、と紅葉は唇を噛み締めた。中に入っているパウンドケーキについては触れなかったつもりだが、とっさにカバンを後ろに隠してしまったせいで、プレゼントが入っているのはおそらくバレてしまったのだろう。
「渡さないんですか?」
「……」
「同じクラスなんですから、そのまま手渡せばいいんですよ」
「……おう」
 氷室に肩を叩かれた。がんばってくださいね、と女子を悩殺する笑顔で言われ、紅葉は深くため息を付いた。二年生と三年生では階が違う。階段で別れを告げると三年の他の女子にあっという間に取り囲まれ、氷室の話をさせられた。いや、別になんでもないよ、と紅葉は女子たちを振り切ってクラスに入った。
「おう、おはよう」
「……おはよ」
 笑顔で挨拶してくる岡村の机の上にはなんだかんだ言ってプレゼントが並んでいる。うわぁ、渡しづらい。とか考えながら、隣の席につく。この席が決まったときに内心すごい喜んだが、周りからは凹だと言われた。すごい落差があって右京見つけられないんじゃないかとか散々な言われようだった。いいじゃないか、隣だ。これで前後で、岡村が前に居たら悲惨だったかもしれないが、と言いながら紅葉はカバンの荷物を机へしまうため開けたところ、パウンドケーキの入った包が目に入った。
「……岡村」
「ん?何じゃ?」
「ん」
 隣の席でよかった。
 ぽい、とプレゼントで山になっている机の上に置く。
「これは?」
「……パウンドケーキ」
 おお、と岡村の目が輝いた。そういえば、前に部員たちに頼まれてお弁当を作ったときにひどく喜ばれたものだ。紅葉の手作りだと気づいたのだろう。
「誕生日、おめでとう」
「食べてもいいか?」
「……もちろん」
 もう、それ、岡村にあげたものだし、好きにすればと少し突き放したように言って、紅葉はぱたぱたと荷物を机へと放り込んでいく。いつもなら授業順に並べているのに、なんだか気恥ずかしくて適当に詰め込んでしまった。絶対後で後悔する、とか気づいていたのに、岡村がごそごそと包みを開けてパウンドケーキを取り出している音だけ耳で拾ってしまう。
「うむ、うまい!」
「……そ」
 よかった。
 おいしいって言ってもらえてよかった。
「残りは部活後に食べることにする」
「……紫原に取られないようにね」
「それが問題じゃあ……」
 紅葉はははは、と笑う。確かに、匂いを嗅ぎつけて取られそうだな、と思った。
「大丈夫」
「ん?」
「今日、部活の差し入れにクッキーも作ってきたから、そっちで釣っておく」
 そういうと岡村はにぱ、と笑ってなら、安心じゃと言った。

ALICE+