何を食べようか


 冷蔵庫を開けて、紅葉はあ、と声を上げた。
「うーむ……」
「どうかしたのか?」
 丁度、工房から上がってきた獅子劫が後ろから紅葉を覗き込む。冷蔵庫の中はいい具合に空っぽだ。
「晩御飯どうしようか」
 紅葉は獅子劫に振り返りながら言った。長期の仕事が連続していて二人共ほとんど家に居なかったことが原因だろうが、ここまで冷蔵庫の中が空なのも問題だろう。外食するか、それとも食材の買い足しに行くのか、紅葉は獅子劫に判断を求めたといったところだ。
 別段獅子劫自身は外食に抵抗感はない。家で食事を摂らなくてはならないとは思わないし、外食しにいけば紅葉の料理の手間は減るだろうという思考もある。――が。長らく家を離れていて、紅葉の手料理から離れていた、と思うとどうしても胃袋はすでに紅葉の手料理を食べる気で満々だったわけで。
「買い出し、行こうか」
「……いや、外食でも」
「界離が俺のご飯食べたい、って言ってくれるんだから、作るよ」
 紅葉は嬉しそうに笑って胸にかけていたエプロンを外してダイニングの椅子へ掛けた。何にしようか、と問いながら買い物のためのエコバッグを取り出し、秋口に入り少し冷たい風が吹くようになってきたからかカーディガンを肩からかけた。
「界離も、一緒に行こ」
 食べたいもの、きっと思いつくよ。
 紅葉に手を引かれて獅子劫も家から飛び出した。



* * *




 率直にスーパーに入ったのは久しぶりだった。紅葉はスーパーの出入り口に並んでいるカートを一つ動かして、山のように積み上がっている買い物かごを一つ取ると、カートの上に上げた。
「んー……野菜、高いなぁ」
 入口入ってすぐにある生鮮コーナー……積み上がっている野菜たちを見ながら紅葉はうーんと唸った。獅子劫はすっかり手持ち無沙汰に周囲を見回してみる。自分は魔術師らしい魔術師ではないと思っていたが、こういう時はなんだろう自分が浮世離れしている感は否めない。魔獣のジャケットとかは流石に置いてきたが自分が十分にこの空間から浮いているのは察せられた。
(……隣に立ってるのが紅葉だからっていうのもあるだろうなぁ)
 すっかり立場が逆、に見えるのだろう。
 高校生……中学生にも見えないこともない妻紅葉が獅子劫の服の裾を引いてスーパーを歩いているのは一般的に見て面白いものがあるだろう。獅子劫は食材選びに没頭する妻を見てため息を一つつくと、カートの持ち手に手をかけた。どうせ、すぐに買い物に集中してカートのことを忘れそうだ。
「ねぇ、界離。今日、お肉にしようか」
「いいんじゃないか?」
「むぅ……ちょっとは真剣に考えてよ」
 秋の入り口でもういいものはないかなー、とつぶやきながら紅葉は紅いトマトを手に取った。サラダにしても美味しいし、お肉にするならトマトソースもありだろう、と紅葉は考えているようだ。茄子やほうれん草なども手にとって品定めしている。カートにそれらを入れて次に行くよ、と紅葉は獅子劫を促す。
「もうレシピ決まってんだろ?」
「今日はねー、鶏もものトマトクリーム煮と水菜とツナのサラダ、カプレーゼでしょ?久しぶりにワインも開けようか」
「いいな」
「んー、ジャーマンポテトとかもいいね。界離はご飯よりお酒のツマミがしっかりしてたほうがいいでしょ?」
 わかっていらっしゃる、と肉のパックを手に取った紅葉を見ながら獅子劫は頷いた。紅葉は酒飲みではないが、獅子劫は酒は飲む。タバコも。だから自然とつまみのようなものの方が好ましいのだ。夕食、とは言っても二人では意味合いが異なる食事を紅葉はうまくまとめようとしている。
「スープはさっぱりとコンソメの根菜スープにしようかな」
「うまそうだ」
「お腹空いてきた?」
「おう」
「じゃあ、早く買って帰らなくちゃ」
 紅葉はにぱ、と笑う。あ、マグロが安い、と買う予定がなかったものも、数点入れていたが獅子劫はあえて見ないふりをした。特にお徳用のチョコレートに関しては今日は目を瞑ろう、と思った。


 会計が終わって、エコバッグにたっぷりと詰め込まれた食材は今獅子劫に預けられている。紅葉が自分で持つと言って聞かなかったが、思ったよりも大きく膨れ上がったそれはやはり重くて(魔術を使えば何ら問題ないとは言え)諦めて獅子劫の手に委ねられたのだ。
 帰り道。少しいじけたようにぶつくさ言いながら口を尖らせる紅葉に獅子劫はどうしたものか、と頬をかいたあと、紅葉に手を差し出した。
「ほら」
「……?」
「手」
 つなぐぞ、とはいえなくて。獅子劫は不自然に目をそらした。意味に気づいたのか嬉しそうに顔をほころばせた紅葉が獅子劫の大きな手に自分の小さな手を重ねてきゅうと握り込んだ。すねていた顔もすぐになくなって嬉しそうに獅子劫に寄り添った紅葉は上機嫌に鼻歌まじりになった。

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