ただが欲しかった


 ――星に 雪に 祈りに


 戦場で、一つ聞こえてきた、祈りの歌。
 ひどく透き通ったその歌は泣いているように聞こえた。釣られる様にフラフラとその場まで雪を踏みしめれば、そこには一人の少女が立っていた。音を吸い取る様な静寂にぽつんと一人、何をするわけでもなく立ちすくむ少女は、ただ祈りの歌を歌い続けていた。恐らく、アヤナミの存在には気づいていない。
 彼女の足元には、数々の遺体が転がっていた。血で雪が紅く染まり、見るも無残な光景なのだろうがそれが余りにも歌の美しさと真逆であり、ひどく心を引き付ける。アヤナミの存在に気付かないまま、彼女は敵国の鎮魂歌を静かに歌いきる。この歌は、きっと軍の統制によって人々の記憶の中から消し去られる事だろう。彼女は、だから歌ったのだ。せめて、ラグスの民の誇りを奪わぬように。

 目が合った。

 その紅いまあるい瞳がアヤナミを虚ろにとらえた。涙にぬれた瞳は、価値ある宝石よりも美しく、数多の光を赤く染めるように、アヤナミを見つめていた。白い髪に、うっすらと積もった雪はさらさらとした髪に逆らわぬように落ちていく。ぱちぱち、まあるい瞳をしばし瞠目させると、漸く彼女はそこにアヤナミがいたことがわかったのか、真っ白な顔をより蒼白にさせて、敬礼の姿勢を取った。――階級章は"少佐"だった。
(随分と若いな)
 童顔なのか、アヤナミが一瞥して少女だと判断した外見だった。まだまだ軍服も真新しく見える。軍学校を出たばかりなのか。しかし、真新しく見える軍服には幾重にも血が夥しくついている。軍服に似合わぬロザリオが、敬礼の時にちゃらり、と揺れた。大げさに、しかしどこか落ち着いているようにすら見えるのは、ラグスの――敵国の鎮魂歌を上官の前で歌ってしまった人間にしては不釣り合いだった。
 彼女は敬礼したままじっと不動のままアヤナミを見ていた。何かするわけではなく、言い繕うわけでもなく。どこか、ここで殺される事すらよしとしているように見えた。
「ここは貴様の管轄か」
「……――はい」
 少し、言い淀んだように見えた。少佐ともなれば、ある程度の自由は認められ管轄から大きく離れなければ活動することも可能だろう。それくらい、大掛かりな戦闘が確かにここら辺では起きていたはずだ。ちらり、と一瞥した死体は全て一撃で仕留められ、大した苦しんだ様子は見受けられない。技術もさることながら……――
「甘いな」
 アヤナミがそう断ずると、彼女は初めてそこで表情を動かした――怒り、そういえるほど、奥歯を噛みしめて、澄んでいた赤い瞳に濁りが生じた。見えない方の拳を強く握りしめて、彼女は俯きがちになった。自分の表情を悟られないためだろうが、すでに遅かった。アヤナミが相手であったことも悪かっただろう。
「戻れ」
「……はい」
 彼女は高く結い上げた髪を少し乱してアヤナミに背を向けた。その細い肩は遠目で見てわかるほどに震えていた。待て、とアヤナミは彼女を呼び止めた。素早く足を止め、上官へと振り返る彼女の瞳はどことなく、暗い影を落としている。
「名前は」
「……」
 今回は完全に言いよどんだ。名前を聞かれては困る事情――まあ、敵国の鎮魂歌を歌っていた――があるのだから、名乗りたくはないだろうが。上官に命じられて口を噤む方が問題だ。さんざん言い淀み、そして、小さく口を開いた。
「アスナ。アスナ=オークです」
 敬礼し、名乗ると失礼しました、と頭を下げた。
 オーク家。帝国が誇る名家の家系にあんな娘がいたのか。記憶にないな。興味が惹かれた。ロザリオを下げていたのも気になった。そして、ラグスの鎮魂歌。わからないことだらけで、しかし、それがアヤナミにはとてつもない興味となって、迫ってくる。
 なるほど、またいつか、出会いたいものだ。



 運命の出会いまで、後もう少し。

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