神様との断絶
紅葉は月に一度、必ず教会に足を運んでいる。信者、と言うには少しばかり心配りが足りない気もするが、ロザリオを身につけているし、どうなのだろうと教会の外で煙草をふかしながら獅子劫はぼんやりとキレイに整えられた花たちを眺めた。晴天。まさしく晴天の午後である。
「かーいり!」
後ろから抱きついてきた妻の小さな体の衝撃を受けながら、終わったのか、と振り向く。うんと明るい声を出す紅葉が獅子劫の体から離れ、その手をするりと握った。獅子劫に比べて遥かに小さな手だが、自分の身長ほどの刀を奮って戦場を闊歩することがある。誰がそんな紅葉を想像するのだろうか。
信心深いなどとは思わないが、優しく大らかな女ではある。
それがスイッチでも切り替わるかのように表情が消え、ただ無慈悲に獅子劫とともに戦う。武器の性質上か、獅子劫よりも長く前線に立って戦う彼女は明確に「人間」のそれを遥かに超えていることがある。
「……聞いてるの、界離」
少し不機嫌そうな声が獅子劫を避難した。不満そうに頬を膨らませて、じと翡翠の大きな瞳が獅子劫を見上げていた。
「悪い、聞いてなかった」
「もう」
嘘をつけばバレて怒られただろうし、真実を伝えれば伝えたでこの場合は怒られるのだ。聞いていなかった自分が悪かった、と素直に謝罪を入れるとちろり、と紅葉が獅子劫を見上げ、思案したようにまた視線を漂わせた。どーしよっかなぁ、とわざとらしく、あたかも自分は怒っているんだ、という雰囲気を出す妻にも慣れた。
「この近くのカフェでケーキでもどうだ?」
「まあ、この人はまさか、もので私が釣れるとでも!」
大仰に。
しかし、紅葉の表情は先程とは格段に違ういい笑顔だった。これはちょっとはご機嫌を直してくれたみたいだなと獅子劫はそっと胸をなでおろした。長い結婚生活で察したことだが、嫁の機嫌はいいに越したことはない。悪いと後々自分に悪影響が出るから。という話を以前、同じフリーランスの魔術師に話をしたわけだが、魔術師の結婚など愛のない結婚も少なくないわけで、嫁の力が強いのもよほど珍しいらしい。まあ、獅子劫自身はそれを気にしたことはないのだが。
「界離、俺、フルーツたぁっぷりのケーキ食べたい」
「はいはい」
仰せのままに。
紅葉の楽しそうな笑顔に獅子劫は破顔した。
――戦場を闊歩する。
――それは魔神の如く。
――無慈悲の悪魔の如く。
紅葉は刀を薙ぎ払った。しかし、そこから血は溢れ出ることもなく、ただ、きったはずの首がずれること無くつながっている。
「……あ、界離とはぐれちゃった」
ちゃり、と胸元の十字架が音を立てる。
これをつけたのは、いつだったか。ああ、そうだ、父に渡されたんだ。魔術師として、人を殺して生きると決まったその日に。お守り代わりなのか、そのつもりなのか。
(神様なんて、いないくせに)
神様がいるなら、こんな無慈悲な光景は起きないはずなのだ。
すべての人に優しく、平等に、平和な世界なんてありえない。
(平和だったら、界離困っちゃうだろうなぁ)
獅子劫はフリーランスの魔術師で、色々戦いがあるからこそ仕事が存在し、彼の魔術の特性として死体が出てきてくれなければ困るのだ。自分だってそういう彼とともに居るのだから、ある程度戦いがなくては困るし――そも、存在理由として戦いがなくなると生きている価値などない。
「神様なんて、馬鹿らしい」
この戦場で信じられるのは自分だけ。
自分の腕だけ。
自分の覚悟だけ。
静かに。――紅葉は息をした。
「紅葉」
獅子劫が自分を呼ぶ声が聞こえて、目を輝かせた。
「界離」
たまらなく、愛おしい人の声こそ、紅葉にとっての神の啓示だった。